堅真音神社。
和歌山市神前の住宅地に鎮座。
式内社 堅真音神社の後継社。
境内・社殿
鳥居
社殿
境内の看板
祭神名の幟
社号の幟
由緒
創建時期は不詳。
元は鳴神山(=花山?)の麓にあったとされます。
『紀伊続風土記』に「本國神名帳に、有馬音大神とす、又國造舊記に音明神とあり、其稱を考ふるに有馬は地名にして、此地は古の有眞郷の地なり、音も亦地名なり、音の地は今有馬村に音浦といへる田地の字にのこれり」とあります。
音浦は花山の西麓、音浦分水工(古くは音浦樋)のあたりのようです(地図)。
三代実録 貞観元年(859)五月廿六日辛巳条に「紀伊国正六位上堅眞音神従五位上」、貞観7年(865)五月十七日丁酉条に「紀伊国従五位上堅眞音神列於官社」、貞観8年(866)閏三月十三日戊午条に「紀伊国従五位上堅眞音神…従四位下」と見え、延喜式神名帳には「紀伊国名草郡 堅眞音神社」と見えます。
『紀伊続風土記』に「社今廢す、碑を建て「堅眞音神享保甲辰」の八字を雕む」とあり、少なくとも享保年間(1716~36)までには社はなくなっていたと見られます。
明治7年村社列格。この時点で社殿が再興されていたのか等は不明。
明治40年、香都知神社と合祀の形で鳴神社境内に遷座。
その後、時期不明ですが当地、神前に再興。
神奈備にようこそさんの記述によれば「13年前に創建にあたった方は逆松社からの分祀として神霊を頂き祀ったと言われている。花山の元地付近には産業廃棄物が放置されており、そこへ戻すわけにはいかなかったので、当地に鎮座せしめた」とのこと。
いつの時点から13年前かは不明ですが、平成初期頃でしょうか。
「逆松社」は鳴神社境内社の香都知神社・堅真音神社を指すと思われます(香都知神社の旧地に逆松社という小祠があるがそこから堅真音神社を勧請はできないので)。
なお、当社祭神は境内の幟によれば木花咲耶媛命ですが、鳴神社境内社の堅真音神社では神吾田鹿葦津姫命。同じ神の別名ではありますが、敢えて別名とした理由は不明。
紀伊続風土記 堅真音神
鳴神山の麓村の丑方七町許にあり社今廃す碑を建て堅真音神享保甲辰の八字を彫む三代実録に貞観元年五月二十六日授紀伊国正六位上堅真音神従五位上同七年春正月十七日丁酉紀伊国従五位上堅真音神列於官社同八年閏三月十三日戌午紀伊国従五位上堅真音神授従四位下となり此後階を進めて正一位を加えられしなり当社延喜式に堅真神とし三代実録に堅真音神とし本国神名帳に有馬音大神とす又国造旧記に音明神とあり其称を考るに有馬は地名にして此地は古の有真郷の地なり音も亦地名なり 音の地は今有馬村に音浦といへる田地の字にのこれり 延喜式並三代実録の堅真とあるは其義詳ならす
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
和歌山電鐵貴志川線の神前駅を下りて踏切を渡り西へ200m程度行き、アパートの間の細い道(位置)を北に入ると左手にあります。
神社前の道は非常に細く車は入れません。周辺に駐車場もありません。
神社概要
社名 | 堅真音神社(かたまおとじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 和歌山県和歌山市神前 |
祭神 | 木花咲耶媛命 |
社格等 | 式内社 紀伊国名草郡 堅眞音神社 日本三代実録 貞観元年五月廿六日辛巳 堅眞音神 従五位上 日本三代実録 貞観七年五月十七日丁酉 堅眞音神 官社 日本三代実録 貞観八年閏三月十三日戊午 堅眞音神 従四位下 旧村社(旧堅真音神社の社格) |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「堅真音神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 仁井田好古『紀伊続風土記 第1輯』臨川書店, 1990