神代神社(市原市神代)

神代神社。

市原市神代に鎮座。

日本三代実録 貞観10年(868)9月17日丁未条にみえる代神、元慶元年(877)閏2月26日戊戌条にみえる神代神、元慶元年(877)5月17日丁巳条にみえる神氏神に比定される神社。

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境内

鳥居

 

扁額

 

手水舎…?

 

狛犬

 

祠?

社殿

拝殿

 

本殿覆屋

由緒

社伝によれば景行天皇40年(110)の創建。

 

三代実録 貞観10年(868)9月17日丁未条にみえる「上総国正六位上…代神…従五位下」元慶元年(877)閏2月26日戊戌条に見える「上総国正六位上神代神…従五位下」元慶元年(877)5月17日丁巳条にみえる「上総国…従五位下神氏神従五位上」の代神、神代神、神氏神は当社に比定されています(貞観10年の「代神」は頭の「神」が脱落したとする説もあります)。ただ、正六位上から従五位下への昇叙が2度あったことになり不自然ではあります。

 

中世~近世については不詳。

明治4年郷社列格(なぜか『明治神社誌料』に掲載されていない)。

 

現祭神は天照大日孁尊ですが、『房総の古社』では当初の祭神は姉埼神社の分霊だったのではないかとする説が唱えられています。

『房総の古社』

当社をはじめて祀ったのは、神代から西方四キロのところの姉崎神社を奉斎していた上海上国造家につながる一族で、あらたにここに来住して、養老川下流のデルタ地帯の開発をこころみ、他方、姉崎神社の祭神の分霊を彼らの共同の神として祭ったもののように思うのである。

 

 

当社の本殿天井には戦後いつの頃からか、山本五十六の書が刻まれたプロペラが括り付けられていました。

戦前から戦中は近くの海上小学校に飾られており、戦後米軍の命令で校庭に埋納。が、子供が掘り出すため神社に移したとされます。

寄贈者に関する情報を求めて一般公開もされたようですが、その後何か判明したのでしょうか。

現在も社殿内にあるのか、別の場所に保管されているのかは不明。

御朱印

御朱印の有無は不明。

千葉県神社庁の紹介ページを見るに本務社は島穴神社のようです。

 

アクセス

車だと姉崎の方から県道13号を東へ行くか、五井の方から国道297号を南下し新生十字路交差点(位置)で県道13号に入り西へ行くか。

海上小学校前(位置)で南に入り、200mほど行くと右手上方に鳥居が見えます。かなりわかりづらいですが倉庫みたいな建物の脇(位置)から入っていけます。

鳥居下、道路沿いにスペースがある(上記入っていく道の左手)のですが、神社の駐車場かは不明(違う気がする…)。すぐ西の通り沿い、自販機があるところの路肩が広いので(位置)、そこに停めさせていただくのが無難か…

 

徒歩なら、距離でいうと上総三又駅が一番近いです。とはいえ最短ルートでも3kmほど。

電車が少ないのがネック。五井駅西口の観光案内所で借りられるレンタサイクルを使うほうが早いかも(6kmほど)。

神社概要

社名神代神社(かじろじんじゃ)
通称
旧称
住所千葉県市原市神代265
祭神

天照大日孁尊

相殿

保食神

面足神

社格等

日本三代実録 貞観十年九月十七日丁未 代神 従五位下

日本三代実録 元慶元年閏二月廿六日戊戌 神代神 従五位下

日本三代実録 元慶元年五月十七日丁巳 神氏神 従五位上

旧郷社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場不明
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「神代村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「神代神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 菱沼勇『菱沼勇著作集 第一巻 下(式内社の歴史地理的研究 下)』菱沼勇先生著作集刊行会, 1989(『房総の古社』有峰書店, 1975 の改題復刻)