神明宮〔高取神明宮〕(高浜市神明町)

高取神明宮。

高浜市神明町に鎮座。

式内社 和志取神社の論社。

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境内

社頭

 

一の鳥居

 

社号標

 

二の鳥居

 

手水舎

 

狛犬

 

東鳥居

 

西鳥居

社殿

拝殿

 

幣殿?

 

本殿

境内社等

秋葉社

 

稲荷社

 

稲荷社お狐さん

 

御鍬社

 

靖国社

 

靖国社狛犬

 

神馬舎

 

御祓所

 

御神木

 

境内案内図

由緒

高取神明宮

社格

十等級 旧指定村社

祭神

天照皇大神 五男三女神 伊佐波止美命 玉柱屋姫命 菊理媛命 伊弉諾尊 伊弉冉尊 倉稲魂命

鎮座地

高浜市神明町七-九-八

例祭日

十月第四日曜日

由緒

社伝に暦応四年(一三四一年)八月一日の創建という。

明治五年十月十四日、村社に列格する。

同四十年十月二十六日、指定社となる。

同四十一年十二月、拝殿、社務所を造営した。

大正八年三月、字象鼻八十八番鎮座の稲荷社と字南屋敷百九番鎮座の金刀比羅神社を合祀した。

境内坪数

四,三二三.〇〇坪

建坪

九一.一六坪

氏子数

一,六〇〇戸

境内末社と祭神

御鍬社 豊受皇大神

稲荷社 倉稲魂尊

秋葉社 迦具土神

靖国社 功労者

社伝によれば創建は暦応4年(1341)。

 

社伝の創建時期と矛盾が生じますが、延喜式神名帳にみえる「三河国碧海郡 和志取神社」に当社をあてる説があります。

『参河志』に「碧海郡高取村を昔は鷹取と書たり鷹を鷲といふ例は古事記伝二十二巻五十一丁鸇比売鸇は和志と訓べし朝倉宮御宇天皇の御陵の地名の高鸇を書紀には高鷲と作ればなり(中略)此に依れば高取村の神祠かと思はる然れども鷹取は鷹取にて鷲にあらざる訳は古歌名蹟の部に記す」とあります(古歌名蹟の部までは確認していません…)。

また『参河国官社考集説』に、「予天保十年九月、高鳥村ニモノシテ、其産土神にマヰデ、問聞ルニ、神明社ニテ中殿神明、左右春日八大龍王、三座相殿ニテ(後略)」とあります。

これらが当社を指していると考えられます。

なおwikipediaの渡辺政香(『参河志』の著者)の項に「鷲取天神は、安城市柿碕町和志取と水戸大日本史に明載されているにもかかわらず、碧海郡高取村(現在の高浜市高取)であると自説を強引に主張している」という記述があります。上記からするとあまり強引には見えない(他の論社のことも記している)のですが、別項や他書でごり押ししているのでしょうか…

 

それ以外、近世以前の由緒は不詳。

明治5年村社列格。

大正8年、稲荷社と金刀比羅神社を合祀。

昭和34年の伊勢湾台風で社殿に甚大な被害を受けるも、同36年に造営再建。

 

現祭神は天照皇大神、五男三女神、伊佐波止美命、玉柱屋姫命、菊理媛命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、倉稲魂命。

『平成祭データ』によれば、主神は天照皇大神と伊佐波止美命のニ柱のようです。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

知立・刈谷から国道419号を南下、西尾・碧南から国道247号を北上、あるいは半田から衣浦大橋を渡るなどで高浜市に入ります。

高浜市に入ったら、県道47号と304号が交差する神明宮西交差点(位置)へ。この交差点から県道47号を東に100mほど行くと社頭。

駐車場については明示されていませんが、鳥居右手にそれらしきスペースがあります(位置)。

神社概要

社名神明宮〔高取神明宮〕(たかとりしんめいぐう)
通称高取神社
旧称
住所愛知県高浜市神明町7-9-8
祭神

天照皇大神

五男三女神

伊佐波止美命

玉柱屋姫命

菊理媛命

伊弉諾尊

伊弉冉尊

倉稲魂命

社格等

式内社 三河国碧海郡 和志取神社

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり(?)
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「神明宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 愛知県神社庁編『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁, 1992
  • 羽田野敬雄『参河国官社考集説』(佐伯有義編『神祇全書 第四輯』思文閣, 復刻版, 1971.所収)
  • 渡辺政香輯録『参河志』愛知県幡豆郡教育会, 1921(国会図書館デジタルコレクション 71コマ