三嶋神社。
今治市町谷、鹿ノ子池公園の近くに鎮座。
境内社(合祀社?)の姫坂神社は式内社 姫坂神社の論社、あるいは当地が姫坂神社の旧地とも。
境内
社頭
右手には法徳寺、天祐寺、観喜寺と3つの寺院が隣接しています。
三島神社の社号標
姫坂神社の社号標
一の鳥居
注連柱
狛犬
二の鳥居
手水鉢
社殿
拝殿
扁額
本殿
本殿前の狛犬
境内社等
姫坂神社?の拝殿
姫坂神社?の本殿
横の石碑には「姫坂社奉遷 社殿修復」とあります。この石碑からして、おそらくこの境内社が姫坂神社だと判断しましたが、確証はありません…
境内社
当社の境内社は大己貴神社、山神社、秋山明神社があるようなのですが、こちらに合祀されているのかも(あくまで大きい方の境内社が姫坂神社だという仮定の下での推測ですが)。
由緒
元明天皇の時(707~715)、国司越智玉純が伊予九十四郷に一郷一社の三島宮を勧請。その内の一社が当社だとされます。
かつては楠谷神社と称されていたようで、現在も扁額に楠谷大明神とあります。
明治12年村社列格。
当社は、延喜式神名帳にみえる「伊予国越智郡 姫坂神社」の旧地ともいわれています。
現在境内社となっている(あるいは合祀されている)姫坂神社は、明治41年境内神社として合祀、昭和21年元の社地に戻し、昭和44年再び合祀されています。
元の社地というのがどこなのかは不明。
『日本歴史地名大系』によると、頓田川左岸の町谷遺跡(正確な場所特定できず、現在の存否も不明)の西北約1kmに姫坂神社跡地と推定される丘(41.1m)がある(壊滅した、とあるので現存しないかも)とのこと。
町谷の頓田川左岸から1kmというと大体鹿ノ子池公園周辺に当たるので、これが上記姫坂神社の「元の社地」にあたるとすれば、そう大きくは動いていないともとれます。
当地を姫坂神社の旧地という説からすると、その現社地は宮下町の姫坂神社ということになるのでしょうか。
その場合こちらに合祀されている姫坂神社は、遷座後に旧地で再興?あるいは本来はこちらが本社、向こうが分祀だったのが逆転した?この辺りの経緯は不明。
御朱印
御朱印の有無は不明。
姫坂神社(今治市宮下町)の宮司さんが兼務されているようです。
アクセス
当社は駐車場がないので、近くにある鹿ノ子池公園の駐車場を借りるのがよいかと思います。
今治から国道196号を西条の方に向かい、今治市町谷交差点(位置)で右折して、1kmほど先(位置、カ鹿ノ子池公園の案内あり)で左折すると鹿ノ子池と公園の間に出ます。駐車場はテニスコート横や、プール・歴史民俗資料館の奥にあります(近年、公園東側にあったごみ処理施設が北に移り、跡地が鹿ノ子グリーンパークなる公園になったようなので、駐車場の位置が変わっているかも…)。
プール・歴史民俗資料館の奥の駐車場からさらに奥に行くと池があり、この池の東から山を越え、下っていくと参道横に出ます。
神社概要
社名 | 三嶋神社(みしまじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 楠谷神社 |
住所 | 今治市町谷甲502乙7 |
祭神 | 大山祇命(三嶋神社) 市杵島比売命(姫坂神社) |
社格等 | 式内社 伊予国越智郡 姫坂神社 名神大(合祀) 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | 旧地は頓田川左岸の町谷遺跡(位置不明)の北西約1km |
参考文献
- 「町屋村」「町谷遺跡」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「三嶋神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987