八剱八幡神社(木更津市富士見)

八剱八幡神社。

木更津駅の西、富士見に鎮座。

木更津総鎮守とされる神社。

境内

※参道を西へ700mほど行ったところ(鳥居崎海浜公園の一角)に鳥居が建っています。

元々もう少し神社寄りにあったようで、埋め立てによって海側に移されたのだとか。未訪のため写真なし。

 

 

社頭・鳥居

 

社頭の看板

 

参道

 

手水舎

 

狛犬

 

狛犬2

 

裏参道(?)

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

三社神社(稲荷之大神、御嶽之大神、三峰之大神)

 

三社神社前の狛犬

 

お狐さん

 

三社神社手前の祠

 

三社神社横の池(御神水)。地下120mから汲み上げた湧水。

 

池中央に水神宮

 

池の畔に注連縄の巻かれた岩

 

祖神社

 

嶺田楓江寿碑

 

木更津市指定文化財 嶺田楓江寿碑

嶺田楓江は江戸時代後期の文化一四年(一八一七)に江戸に生まれ、儒学や蘭学を学び各地を視察しました。天保一四年(一八四三)北海道をまわり、幕府に屯田制や北方警備の必要性を訴えました。また、嘉永二年(一八四九)アヘン戦争の実情をくわしく調べ、木版絵画を挿入した『海外新話』を刊行しましたが、治安を乱したとして入獄の身となり、その後江戸から追放され請西村に移り住みました。安政元年(一八五四)ペリー来航に際し、江戸に上って幕閣に進言しましたが、再び木更津に戻り、地元子弟の教育に専念し、明治維新後の木更津地方の教育史上重要な存在となりました。明治一四年(一八八一)楓江の長寿とその業績を讃え、英国領事官コラウブスが題字を、重城保が文を撰し、清国の劉世安が書いた寿碑が建立されました。

 

源頼朝お手植えの蘇鉄

 

蘇鉄根本の祠

 

源頼朝『お手植えの蘇鉄』

この蘇鉄は大正十五年五月に当時の㈱木更津銀行頭取露崎銀平氏が森家から譲り受け、奉納されたものである。

森家は屋号を『相駒』と言い、君津市草牛の山中に在り、その山道を馬に乗り鹿野山まで登る人、又は下って来た人もこの家の前で休憩し馬同士が顔を合わせる所から、この場所を「相駒」というようになった。

頼朝も、ここで兵馬の疲れを癒し、北上する際に森家にお礼として蘇鉄を植えたといわれる。

また、頼朝と当社八剱八幡神社との関わりは深く、鎌倉幕府を創始した頼朝は保元、平治の乱で大敗した源家再興の為、治承四年(一一八〇年)八月安房国平北郡猟島(現在の鋸南町竜島)に渡り房総で兵を募った。

時の豪族千葉常胤・上総介広常等の協力を仰ぎ、次々と関東の諸豪族を配下に収め平家討伐の根拠地とした。

頼朝は、ここ木更津を通過の折り、当社に戦勝祈願に訪れ、その後神領を奉納したと伝えられる。

この事蹟を知る露崎氏が代々大切に育ててきた森家の蘇鉄を譲り受け当社に奉納した。

現在では立派な大樹となり『お手植えの蘇鉄』として多くの人に知られている。

 

案内板

木更津市指定文化財

五大力船絵馬

五大力船は、江戸時代から明治時代にかけて木更津・江戸間の輸送を行った船であり、一般に木更津船とも呼ばれました。

その成立は、「大坂の陣」で戦死した木更津村の水主の戦功と遺族救済のために、幕府から江戸湾における南総の物資輸送の特権を与えられたことによると伝えられます。

絵馬の意匠は、一般に海難救助図と呼ばれ、海上の安全を願ったものですが、そこには郷土で成立した五大力船の姿が写実的に描かれています。

大きさは縦五一・八cm、横八五・四cmで、明治時代初期のものと思われます。

 

木更津市指定文化財

八劔八幡神社の格天井装飾画

拝殿格天井を飾る一六二面の装飾画は、狩野派の技法が忠実に駆使され、風景・花鳥・動物などが多く描かれています。なかには狩野派の粉本にのこる題材もみられます。

八劔八幡神社の再建は安永二年(一七七三)と伝えられるので、この装飾画の製作年代もその頃と推定されます。

 

神輿庫。格子状のシャッターがあるため中の神輿は撮れず。

 

上総国木更津総鎮守 八剱八幡神社関東一の大神輿

八剱八幡神社の創建の歴史は日本武尊命が東征の折り先勝祈願した頃に遡り、以来当社は東京湾中央部守護神として、また木更津市民の心のよりどころとして、多くの氏子、崇敬者から慕われてまいりました。

毎年七月の例祭に渡御される大神輿は台輪巾四尺七寸、重さ一・五トン以上もある現役の神輿としては関東市の大きさを誇ります。

江戸時代、享保年間(一七一六~一七三六)に初めて神輿渡御の記録があり、宝暦・安永・天保(一七六三~一八四〇)と祭礼の記録が残されています。

現在の大神輿は嘉永三年(一八五〇)に創建され、その後明治・大正・昭和と六回にわたり御改修を行っています。

平成元年

三十年ぶりの大神輿大改修を行徳・浅子神輿店に依頼し、行徳にて大々的に納受式が挙行され木更津市民挙げての大行事となりました。

平成四年

日中国交正常化二十周年に伴い中国政府より木更津の大神輿を国民に紹介してほしいとの要請に応え、北京にて十万余人の観衆の中での大神輿渡御が実現し日中親善の一翼を担いました。

平成五年

千葉県生誕百二十周年を記念して幕張メッセにおいて「ちば文化祭93」が行われ県知事の依頼により大神輿を会場で奉昇(ほうよ)し、「関東一の大神輿」として広く県内外に紹介されました。

平成九年

世に言われる「関東三大神輿」―木更津・八剱八幡神社、東京深川・富岡八幡宮、浅草・鳥越神社の御本社神輿―が、木更津と川崎を結ぶ東京湾アクアラインの開通を祝って木更津にて奉昇(ほうよ)されました。歴史上かつてない連合渡御がここに実現し、壮大にして勇壮な三基の大神輿に木更津市民のみならず訪れた多くの人々は酔いしれました。

 

御神砂

 

御神木

 

神徳旌表碑

 

参集殿(兼社務所)

2018年に新築された建物ですが、兎角大きい

由緒

創建時期は不詳。

社伝によれば、往古より素盞鳴命を祀る神祠があり、八劔之神と称していたとされます。一帯は一帯の地を八剱の里、この神に仕えるはふりを八剱と言ったとも。

景行天皇40年、日本武尊東征の折、相模から当地に渡る際、海を鎮めるため妃橘姫が入水。日本武尊は無事当地に着くものの、姫の死を悼みしばらく当社に留まったため(あるいは日本武尊が「君去らず袖しが浦に立つ波のその面影を見るぞ悲しき」と詠んだため)、この地を「君不去(きみさらず)」と呼ぶようになり、転じて木更津という地名になったといわれます。

その後八幡神が合祀され、そちらが主となったようです。

明治4年郷社列格。

 

なお、こちらのページ(千葉県神社庁監修の神社紹介ページ)には「應神天皇、仲哀天皇、神功天皇」を主神、「素盞鳴命、日本武尊」を相殿神とありますが、当社の公式ページや『平成祭データ』では五柱とも主神となっています。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあり。

アクセス

アクアラインを木更津金田ICで降り、県道87号を南下。

5kmほど先で県道90号と交差する十字路に出るので、そこを左折(東へ)。

すぐに(100mほど)信号があるので、そこを右折(南へ)。

約600mほどで参道前に至るのですが、その少しだけ手前に駐車場があります。

 

ここが駐車場。

収容台数10台ほどなので、いっぱいなら周辺のコインパーキングへ。

神社概要

社名八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)
住所千葉県木更津市富士見1-6-15
祭神

誉田別命

息長足姫命

足仲彦命

素盞鳴命

日本武尊

社格等旧郷社
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.yaturugi.net/

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