足次山神社(井原市井原町)

足次山神社。

井原市井原町に鎮座。

式内社 足次山神社の論社。

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境内

一の鳥居

 

扁額

 

式内と郷社の標

 

注連柱

 

狛犬

どう見てもライオンです。

 

注連柱

 

二の鳥居

 

手水鉢

 

裏参道の注連柱

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

境内社

一番大きいのですが社名が出ておらず不明。春日神社?

 

境内社

扁額には「事代主神 大国主神」。『岡山県神社誌』にある恵美須神社か。

 

厳島神社

 

稲荷神社(多分)

 

荒神社?(よく読めず)

 

境内社(社名読み取れず)

 

御神木?

 

地神碑

由緒

創建時期は不詳。

昭和27年の神社明細書は貞観元年(859)の創立としているようです。

延喜式神名帳にみえる「備中国後月郡 足次山神社」に当社をあてる説があります。

 

地名としては消えてしまっていますが、当地は倉掛といい、往古は倉垣の里と称したといいます。

『夫木和歌抄』にみえる大江匡房の「くらかきの里に波よる秋の田の年なかひこの稲にぞありける」は当地を詠んだものとされます。

また長和5年(1016)の大嘗会の和歌集にみえる善滋(慶滋)為政の「ことしより数をかそへて君がため八千代をつまむくらかきの山」も同様で、こちらは境内に歌碑が建っています。

 

寛文6年(1666)再建。

明治5年(『式内社調査報告』)か6年(『明治神社誌料』)に郷社列格。

 

当社の鎮座地・遷座等の説について。

『井原市史』が2説を挙げていますので引用。

井原市史

現在井原市井原町倉掛に足次山神社がある。『後月郡誌』はこの神社について、応永年間(1394~1428)に川上の天神山ヤシロ谷に鎮座していた足次の神を合祀した、という古老の伝記を載せている。芳井町にも古くから足次の神の社があったというのである。更に、藤田定一の『川相誌』(1960年)には別な説が載せられている。それによると、貞観元年(859)に芳井町川相字大社に祭神阿須波神を祀る足次山神社が勧進された。その後長和年間(1012~1017)に芳井町天神山天屋に還座された。それは里人が奪ったことによる。その後応永年間に井原町倉垣(後に倉掛)に還座された。

天神山ヤシロ谷に鎮座していた足次の神と、川相字大社に鎮座し後に天神山天屋に遷された(奪われた)足次山神社。いずれも応永年間に倉掛に遷されたという伝え。

式内 足次山神社にあたるのは、元から当地倉掛にあった神社なのか、天神山ヤシロ谷から遷座合祀された神社なのか、はたまた川相字大社から天神山天屋、倉掛へと遷座された神社なのか。

 

なお字大社は芳井町川相の南西部で、広島との県境の土地。『井原市史』に鎮座地跡と推測される場所の記述があります。

井原市史

大社は平壇地で小田川の曲がりくねった川筋の突角地で静寂な浄域である。北側の窪地を迫田とよび、古い掘井戸が二つ並んでいて清水が湧き出ている。一つを上水(清浄水)、一つを下水(神器洗浄)とする。その水が流下して細い山田が十余枚あるが最後部の上下二枚を日田・月田とよび神饌用地である。神田の排水が流下して小田川にはいる所を「コウコウ渕」とよび禊ぎが行われた場所である。

『井原市芳井町史』に神田跡石垣の写真が載っています。

 

当社の鎮座する倉掛の自治会のサイトでは、高天原系祭神説と出雲大社方面よりの勧請説の2大起源説を挙げています。

倉掛自治会サイト

高天原系祭神説

安須波之神(足次)は志理都紀斗賣命(シリツキトメノミコト)を主祭神としている。志理都紀斗賣命は第12代景行天皇(西暦71年)の皇子五百城入彦の妃で、父は日本武尊と義兄弟の建稲種命である。従って大和系の女神である。足次の郷に勧請された彼女は、米作り指導者であり、五穀豊穣の守護神だった。大明神として西暦907年延喜式神明帳が完成する以前より現在地に祀られていた。(日本神祗由来事典)

出雲大社方面よりの勧請説

阿須波大明神は大年之神の御子である。 阿須波のアは、接頭語で諏訪の神と同じではない。スハ族の祖神と天知迦流美豆比賣の間に生まれた子で、地を守る神、足場の神である。 従って、出雲系で出雲大社の例にならい、最初に勧請した地は芳井町川相で「大社」(オオコソ)という地名が付けられている。やがて天神山に祀られ、応永年間に足次大明神として井原町倉掛の地に合祀され、現在に至っている。(後月郡誌)

当初から倉掛の地に祀られた神社が延喜式神名帳に記載の神社で、少なくとも延喜式成立以前から鎮座。

出雲から大社に勧請された神社は貞観元年(859)の創建、としています。

 

祭神は阿須波神。

品陀和気命、息長帯比売命、若建吉備津彦命、大帯日子淤斯呂和気天皇、倉稲魂命を配祀。

 

倉掛自治会のサイトでは、上掲の通り安須波大明神=志理都紀斗賣命と、阿須波大明神としています。ただし典拠資料は不明。

安須波大明神を波比岐神だとする記述もネット上で(2件だけ)みられるのですが出典不詳。

玄松子の記憶さんは阿須波神、波比岐神、宗像三女神、誉田別神、息長帯比売神、他一柱としていますが、これは『全国神社名鑑』の記述に基づくようです。他の資料には見られず、同書が何を参照してこの祭神としたかは不明。

なぜか当社は『平成祭データ』に収録されていません。単立神社というわけでもなさそうなので、単にミス?

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

国道486号、井原中央交差点(位置)を北に入り、すぐ先(位置)で右手の路地へ。

200mほど先、右手の倉庫?脇(位置)の細い道を入ると境内です。

入ってすぐの社務所手前あたりに駐車可能。

神社概要

社名足次山神社(あすはやまじんじゃ)
通称足次山
旧称

足次大明神

芦次大明神

住所岡山県井原市井原町25
祭神阿須波神現祭神

安須波大明神

阿須波大明神

倉掛自治体サイト

阿須波神

波比岐神

宗像三女神

誉田別神

息長帯比売神

他一柱

『全国神社名鑑』

玄松子の記憶

配祀

品陀和気命

息長帯比売命

若建吉備津彦命

大帯日子淤斯呂和気天皇

倉稲魂命

社格等

式内社 備中国後月郡 足次山神社

旧郷社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし(境内駐車可)
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「足次山神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 井原市史編纂委員会編『井原市史 1』井原市, 2005
  • 井原市史編纂委員会編『井原市芳井町史 通史編』井原市, 2008
  • 岡山県神社庁編『岡山県神社誌』岡山県神社庁, 1981
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十二巻 山陽道』皇學館大学出版部, 1980
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 52コマ