高野神社(津山市高野本郷)

高野神社。

津山市高野本郷に鎮座。

式内社 高野神社の論社。

境内

鳥居

 

社号標

 

参道

 

二の鳥居

 

参道

 

手水舎

 

狛犬

 

裏参道鳥居

 

裏参道社号標

社殿

拝殿

 

本殿。おそらく中山造だと思われます。文化9年(1812)の建立。

境内社等

大神宮。社殿左手。社殿と回廊で繋がっています。

 

稲荷神社

 

天満宮

 

荒神社

 

牛神社

 

祓戸四柱神社

 

山神社

 

忠魂碑

 

神楽殿

 

御旅所

由緒

高野神社御由緒

御祭神 高野造祖大神

主神 鵜葺草葺不合命

相殿 応神天皇・神功皇后

高野神社の創祀年代は不詳であるが、はじめて国史に登場するのは貞観六年(西暦八六四年)従五位に叙せられたことに始まる。ついで貞観十七年(西暦八七五年)正四位下に昇叙され、さらに、延喜五年(西暦九〇五年)から編纂された「延喜式」の神名帳に登載され、式内社となった。式内社は、美作国では十社しかなく、津山市内では中山神社と高野神社のみである。

御祭神は、古くは鵜葺草葺不合命一柱であったが、中世に武家の勃興とともに、相殿に応神天皇、神功皇后をお祀りして明治維新頃までは八幡宮と称して、篤く信仰を寄せられてきた由緒ある古社で、現在ではこの高野の地を開拓し、繁栄に導かれた祖神として、高野造祖大神と称えている。

神社の周辺には神社に因んだ屋敷、池等の地名が広範囲にわたって数多く残っており、往時が偲ばれる。

御神徳は古来安産、厄除等の信仰が殊の外篤く、大神の広大無辺な御神徳を慕って遠近の参拝者が後を絶たない。

近年では交通安全、家内安全等に加え、地域の稚児の初宮まいり、七五三まいり等の御祈願も次第に増加している。

現在の御本殿は、文化九年(一八〇有余年前)に建立されたものである。

創建時期は不詳。

 

三代実録の貞観6年(864)8月15日己巳条に見える「美作国従五位下…高野神等並授従五位上」および貞観17年(875)3月29日壬子晦条に見える「美作国従五位上高野神正五位下」の高野神を当社にあてる説があります。

また、延喜式神名帳の「美作国苫東郡 高野神社」を当社にあてる説も(もう一つの論社である二宮の高野神社が苫西郡にあるのに対し、当社は苫東郡にある)。

 

古くは鵜葺草葺不合命一柱を祀っていたとされます(吉井川を遡って当地に入植した海人族の信仰)。中世(鎌倉時代)以降に応神天皇・神功皇后が祭神に加えられ、明治まで八幡宮を称していました。

 

永禄年間(1558~1570)に尼子晴久によって再興されたといわれますが、それ以前は現在とは少し違う場所に鎮座していたようです。

『式内社調査報告』によれば、古記録に、神宝の鉾について「旧社地ヨリ堀出セシモノ」という記述があるとされ、また明治15年に国学者道家大門が書いた縁起書にも旧社地の考証があるとされます(いずれも未確認)。

同書では、旧社地は「現社地よりもやや北、丘陵の上部」と推測しています。道家大門の縁起書の考証は「現社地の西隣の天台宗の寺院、永安寺の上の方であった」というものだそうですが、永安寺は当社の東にあります(『式内社調査報告』の方角・距離に関する記述は、執筆者にもよりますがいい加減極まります。この場合は引用元の道家大門の書が誤っている可能性もありますし、あるいは永安寺が明治期には今より西にあった、という可能性もゼロではありませんが)。

結局のところ正確な旧社地の位置は不明ですが、現社地からいくらか北の場所というところでしょうか。

 

明治6年郷社列格。

御朱印

御朱印はあります。

神社近くにある宮司さん宅で拝受可。境内に連絡先が記載された張り紙あり。

アクセス

津山ICを降り、国道53・429号重複区間を北上。1.3kmほど先の高野交差点を左へ。

400mほど先の交差点を右へ(路肩に高野神社の案内板が立っています)。

400mほど先、下図のあたりから境内に入り、参道脇に駐車可能。

 

神社概要

社名高野神社(たかのじんじゃ)
旧称八幡宮
住所岡山県津山市高野本郷1012
祭神高野造祖大神(主祭神・相殿神の総称)
主祭神鵜葺草葺不合命
相殿神

応神天皇

神功皇后

社格等

式内社 美作国苫東郡 高野神社

日本三代実録 貞観六年八月十五日己巳 高野神 従五位上

日本三代実録 貞観十七年三月廿九日壬子晦 高野神 正五位下

旧郷社

御朱印あり
駐車場あり

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