黒嶋神社(新居浜市黒島)

黒嶋神社。

新居浜市黒島に鎮座。通称 黒嶋神宮。

式内社 黒嶋神社に比定される神社。

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境内

参道

一の鳥居は柱だけ残っています。

 

社号標

 

手水舎

 

二の鳥居

 

トマソン的な石段

 

句碑

 

雨遷先生の句碑

雨遷は馬越(中山)三郎先生の俳号なり

旧制西条中学、次いで三島中学で教鞭を取られ、俳句、和歌を愛された。

この作品は昭和三年三島中学校友会誌に発表されたものである。

先生は黒嶋神社の氏子なり。

昭和六十年四月吉日

門弟 真鍋充親建之

「神苑を木深く灯し初詣」

前方の灯籠は宇田屋利兵衛の子孫が、祭、正月には火を灯して参拝者を向えた大晦日の光景である。

 

石段

手前のは鳥居の根巻?

 

狛犬

 

石段上

社殿

拝殿

 

三色之宝珠

昔中国に三色の珠が有り

智 情 意

又は

智 仁 勇

を表わすと云います

三つ心を珠にたとえたのでしょう

一念をこめて持ち上げると珠が軽くなると云います

赤は情

青は智

黄は意

 

本殿

境内社等

若宮神社(荒神さん)

 

松尾神社

 

稲荷神社

 

天神社

 

天神社狛犬

 

石長姫神社

 

祠群(1枚目左端は猿田彦神社、他は不明)

 

中程ですごいねじれ方をしている木

御神木?

 

木の根元に力石 願い石

 

力石 願い石

石を一つ拾い願い込めて持ち帰ります。願いがかなったら、石をもう一つ加えて二つにして返します。

 

鰐石

秀吉の朝鮮出兵の際、当地から参戦した3名の水夫が持ち帰った石だそうです。

 

天然記念物 ツバキの群生林

昭和60年(1985)12月5日 市指定

黒嶋神宮境内に群生する椿は、ヤブツバキの類で、市内の山や林等によく見られる常緑樹ですが、このように、大・小さまざまのヤブツバキの生い茂る林はとても珍しいことです。

この林は、クロガネモチ、クスノキ、エノキ等の大木やヤブニッケイ、サカキ、カゴノキ、アラカシ、イヌガシ、トベラ、マテバシイ等の照葉樹のまじり合った林になっています。

そして、昭和20年(1945)ごろまで、これらのヤブツバキの実から油を採取していたそうですが、今では、小鳥の好いねぐらになったり、花の蜜を吸いにいろいろな小鳥の集まる場所になっている。

この貴重なツバキの林を、みんなで大切に保存することにつとめましょう。

 

案内板を見て近くの木を撮ってみましたが、これ椿でしょうか…

 

社務所兼ご自宅?

ただお留守でした。数年前に宮司さんが亡くなられたという情報がネットにあったので、通常は無人かと思われます。

由緒

式内 黒嶋神社

神社名黒嶋神宮、黒嶋大明神
鎮座地愛媛県新居浜市黒嶋百七番地
祭神大山祇神、木花咲耶姫命、天御中主神
末社天神社、松尾神社、稲荷神社、若宮神社、恵比寿神社、海神社
社格等

延喜式内社(伊豫國二十四社の内)

南朝勅願所、西条藩祈願所(六社内)

明治四年郷社 昭和十四年縣社

沿革斉明天皇西征の折、軍船中の大田姫が産気づき黒島に下船し、神社に安産祈願した所、大伯皇女を安産した。当時この燧灘を大伯海と云っていた。木花咲耶姫命の御神徳とされ、以後遠近より妊婦の参拝が多い。安産石を一ケ持って帰り御礼に二ケにして返すと子供が元気に育つと云う。
祭礼大祭旧暦九月八・九日、現代は新居浜市統一に合わせている。歳旦祭、夏祭(輪くぐり)神嘗祭、大祓、月次祭
文化財等

西条藩主御墨付、各種古文書多数

境内林、市指定天然記念物「椿の群林」

安産祈願、厄除祈願、海上安全、交通安全、家内安全、試験合格、命名相談等に参拝者が多い。

社伝によれば創建は仁徳天皇の御代。

新居郡伊王郷(和名抄の丹上(井上)郷にあたるか)一円の宗社だったとされます。

 

斉明天皇西征の際、船中で大田皇女が産気づいたため、黒島に降り当社に祈願したところ、大来(大伯)皇女を安産したという伝承があります。

当時燧灘は大伯海と呼ばれていたそうで、大伯海で生まれたので大伯皇女と名付けたということでしょうか。

この大田皇女の出産の話は、日本書紀 斉明天皇7年(661)正月甲辰(8日)条の「御船到于大伯海。時大田姫皇女産女焉。仍名是女曰大伯皇女」を指していると思われますが、通説では大伯海は備前国邑久郡(現在の瀬戸内市辺り)付近の海とされています。

 

三代実録 貞観9年(867)2月5日乙亥条に「授伊予国…正六位上浮嶋神從五位下」とある「浮嶋神」について、「黒嶋神」の誤記あるいは旧名であるとし、当社に比定する説があります(『愛媛面影』『新居浜市誌』)。

ただ、東温市に浮嶋神社が存在し、そちらの方が有力説のようです。

延喜式神名帳にみえる「伊予国新居郡 黒嶋神社」もまた当社に比定されています。

 

菅原道真や紀貫之の奉幣があったという伝承も。

 

寛文10年(1670)には西条藩主松平氏が高2石を寄進、西条藩の祈願所六社の一つとします。

 

明治4年郷社、昭和14年県社列格。

戦後、単立神社となり黒嶋神宮と称したようですが、その後神社本庁に所属したようで、現在の正式名称は黒嶋神社となっています。

 

祭神は大山祇命、木花咲耶姫命、天御中主神。

明和5年の寺社奉行届に大山祇命と記されて以降、大山祇命が主神となっているようです。そう定められた経緯は不明。

『伊予温故録』には木花開耶姫が併記、明治4年の神社明細帳では相殿神に。これは当社が安産守護神とされることからくる混同か、と『式内社調査報告』は述べています。

天御中主神が祀られた経緯は不明。

『予陽郡郷俚諺集』『豫州二十四社考』は「所祭神未考」とし、度会延経の『神名帳考証』は「水神 闇御津羽神」とします。

『特選神名牒』は「廿四社考に闇御津羽神とありこの闇御津羽神と云るは讃岐国苅田郡黒島神社の条下にも云る如く黒と闇と音近きより思よせたる説なるべければ信がたし」とします(『豫州二十四社考』と『神名帳考証』を取り違えている?)。

また、『式内社調査報告』は天照皇大神も祭神として記載しているのですが、他資料に見えず不明。

御朱印

御朱印の有無は不明。

以前は授与されていたそうなのですが、先述の通り宮司さんが数年前(2010年代中頃?)に亡くなられたため現在は授与されていないらしい、という情報が古今御朱印研究室さんにありました。

印自体が残っているのであれば、現在の宮司さん(兼務?)や氏子総代さんと連絡が取れれば頂ける可能性もあるかとは思いますが、そのあたりは未確認。

アクセス

松山自動車道の新居浜ICを新居浜市街方面(右手)に降ります。

2kmほど先の交差点(位置)で右折。1kmほど先(位置)で右折して、すぐ先(位置)で左折。

1km先(位置)で右折して、5kmほど先(位置)を左折。

800mほど先、黒島入口交差点の北(位置)で右手の側道へ。

海沿いの道を進み、突き当りを左へ(位置、案内あり、この先道狭い)。

そのまま道なりに行けば社頭石段下に出ます。

 

駐車場は石段右手の社務所下と、石段左手から境内に入った倉庫手前あたりです。

神社概要

社名黒嶋神社〔黑嶋神社〕(くろしまじんじゃ)
通称

黒嶋神宮

黒嶋大明神

旧称
住所愛媛県新居浜市黒島2-11-40
祭神

大山祇命

木花咲耶姫命

天御中主神

現祭神

闇御津羽神

『神名帳考証』
社格等

式内社 伊予国新居郡 黒嶋神社

旧県社

札所等
御朱印不明(過去にはあり)
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「黒島神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「黒嶋神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 386コマ