姫坂神社(今治市宮下町)

姫坂神社。

今治市宮下町、今治北高校のそばに鎮座。

式内名神大社 姫坂神社に比定される神社。

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境内

弥栄橋

 

一の鳥居

 

扁額

 

社号標

 

参道

 

二の鳥居

 

社号標

 

狛犬

 

参道のふくろうの像

 

参道

 

手水舎

 

注連柱

社殿

拝殿

 

扁額

 

拝殿内に御神輿が並んでいました(5月)

 

拝殿にふくろうの幼鳥が現れたそうです

 

本殿

境内社等

青木神社

二の鳥居右手。

 

青木神社社号標

 

青木神社社殿

 

青木神社扁額

 

由緒板

青木神社由緒

一.祭神 少彦名神

一.神徳と沿革

医学の神様として広く信仰されている少彦名神様は太古各地を巡って医術と医薬の道を指導し大勢の病人を救済なさった神徳の高い神様であります。

青木通り(現北日吉町一丁目)は少彦名神様のご駐蹕の古跡に小千国造が神籬を立てて祭祀を行ない、のち社殿を造営された大そう古い神社であります。

江戸時代藩主の祈願所として庶民の信仰あつく、病に悩む人々特に「咳」の守護神として祈願と感謝に奉納する草履は相当の数であったと伝えられています。

明治42年にここに遷座されましたが今も霊験を頂く祈願者は市内一円から附近の町村からそのあとを断ちません。

 

稲荷神社

二の鳥居左手。

 

稲荷神社社殿

 

稲荷神社のお狐さん

 

大己貴神社 大山祇神社 山王神社

 

大己貴神社 大山祇神社 山王神社社号標

 

大己貴神社 大山祇神社 山王神社扁額

 

由緒板

大己貴神社 大山祇神社 山王神社

このお宮の中に三殿をお祀りし中央に大己貴神社、向って右側は大山祇神社、左側は山王神社で明治42年にここに合祀されました。

一.大己貴神社

一般に荒神様と親しみの言葉で呼んでいます。また大国主命、大黒様とも申します。元は宮ノ下、本村城台、新屋敷、八軒家、鯉池、今城、横畑の地区の守護神と七体のご神体が合祀されてあり毎年一度地区毎の氏子で大祭が行われ、お当祭りの神事も続いています。

殖産興業の神、農耕の神として信仰が篤い。

一.大山祇神社

向って右のご殿に、宮ノ下、八軒家の祭神が合祀してあります。

ご祭神は大山祇神、山神信仰により往古よりお祀りされました。

一.山王神社

山王権現社または日吉山王社とも称し、泉川町から合祀されました。土地の守護神、地鎮の神様であります。

 

小祠

由緒

姫坂神社由緒記

社格 延喜式内社・元県社

御祭神 市杵島比売命

御祭神は宗像三女神の一柱で、安芸の宮島の主祭神であることから「宮島さん」とも云われ、七福神の「弁天さん」としても親しまれている。

当神社の起源は「姫の宮」と称して太古より日吉郷姫の宮(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式には式内社に列格されて、朝廷より格別の待遇に預かり時代と共に国司、守護職、藩主の崇敬を受け、氏子庶民の信仰を集めた。

また、日吉郷(市制施行当時の今治市全域)の一の宮であり、江戸時代には今治藩の雨乞の祈願所で、その度ごとに藩主の参拝があり、毎年御蔵米の献納に預かった程であったが、故あって六千二百坪に余る広大にして尊厳、千年を超える歴史を経た姫の宮の社地から現在の浄地に遷られたのは藩政時代も後期のことであった。

明治四十一年郷社に昇格、大正七年県社に列格された。

創建時期は不詳。

 

延喜式神名帳にみえる「伊豫国越智郡 姫坂神社 名神大」の論社とされています。

なお、延喜式神名帳では名神大と記されていますが、これには疑義がもたれています。伊豫國は大七座とされていますが、郡別の大社数を合計すると八座になってしまいます。南海道全体の大社数は二九座であり、伊豫は大七座でないと数が合わなくなることから、伊豫の大社八座のうち一座が誤記ということになります。

伊予の大社がいずれも正五位以上の神階に叙されている中、当社のみが叙位に預かっていないこともあり、越智郡の記載は大二座小五座の誤記で、当社は小社であったと考えられています。

 

また、「伊豫国神名帳」には「正四位 姫坂明神」とあります。

 

当初の鎮座地は別だったらしく数説あります。

  1. 蒼社川支流の泉川左岸・姫宮の地(現在の南日吉町)。『七社詣記』に記述在り。『愛媛面影』に四町ばかり南の田中とあるが、南日吉町は当社から1kmほどあるので、誤記か誤認か。
  2. 今治市上徳の上神宮。現在の上徳高森に鎮座の三島神社かその付近。『今治領寺社明細言上書』に記述有り。
  3. 今治市町谷平山の姫坂神社(三島神社境内社)。

いずれにせよ、近世初頭には現地に奉遷されていたようです(由緒記によれば約200年余前)。

 

 

享保18年(1733)藩主が江戸で立願の事あり、堀江郡太夫が代参。参勤の武士が任務の無事終了と途中の安全を祈願し常夜灯を奉納するなど信仰を集めた模様。

日吉郷一ノ宮と呼ばれ、明治4年には村社、同14年には郷社、大正7年には県社に列せられました(※)(日吉郷…旧今治町=市制施行時当時の今治市全域)。

※『式内社調査報告』の記述に基づく。境内由緒書、愛媛県神社庁サイトでは明治41年郷社表記。『明治神社誌料』では明治4年郷社表記。『特選神名牒』では村社(明治14年郷社)表記。

 

祭神は市杵島比売命とされ、『豫陽郡郷俚諺集』『豫州二十四社考』にもその記載があります。しかしこれは宮島信仰の影響を受けたものと思われ、本来の祭神ではないという見方もあります。

『神名帳考証』『伊豫二名集』では屋船豊宇気姫神を祭神として挙げていますが、論拠は不明確。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

同じく今治市に鎮座する式内社 多伎神社の御朱印も、こちらで頂けます(多伎神社の方が本務社の模様)。

 

アクセス

県道38号沿いに赤い橋(弥栄橋)があります(位置)。この橋を渡り、直進すると神社です。

駐車場は二の鳥居手前の玉垣外側。あるいは参道右脇か(左脇は高校職員用駐車場)。

神社概要

社名姫坂神社(ひめさかじんじゃ)
通称
旧称姫坂明神
住所愛媛県今治市宮下町3-1504
祭神

市杵島比売命

現祭神

『豫陽郡郷俚諺集』

『豫州二十四社考』

屋船豊宇気姫神

『神名帳考証』

『伊豫二名集』

社格等

式内社 伊豫国越智郡 姫坂神社 名神大 ※名神大については疑義あり

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「姫坂神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「姫坂神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 362-363コマ