別宮大山祇神社(今治市別宮町)

別宮大山祇神社。

今治市別宮町、今治駅の北約500m程に鎮座。

伊予国一宮・大山祇神社の別宮。

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境内

国道沿いの鳥居

 

扁額「日本総鎮守 三島地御前」

 

狛犬

社殿

拝殿

 

拝殿左右から

 

案内板

建造物 別宮大山祇神社拝殿

和銅年間(708-714)、越智玉澄公が大山祇神社の地御前としてこの地に勧請した。この拝殿は天正3年9月12日(1575年)来島城主村上三郎九郎越智通総が再建し奉ったものであると、棟札に記されている。

この拝殿は、間口五間、奥行四間、平屋切妻造檜皮葺の建物である。

昭和12年社殿新築のとき、この拝殿を他に移して絵馬殿に使っていたが、昭和20年の戦災で新社殿が焼失したので、元の位置すなわち現在地にもどして拝殿とし、昭和37年解体修理復原工事を施したものである。

棟札写及び風蝕、小屋束の形式等から天正の頃と思われる。当地方唯一の純和様神社建築である。

他に谷文晁画神馬絵馬(市指定文化財)、大樟(市指定天然記念物)がある。

 

本殿

境内社

以下、境内社。3社あります。

阿奈婆神社

社殿向かって右に鎮座。

大三島の阿奈波神社から勧請された社だそうです。

 

社号標

 

社殿横のキノコの様な石は恐らく男根を表したもの

 

阿奈婆神社社殿

清高稲荷神社

阿奈婆神社の右に鎮座。

 

稲荷神社社号標と鳥居

 

お狐さん

 

稲荷神社社殿

荒神社

境内裏手に鎮座。

 

元は寛政6年(1794)に摩利支天宮として建てられたもの。

奈良原神社

一の鳥居脇に鎮座。

 

鳥居

 

奈良原神社狛犬

 

奈良原神社拝殿

 

奈良原神社本殿

この奈良原神社は、楢原山(旧越智郡玉川町、現今治市南部にある山。1041m)山頂に鎮座している奈良原神社(位置)の分霊を祀っています。

楢原山は役小角による開山と伝えられ、山岳修験の霊山となっていました。神社は元々、尾根伝いに南に下った古権現山のあたりに奈良原権現として存在しており、いつの頃からか楢原山の山頂へ移ったようです。

南北朝時代、北朝方に都を追われた長慶天皇が楢原山に一時身を隠したという伝承があります。この際に牛や馬を乗り継いで入山したという伝承から、当社は牛馬の守護神とされました。長慶天皇は、東温市牛渕の浮嶋神社に葬られたといわれ、奈良原神社にも合祀されています。

昭和9年には境内から平安時代末期の銅宝塔などが出土し、「伊予国奈良原山経塚出土品」として国宝に指定されています(現在は玉川近代美術館に収蔵)。その後、氏子全員が離村、今治市内に移ることになったため、昭和47年に当地、別宮大山祇神社境内に分霊を勧請し現在に至ります。

なお山頂の奈良原神社は、昭和には衰退し社殿が倒壊してしまったものの、平成13年に再建されたそうです。

クスノキ

境内のクスノキ3本。一枚目の写真のクスノキ(境内入口付近、奈良原神社横)は戦前から残っている木で、市指定天然記念物になっています。

案内板

市指定天然記念物 クスノキ くすのき科

目通り370cm 樹高17m 樹齢300年以上

県指定天然記念物玉澄の大クスに次ぐ大木である。昭和20年8月の空襲で、市街はほとんど焼失、焔は境内を包み、本殿・拝殿をはじめ社叢も多く焼けた中で幸にこの大クスは焼失をまぬかれた。幹を見上げると無惨な空襲による焼けあとがあり、空襲のすさまじさを記録している。再起した大クスは、信仰の木となり、市民に親しまれている。クスは暖地性の植物で、昔は山地部はもとより、平野部の各地に自生していたのであろうが特に大山祇の神との縁が深く老巨木も多い。この社叢の占有種で、クスの森ともいえる。今治市には名木や街路樹にクスが多いところから市の木はクスとなっている。

この大クスに関わりの深い、「お奈遠」「お佐遠」「お袖」の三姉妹狸の伝説が残っています。

 

天然記念物のクスはお袖大明神が祀られているようです。他2本にお奈遠大明神、お佐遠大明神も祀られているようですが、どちらがどちらかはわかりませんでした。

南光坊

お隣の南光坊はかつての別当寺。

四国八十八ヶ所の一つで、正式には別宮山光明寺金剛院南光坊。四国霊場のうち坊がつくお寺はここだけだそうです。

 

元々、大三島の大山祇神社の法楽所として24坊の別当寺が建立されたことが創始といいます。

その後別宮大山祇神社の当地への勧請に伴い、和銅年間に南光坊含む8坊を移転。移転については正治年間(1199~1201)との説もあり。

これらの僧坊は天正年間(1573~1592)に長宗我部氏によって焼失、南光坊のみ再興され、今に至ります。

 

明治期の神仏分離により境内を分離、社殿の本地仏大通智勝仏・十六王子を本堂に移したそうです。

由緒

境内由緒板

日本総鎮守三島地御前

別宮大山祇神社由緒

御祭神 大山積大神

御祭神大山積大神は、天照大神の兄神で、山の神々の親神にあたられて(古事記 日本書紀)、和多志大神とも云はれ、(伊予国風土記)、日本民族の祖神として、また、地神、海神兼備の大霊神として海上の安全、交通、産業の守護をはじめ日本の国土全体を守護し給ふ神であるところから、古代より日本総鎮守と尊称される。

当神社は、和銅五年(皇紀一三七一年 西暦七一二年)越智玉澄公により、日本総鎮守大山祇神社(大三島町 元国幣大社)の地御前として勧請創建せられ(豫陽盛衰記)伊予国一の宮の別宮として、創建以来、代々の領主、藩主等は勿論、人々に広く篤く崇敬されてゐる。

創建時期については2説あり、大宝年中(701~704)越智玉澄が文武天皇の勅宣により、宮浦に大山祇神社を遷すと同時に地御前として勧請したのに始まるとする説と、和銅5年(712)に越智玉澄が大山祇神社の地御前として勧請したとする説があります。いずれにしても越智玉澄による創建。

 

 

社家は別宮氏(大山祇神社社家・大祝氏の分家)。

元享2年(1322)兵火により宝殿以下焼失、天文20年(1551)落雷で社殿焼失。

天正3年(1575)に来島通総により再建。

 

江戸時代には藤堂高虎はじめ歴代藩主が社領寄進、社殿再建・修理を行うなど維持に努めたようです。

貞享2年(1685)の当社の規模は「神殿三間社釣殿壱丈ニ弐間、拝殿三間ニ五間、社敷長六十間横四十五間也、古木森有、同馬場長百三十四間横六間左右ニ桜有之」だったとのこと。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

国道317号沿い、今治市役所の北東あたりに位置します。

お隣にある南光坊の駐車場案内が出ているところ(位置)から脇道に入ります。

少し進むと境内に入れる場所があります。入ってすぐのあたりが駐車スペースのようです。

神社概要

社名別宮大山祇神社(べっくおおやまづみじんじゃ)
別名三島地御前
旧称
住所愛媛県今治市別宮町3-6-1
祭神大山積大神
社格等

大山祇神社別宮

旧県社

札所等

新四国曼荼羅霊場第四十番

旧四国八十八ヶ所五十五番

御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考伊予国一宮・大山祇神社の別宮

参考文献

  • 「別宮大山祇神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「別宮大山祇神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995