穴門山神社(高梁市川上町高山市)

穴門山神社。

高梁市川上町高山市の山中に鎮座。

式内社 穴門山神社ならびに元伊勢 名方浜宮の論社。

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境内

注連柱

参道に入る手前の住宅地に建っています(位置)。

 

案内標識

 

鳥居

この先曲がりくねった細い山道を1.5kmほど行きます。

 

神門の方へ下りていく道

 

 

社叢は県指定天然記念物

 

橋と石段

 

手水舎

 

神門

2021年現在は老朽化で立入禁止となっており、ここから上る表参道は利用できません。

 

九十九折の坂を上ります

 

上り切ると門があります

駐車場から神門の方を経由せずにここまで上ることもできます(上述の通り2021年現在は神門が老朽化で通れなくなっているため、このルートを取るしかありません)。

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扉の開いた拝殿

 

扁額

 

本殿

 

拝殿前の石段にいた大きな蛇(たぶんアオダイショウ)

御神窟

御神窟

 

水が流れ出てきていました

 

御神窟内の祠

磐屋神社?

 

洞窟は奥へと続いています

入口に注連縄があるので入りませんでしたが、上掲写真で見える位置くらいまで入っている人もいるようです(ネットに上がっている写真からわかる)。

入口からは見えませんが、ちょっと入ったところに福石という岩があります。案内に「一般参詣者は福石の前に立ち」とあるので、そこまでは行ってもいいのかもしれません。

神職はさらに奥へ進んで御祭神を拝礼するということですが、写真からするとけっこう大変そうです…

 

 

御神窟上の岩盤

 

御神窟

洞窟の地学

この洞窟は奥行一〇〇メートル、最大内径一〇メートルの吐出型水平型である。石灰岩の中に出来た板状の割目を伝う地下水が岩を溶かして出来たものである。このあたりの吉備高原は今から数百万年前頃は、海面に近い土地であったが、一帯は隆起を繰り返して現状の標高になった。隆起の過程でだんだんと地表の水の浸食で、下に下にさがったために、洞窟は高さを増していく。底の平たいのは隆起による一時休止期を示す。また、穴幅の狭さ、鍾乳石の無かったりするのは、地下水の量や流れの方向に変化が起ったものと思われる。

洞窟の内部

洞窟の入口の中央には、入口をふさがんばかりの球状の巨岩がでんと座っている。それは遠い昔の神話にある天の岩屋、天の岩戸に似て、その岩戸を押し開いて天照大神をお連れ出し申し上げた、怪力の手力男命の勇姿をも想像できて神々しさがある。司祭者は洞窟の巨岩の福石より奥に進み、ご祭神を拝礼するが、一般参詣者は福石の前に立ち、一家の万福を祈願するのである。

福石の由来

昔富貴なお方が当社へ参詣し、終夜参籠をしていると、少し眠気がして、夢に白衣の神人が現われ、洞内の入口を指さされた。そこには無数の金の蟹がうごめいていた。「お前は信心深い働き者だから、その一甲を与える」と言われた。松の風音で目がさめてみると、洞窟の入口に無数の金塊があったので、ご神託の通りその一塊を頂き、村に帰ってからは益々福運が開けて大金持ちになったと伝えられる。その入口にあった無数の金塊の金蟹は結集して福石になったと伝えられ、その後福運を祈願して参詣する人が多い。

境内社等

須佐男神社

鳥居の近くに鎮座しています。

 

須佐男神社近くの祠

 

手水舎近くの祠

 

日少宮神社

 

三輪神社

 

祖霊社?

 

社名不詳の境内社

 

御神窟近くの境内社

 

社務所

由緒

式内社 穴門山神社

式内社とは、延喜式の巻九および巻十の「神名帳」に列する神社のことで、社格を権威づける官社となっている。延喜式は平安後期の延長五年(九二七)に撰上され、五十巻から成り、朝廷の儀式、行政の実施に関する規範である。当社は延喜式巻十に、備中国十八社の中にその名があげられ、朝廷崇敬の神社であったことは事実である。

創立は崇神天皇五十四年と言われているが、延喜、延長の時代はこの神社は、備中国下道郡長田山と記されており、その地名にまつわる神々の伝説も多い。

倭姫世紀という古書によると、崇神天皇から、天照大神のご神体である御鏡を、「何処へおまつりしたらよいかさがしてこい」という命を受けた豊鋤入姫命が紀伊国奈久佐浜宮より備中国名方浜宮(現在の穴門山神社)へ奉遷し、四年間奉斎したと記されている。朝廷の当社に対する崇敬のあつかったことがうかがえる。

祭神は、天照大神、倉稲魂大神(豊受大神ともいう)、そして日本武尊の第二王子足仲彦命、吉備武彦命の娘で日本武尊の妃である穴門武姫命の四社を併祀している。

社殿は寛永九年(一六三二)秋焼失したものを、備中松山城主の池田出雲守長常が、寛永十四年(一六三七)再建寄進した。権現造りの建築様式で、特に本殿妻側は懸魚、虹梁、支輪、斗栱組みで装飾性が高く、余り県下にその例がなく県指定である。

まわりの社そうは、県指定の天然記念物であり、昭和五年十月京大、田代善太郎先生の調査によると、四三八種の植物が記録されており、その種類の多いので注目されている。神木のカツラは樹齢推定七〇〇年、株周囲八・九三メートル、樹高三〇メートル。

神木は本門そばの石段上の大杉と、境内崖下のカツラである。

社伝によれば創建は崇神天皇54年(BC44)。

豊鋤入姫命が天照大神を祀る宮地を求め、紀伊国奈久佐浜宮より当地へ奉遷、4年間鍾乳洞(御神窟)の中に奉斎したとされています。

この由緒から、『倭姫命世記』にみえる「名方浜宮」の論社とされています。

 

また、延喜式神名帳にみえる「備中国下道郡 穴門山神社」の論社ともされています。

鎮座地は旧川上郡に当たりますが、平安初期には下道郡に属していたため(川上郡は平安末~鎌倉初期の成立とされる、和名抄の下道郡にみえる「近似、成羽、弟翳、穴田、湯野」の5郷が郡域に当たるという)、当社を下道郡の穴門山神社に当てるのに問題はありません。

社名の「穴門山」については鍾乳洞(御神窟)に由来するという説、鎮座地付近から瀬戸内海(穴海)が見えることに求める説があります。

 

なお『岡山県神社誌』には「備中国十八社中延喜式内社備中二の宮と称した」とあり、あるいは備中国二宮とされているのかもしれません。

 

寛永9年(1632)に社殿焼失、寛永14年(1637)に備中松山藩主池田長常が再建。

『岡山県神社誌』によれば寛文9年(1669)焼失、同年に水谷左京亮が本殿を再建とあり、神社明細書にも「寛文九年備中松山城主水谷左京亮勝宗公本殿一宇建立」とあるそうですが、現存の本殿は上記寛永14年再建のものであり矛盾します。

 

明治6年郷社に列格、昭和18年に県社に昇格。

 

祭神は天照大神、倉稲魂神。

宝暦7年の『備中集成志』に収められた『赤濱宮略縁起』に「吉備之中州穴門山之神社者倉稲魂之神之垂迹ニシテ代ヲ歴ル事遠シ。人皇第十代崇神天皇五十四年(中略)シカシヨリ此方天照大神ヲイワイ奉」とあるので、元々の祭神は(少なくとも縁起の上では)倉稲魂神ということでしょうか。

足仲彦命、穴戸武姫命を合祀(『平成祭データ』)、あるいは配祀(『岡山県神社誌』)。

御朱印

御朱印はあります。

こちらに常駐されているわけではないので、事前に連絡を入れましょう(連絡先は岡山県神社庁の当社ページに載っています)。

アクセス

井原か高梁から行くのがよいと思います。

 

井原からなら、市街地から国道313号を北上。芳井支所前交差点(位置)を直進して県道9号へ。

14kmほど先(位置)、「弥高山→」の案内があるので右折。2.5kmほどで県道77号に出るので左手に。

500mほど行くと「穴門山神社」の案内(冒頭の写真)があるのでそれに従って脇道へ。

 

高梁からなら、備中高梁駅辺りから国道313号を西へ。

17km弱先、川上町地頭の交差点(位置)で右手に折れます。そのすぐ先で左に折れ(青看に神石高原の表示がある方)県道77号を進みます。2kmほど先で2つ分岐がありますが、いずれも右手。その先は県道77号を道なりにしばらく走っていけば「穴門山神社」の案内(冒頭の写真)が現れるので、それに従って脇道へ。

 

鳥居の先はかなり道が狭いので注意。右手の山側からは木の枝や岩が迫り出しているところがあり、左手はガードレールのない崖(木が密生しているので転がり落ちはしないでしょうけど)。待避箇所もあまりないので、運転不慣れな人は対向車が来ると詰む可能性もあります。

そんな道を1kmちょっと走ると開けた場所に出ます。そこが駐車場のようです。

 

駐車場

神社概要

社名穴門山神社(あなとやまじんじゃ)
通称

名方浜宮

赤浜宮

旧称
住所岡山県高梁市川上町高山市1035
祭神

天照大神

倉稲魂神

合祀或いは配祀

足仲彦命

穴戸武姫命

社格等

式内社 備中国下道郡 穴門山神社

元伊勢 名方浜宮 伝承地

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「穴門山神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「穴門山神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 岡山県神社庁編『岡山県神社誌』岡山県神社庁, 1981
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十二巻 山陽道』皇學館大学出版部, 1980
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 56-57コマ
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