周敷神社(西条市周布字鈴ノ本)

周敷神社。

西条市周布に鎮座。

式内社 周敷神社の論社。

広告

境内

社号標

 

鳥居

見ての通り参道が長いです(200mちょっと)。

 

境内入口

 

狛犬

 

注連柱と神門

 

手水舎

社殿

拝殿

 

扁額

 

渡り廊下

 

本殿

 

市指定文化財 建造物 周敷神社本殿

平成九年三月二十八日指定

元禄五年(一六九二)の再建。桁行三間梁行二間の切妻造平入りの流造である。度々の修復にも、原形をそこなわず、当時の姿を今にとどめている。

屋根は檜皮葺であったが、現在は銅板葺になっており、軒は二重繁垂木である。彫刻や木組みなどは安土桃山時代の特色をよく伝えており、破風飾りには古代から養蚕が盛んであったことを示す蚕の蛾や桑の葉・実などの彫刻があるのも珍しい。

境内社等

参道入口そばに塞の神

 

周敷神社馬場の塞の神

馬場の塞の神の御神体は以前はこんもり茂った小さい森であったが現在はまばらな木立である。

塞の神は村の入口や峠にあって村に入って来る悪い病気や悪霊を塞ぎってくれる日本固有の民間信仰の神さんである。

中国より渡来した道祖神は旅人の安全を守ってくれる民間信仰の神さんで長い間に塞の神と道祖神は習合して村に入ってくる悪い病気を塞いでくれたり村人の旅の安全を護ってくれる民間信仰の神になった。

又村境は人々が集まり市が出来、若い男女の集まる所から縁結びの神ともなり子供を護ってくれる神ともなった。

周布の塞の神はここと吉田論所近の榎木の所と徳威神神西にある。昔は丹原より周敷神社裏に通じる道の途中のごせの所にあって塞の神より幸の木になったと伝えられている。

 

参道入口横に忠魂社

 

忠魂碑

 

鳥居右手前に金刀比羅宮

 

金刀比羅宮本殿

 

金刀比羅宮本殿前のミニ狛犬

 

鳥居左手に天満宮

 

和霊神社

 

和霊神社狛犬

 

餘戸田神社

左側は神輿庫とかでしょうか

 

白主神社

 

八雲神社

 

社名のわからない境内社多数

愛媛県神社庁のページによると、上に名前を挙げていない境内社は幸神社、壷井社、青木神社、山神社、市杵嶋神社。ちょうど5社なのでそれぞれがいずれかだと思うのですが、上に挙げた白主神社は載っていない…

 

蔵?

 

希少樹木

周敷神社の杜(もり)には珍しい名の木があります。

  • チシャノキ(若葉の味がチシャににている)エゴノキ。樹皮や葉が、柿木にも似ていることからカキノキダマシとも。
  • バクチノキ(樹皮がはがれ落ちる)追いはぎの木、毘蘭樹(ビランジュ)とも。
  • クスドイゲ(ハリネズミの古い呼び名のクスドと、トゲの意味を表すイゲが合わさったもの)雌雄異株で鋭いトゲを持ち、成長するとともに幹のトゲは少なくなる。杜に存在することが最近分かりました。

大事に保護し見守っていきたいです。

 

たぶんバクチノキ

 

クズドイゲ

 

チシャノキはわからず。

 

クスノキ

 

クスノキ

周敷神社には3本のクスノキがあるが、神殿の北西側にあるこのクスノキは、胸高幹周7.5m 樹高20mで樹齢900年と推定されている。クスノキは病虫害が少なく長命で老樹、大木が多いことで知られている。

 

他にも境内には巨木が多くありました

 

市指定文化財 工芸品 周敷神社絵馬(三点)

平成九年三月二十八日指定

周敷神社には、馬面の名手として知られる一方、屏風などの大画面に本領を発揮した、地方でも希有の作家である松本山雪(岨巓)の描いた「白馬・黒馬図」の絵馬が対をなして奉納されており、また、県内有数の絵馬の作者で、猿をはじめとする動物画に秀でた画家として知られる山本雲渓の描いた「韓信の股くぐり」の絵馬も奉納されている。

どちらの作品も、それぞれの作品の特徴がよくでた優れものである。

 

市指定文化財 書跡 一柳直卿の書

一柳直卿は、寛文六年小松藩主一柳直治の長子として生まれ、四十歳で跡を継ぎ、三代目藩主となった。

詩歌・書画など諸芸に優れていたが、特に書道が得意で、当時の三百諸侯中第一の能書家といわれ、将軍家へも習字の手本を納めたほどであった。神仏に対する信仰が厚く、社寺に多くの額を奉納している。

由緒

由緒書

周敷神社

周布本郷一五三二番地に鎮座している、古代の郡家も周敷駅も、この付近にあったと考えられる。主祭神は、火明命、配神は大山祇命、大己貴命、延喜式神名帳記載の神社で伊予国二四座の内、桑村郡三座の一社であるが、当、周敷神社の鎮座地は、周布郡、周布村であって桑村郡でないことから、寛文一〇年西条初代、松平頼純が入国巡視の際、式内社周敷神社について疑義を生じ、天禄八年と宝永二年など何度か調査したが確認できなかった。

享保五年国安村の周敷神社をはじめ、円海寺村蓮宮明神、宮之内村、宮内神社からも、それぞれ式内周敷神社だとの訴えがあり、なかでも国安村周敷神社とは久しく紛争が続いたが結局は中央の神学者、壷井義知の「周敷神社鎮座違郡考」の説に準拠して周布村の周敷神社の勝となり神祇管領、吉田家より裁許状を授けられ、享保七年一応の決着をみた、この周敷神社一帯は湧泉が多く早くから稲作が行われ、周敷郡の政治産業の中心として栄えていた。

天平宝字八年、多治比連真国ら一〇人に周敷連の姓を賜わり、ついで真国ら二一人に周敷伊佐世利宿祢の姓を賜わる。この一族が先祖の神を氏神として祀ったのが周敷神社である。境内、東西三二間、南北三七間、馬場の長さ一三四間、氏子、およそ三一五戸である。神主の伊佐芹家は、周敷伊佐世利宿禰につながるものである。

天正一三年の兵火で社記、宝物など全焼したが、享保七年西条藩六社の一つに加えられ、藩主の代参、神田の寄進があった。旧県社、萬代講、永代講があったが中止された。例祭は一〇月の十五・十六日である。社宝には、延喜式弁疑、松平頼安の寄進状、一柳直卿の社号、掛軸などがある。

創建時期は不詳。

 

続日本紀 天平宝字8年(764)7月己酉(14日)条に「伊与国周敷郡人多治比連真国等十人、賜姓周敷連」、同年10月壬辰(29日)条に「伊予国人大初位下周敷連真国等廿一人、賜姓周敷伊佐世利宿禰」とあり、社家の伊佐芹氏はこの周敷伊佐世利宿禰の後裔といわれています。

 

延喜式神名帳にみえる「伊豫国桑村郡 周敷神社」を当社にあてる説があります。

ただ、当社の鎮座する周布村は周敷郡。このため、寛文10年(1670)をはじめ何度か調査が行われました。

 

また、享保5年(1720)には国安村の周敷神社(現・周敷神社藤原神社合殿)の神主が式内社であると訴え、他に円海寺村蓮宮明神(現・保内八幡神社の境内社周敷神社)、宮之内村宮内神社(現・宮内神社)も式内社を主張し争論となりました。

京都の神学者・壷井義知はこれを調査し、享保4年(1719)『周敷神社鎮座違郡考』を著述。延喜式神名帳には郡が異なる事例が諸国にあること、神号と郡名が同じ場合は必ず同郡に所在することをあげて、周布村周敷神社(当社)を式内社とします。

これに基づき、西条藩は当社を式内社と結論付け、高二石を寄進。

 

天正13年(1585)の兵火で社記焼失しているため詳しい由緒は不詳。

享保7年(1722)には西条藩祈願所六社の一つとされました。

明治5年郷社列格、同14年県社に昇格。

 

現主祭神は火明命で、大山祇命と大己貴命を配祀。

従来、祭神は秘伝とされていたそうで、『西條誌』にも「所祀神三座、大山祇命、神名秘伝、大己貴命」とあって主神は不明となっています。

 

注進状(詳細不明)には「祭神丹比周布大明神」「一ハ云天忍男命」とあるといいます。

『特選神名牒』『伊予国式内神社考証』では、新撰姓氏録左京神別に「丹比須布 火明命三世孫天忍男命之後也」とみえること、また続日本紀に多治比連真国らが周敷伊佐世利宿禰の姓を賜った旨がみえ、これが社家に繋がるとされることから、丹比連から出た周敷伊佐世利宿禰がその祖神を祀ったとみています。

御朱印

御朱印はあります。

参道横に宮司さん宅があり、そちらで頂けました。

アクセス

東予丹原ICを降りて、高架下手前の上図の交差点で南東方向へ曲がり、そのまま道なりに行けば社頭。

金毘羅宮や天満宮のある辺りが多分駐車場。

神社概要

社名周敷神社(すふじんじゃ)
旧称

周敷三嶋明神

三島大明神

住所愛媛県西条市周布字鈴ノ本1532
祭神火明命現祭神
天忍男命一説
配祀

左殿:大山祇命

右殿:大己貴命

社格等

式内社 伊豫国桑村郡 周敷神社

旧県社

御朱印あり
駐車場あり(?)

タイトルとURLをコピーしました