鳴神社(和歌山市鳴神)

鳴神社。

和歌山市鳴神、住宅地の一角に鎮座。

式内名神大社 鳴神社に比定される神社。

また、式内社 香都知神社および堅真音神社を境内社として合祀。

境内

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

手水舎

 

狛犬。首長な感じ。

 

神社と隣の駐車場(公園)の間に池

 

駐車場(公園?)と境内の間に池と橋

 

橋が掛かってるのにフェンスがあって駐車場(写真奥)からは境内に入れない…

入るなキケンとあるので橋が傷んでいるのか

社殿

拝殿

 

本殿

二社が並立しています

 

天太玉命を祀る左の社殿

 

速秋津彦命・速秋津姫命を祀る右の社殿

 

二社の間に梛の木

境内社等

香都知神社・堅真音神社

元は別の場所にあった式内社2社を合祀した境内社

 

夢明神社(中央の大きな祠)

和歌山県神社庁のページで「夢神社」の名前がみえるので、おそらく読みは「ゆめみょうじんじゃ」なのでしょう。

 

天照大神宮

 

春日大神

 

稲荷社

 

鳴武神社(壺之御前)

境内の道路挟んで斜向いにあります。

 

鳴武神社

別名 壺の御前

由緒

当社は五世紀頃創建された古社で御祭神は武甕槌命である

古来から「壺の御前」と称され広く世人から崇敬され親しまれてきました

当社はもともとこの地にあり社殿も有していたが天正年間の兵火により喪失していたところ江戸期になり紀州徳川家によって社殿跡地に「鳴武神・慶安庚寅」と刻まれた石祠が建立され再建されました 以来三百六十有余年を経過し今日に至っております

この石祠も長年の風雨により近年は損傷も殊の外はげしく此の度石祠を覆い守るための社殿を再建し往時の姿に復することと致しました

これを機に御祭神が新しい社殿のもと長く安らかに祀られていくことを祈願するものである

鳴神貝塚

当社の北300mほどのところに、国指定史跡の鳴神貝塚があります。明治28年、近畿地方で初めて発見された貝塚で、東西130m(和歌山市による「和歌山市の文化財」サイトでは110m)、南北100mと県内最大級の規模。鳴神社との関係は不明ですが、当地に古くから人が居住していたことがわかります。

 

貝塚の周囲はフェンスが張ってあり、中は藪と化しています(保護か放置かは不明)。

出土品や関連資料は、県立・市立博物館や紀伊風土記の丘資料館に展示されている(常設かは不明)ようです。

なお貝塚の隣りには「花山温泉薬師の湯」という温泉があります。

高濃度炭酸鉄泉で、公式で関西最強を謳っている人気の温泉。

由緒

鳴神社御由緒

当社は延喜式内名神大社往古紀伊湊を開拓した紀伊忌部氏により創建せられた

主祭神天太玉命(向って左側本殿)及び祓戸の神速秋津彦命速秋津姫命(向って右側本殿)を祀る

 

式内大社鳴神社

御祭神

天太玉命

速秋津彦命

速秋津姫命

香都知大神

堅真音大神

鳴武大神(壺の御前)

例祭日

春季例祭 四月十一日

秋季例祭 十月十二日

 

由緒

当社は紀伊続風土記によれば約一五〇〇年前天太玉命(建築家内安全の神)を祭神として創建された古社である

天正十三年(西暦一五八五年)豊臣秀吉の紀州太田城水攻めにさいし社殿神宝のことごとくを失い荒廃したが江戸期に入り紀州藩主徳川頼宣公によって再興された

そのとき祭神として祓戸の神速秋津彦命速秋津姫命の二神を祀り今日に至った

このたび奈良県橿原市の天太玉命神社より旧主祭神天太玉命の御分霊を賜り祓戸の神二神とあわせて当社に祭祀することとなった

旧主祭神の還御を記念し茲に本碑を建立する

 

鳴神社 御由緒

当社は紀伊続風土記(江戸時代中期に編纂)によれば、約一五〇〇年前大和朝廷の祭祀を司ってきた名族、忌部氏の祖神天太玉命を祭神として創建された古社で、延喜式内名神大社、和歌山市鳴神の産土神である。

忌部氏は祭祀のほか祭器具、造殿にすぐれた技術を有し、当時大陸との交流をすすめる大和政権の方針により、紀伊湊をはじめ諸国の港湾拠点の整備にあたってきた。紀伊井辺村は忌部氏ゆかりの土地で、鳴神村も旧忌部郷の内にあり、忌部氏とは密接な関係にあった。

延長五年(西暦九二七年)完成の延喜式神名帳によれば、式内社は紀伊国に三十一社あり、当社もその中の一つであるが、そのうち特に「名神大、月次相嘗新嘗」の社格が記されているのは日前・国懸・伊太祁曽・鳴神社の四社のみで、往時当社は紀伊国における式内相嘗四社の一つであった。社伝によれば中世、当社は神田十五町を有し境内も広大にして三町以上あり神主一人社人も五人ありと記されており、往時の隆昌を知ることができる。

しかるに天正十三年(西暦一五八五年)豊臣秀吉の紀州太田城水攻めにより、当社の付近は荒廃を極め、当社も社殿、神宝のことごとくを失った。

江戸期に入り、紀州初代藩主、徳川頼宣公の入国により再興がすすめられ、現今の規模で再建された。そのとき祭神として祓戸神の速秋津彦命、速秋津姫命の二神を定めて祀った。しかしながら当社の祭神について紀伊続風土記では種々の文献資料から考察し忌部氏の祖神、天太玉命であるとしたうえで、古の正しき姿に復すべく天太玉命を祀り、そのうえで速秋津彦命、速秋津姫命の二神も引続き当社に祀るのがよいと説かれていた。

ときいたり平成八年十月、旧祭神の天太玉命を祀ることと定め、神社庁とも協議の上当社と同じ祭神を祀る奈良県橿原市忌部町の天太玉命神社より旧祭神の御分霊を賜り、祓戸神二神と共に、当社に祭祀することになり、そのための還御祭が行われた。

なお、明治四十年十月、神社合祀令により近隣の香都知神社(通称逆松さん)、堅眞音神社が当社境内に合祀された。両社とも天正の兵火で社殿を失ったが、いずれも式内社の格式を有する古社である。また、当社の南向かいには鳴武神社がある。古くから別名「壺御前」といわれてきた。五世紀頃、酒造技術が大陸から伝えられたがそのとき、当地の良水を使用して日本で最初の酒造が当所で行われたと伝えられる。「壺御前」の名称は、そのことに由来する。

創建時期は不詳。

孝安天皇の時に大日山から当地に遷座したとも。

社名の「鳴」は大日山直水谷の谷水の音に由来するそうなのですが、直水谷がどの辺りを指すのか、また旧跡が残るのかは不詳。

和名抄にみえる「名草郡忌部郷」は当地周辺(現在の鳴神、井辺など)を指すと見られ、当地は紀伊忌部氏の本拠地であったようです。

 

延喜式神名帳にみえる「紀伊国名草郡 鳴神社」に比定されています。名神大社で、月次相嘗新嘗の三祭で幣帛に預かっています。紀伊国31社の中で、この待遇は日前・国懸・伊太祁曽と当社の4社のみ。

また三代実録貞観元年(859)正月27日甲申条に「紀伊国…従五位下…鳴神…従四位下」の「鳴神」、『紀伊国神名帳』の「正一位 鳴大神」も当社のこととされます。

 

中世期には神田15町、境内3町以上、神主1人社人5人雑役4人、社領40石と隆盛を誇っていましたが、天正13年(1585)、秀吉の太田城水攻めの際に当社付近に堤防が築かれ荒廃し、社殿神宝も消失。

その後氏子が小社を建て祭祀継続。慶長(1596~1615)頃から社僧による両部習合の祭祀が行われていたようです。

江戸時代になり徳川頼宣が入国すると再建が進められ、享保4年(1719)には仏色を排除し社殿再建。

 

明治6年村社列格。

明治40年、香都知神社と堅真音神社を境内社として合祀。

 

祭神

現祭神は天太玉命、速秋津彦命、速秋津姫命の三柱。

江戸時代初期は祭神不明だったようですが、享保4年(1719)の再建時に速秋津彦命、速秋津姫命の二柱が祭神とされたようです。

『紀伊続風土記』は「此神を速秋津彦速秋津姫の二神とする事始めて南紀神社録の按に出れは享保の時神社録に拠て定めらるゝなるへし」とし、『南紀神社録』に基づいて決定された祭神としますが、『南紀神社録』は延享3年(1746)の書らしく、再建時にこれを参照したというのは矛盾が生じます(ただし、日本の神々6巻の当社項には「享保4年の神社録」の記述があるので、あるいは当社の記述がある巻は享保4年に発行されていたか)。同書が世に出る以前から提唱されていた説なのかもしれません。

 

この祭神について『紀伊続風土記』は、「国造家旧記に鳴神村は旧忌部郷の内とし康富記紀州鳴神社氏人楯桙を造進の事あり本国に上古より忌部氏あり事古語拾遺に詳なり此等に因るに忌部氏の祖神天太玉命を忌部郷中嶋といふ地に祀りて…」とし、当地が和名抄にみえる忌部郷の内であり、忌部祖神の天太玉命を本来の祭神とする説を唱えています。

 

近年までは速秋津彦命、速秋津姫命の二柱のみが祭神とされてきましたが、平成8年に奈良の天太玉命神社からの分霊を受け、天太玉命が主祭神に加わり、三柱を祀る形となりました。

御朱印

御朱印はありません。

当社は神職非常駐の兼務社で、本務社は竈山神社。

竈山神社で伺ったところ、印の製作も検討されているとのことでしたが、2019年時点ではありませんでした。

アクセス

西側にある大通りから東進し、下図の場所まで行きます。

ここで北に入り(左折)、次の食い違い十字路を左折。

すぐに右手の広場(公園?)に渡る橋(用水路を渡る)があります。

この広場が駐車場のようです(参拝者以外の駐車を禁ずる旨の表示あり)。普通に公園として使っている人もいましたので駐車時は注意。

 

上に示したルート以外でも行けますが、神社周囲の道はとにかく狭いです。

神社概要

社名鳴神社(なるじんじゃ)
住所和歌山県和歌山市鳴神1089
祭神

天太玉命

速秋津彦命

速秋津姫命

鳴神社

香都知大神

香都知神社

堅真音大神

堅真音神社
社格等

式内社 紀伊国名草郡 鳴神社(名神大 月次相嘗新嘗)

日本三代実録 貞観元年正月廿七日甲申 鳴神 従四位下

旧村社

鳴神社

式内社 紀伊国名草郡 香都知神社

旧村社

香都知神社

式内社 紀伊国名草郡 堅眞音神社

日本三代実録 貞観元年五月廿六日辛巳 堅眞音神 従五位上

日本三代実録 貞観八年閏三月十三日戊午 堅眞音神 従四位下

旧村社

堅真音神社
御朱印なし
駐車場あり

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