建市神社。
市原市武士に鎮座。
日本三代実録 元慶8年(884)7月15日癸酉条に見える建市神に比定される神社で、盗人を守護する神という伝えのある神社。
境内
社頭
鳥居
扁額
社号標
手水鉢
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
子安大明神
境内社
石祠
左右は大天狗、小天狗と掘られていますが、中央は不明(○○大権現)。
三猿
白山神社
浅間大神
青面金剛
愛宕山大権現
真言一千偏成就之所と彫られた碑
由緒
創建時期は不詳。
千葉県神社名鑑には「三代実録によると、光仁帝の御代の創立」とありますがどの記述を指すのか不明。
三代実録の元慶8年(884)7月15日癸酉条にみえる「上総国…正六位上建市神…従五位下」の建市神は当社に比定されています。
中世~近世は建市大明神を称し、明治元年に建市神社に復称。
明治4年郷社列格。
当社は元は1kmほど北にある大明神山に鎮座していました。
明治元年に火災で焼けてしまったので、集落内の鹿島神社に御霊を遷したとのこと。
つまり当地には鹿島神社が鎮座していたことになります。
現祭神は鹿島神社の祭神のように思えますが、建市神社本来の祭神については不明(単に不明だったので遷座後神名を出していないのか、近世には武甕槌命が祭神とされていたのか)。
現在も旧地には小祠が祀られています。
『房総の古社』では、大明神山の元宮も後世になって設けられたもので、本来は武士村の人々が集落や耕地から大明神山を拝祀していたものではないか、としてます。
また、当社は盗人を守護する神という伝えがあります。
江戸時代に著された『房総志料』に以下のようにあります。
市原郡に武士村といふあり。彼土に山高くして舟行の標となる山あり。山上に古神祠あり。(中略)土俗相伝ふ、神誓ありて盗賊を護すと。賊遁れて此の山に匿るゝ時は見へず。故に盗神の称ありと。思ふに跖が徒を祀れるにはあらじ。此の地、山深く人居稀にして、亡命逃竄の徒の巣居となりぬれば、かく汚名を蒙らしめたり。
これによると、旧地が山中で人もほとんど住んでいなかったため、盗賊等の巣窟になり、そこから盗人神の汚名が生じたとされます。
アジールとしての神域のなごりだとする説もあります。
御朱印
御朱印の有無は不明。
本務社ではあるようですが、宮司さんは不在です。
アクセス
上総三又駅から東に2kmほど。
バスなどはないので、歩くしかありません。
車なら国道で上総三又駅付近まできて、駅北の踏切を渡って道なりに東へ行けば神社前へ。
ただし駐車場はありません。
神社概要
社名 | 建市神社(たけしじんじゃ) |
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旧称 | 建市大明神 鹿嶋大明神 |
住所 | 千葉県市原市武士205 |
祭神 | 武甕槌命 大宮姫命 大日霊尊 |
社格等 | 日本三代実録 元慶八年七月十五日癸酉 建市神 従五位下 旧郷社 |
御朱印 | 不明 |
駐車場 | なし |