天神社〔秦天神社〕(総社市秦)

秦天神社。

総社市秦に鎮座。

式内社 麻佐岐神社の論社?

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境内

鳥居

 

随神門

 

手水鉢

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

御前神社

脇に辺津宮御前神社の碑があります。

石畳神社にも辺津宮の碑がありましたが、奥津宮の麻佐岐神社に対する辺津宮なのでしょうか。

だとしても、本社の天神社ではなく境内社をそれとしている理由は不明。

 

若宮社

 

境内小祠

由緒

秦天神社由緒

一、鎮座地 総社市秦二二九七番地

一、創建 不詳

一、社格 村社

一、御祭神 菅原道真公(八四五~九〇三年)

一、祈願 学業成就・国家安泰・家内安全・五穀豊穣

一、祭日 毎年十月第三日曜日

一、由緒

天満宮は「天神」(てんじん)、「天神さま」「天神さん」とも呼ばれて全国にある。正式の社名は、天満神社(てんまんじんじゃ)、祭神の生前の名前から菅原神社(すがわらじんじゃ)などともいわれている。

政治的不遇を被った道真の怒りを鎮めるために神格化し祀られるようになった御霊信仰の代表的事例である。道真を「天神」として祀る信仰を天神信仰という。

道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の藤原清貫が亡くなったことから、道真と雷の神である天神(火雷天神)とが同一視されるようになった。

道真は学問の神様、誠心の神様として全国に祀られている。

なお、鳥居から見て境内右手には、秦原廃寺の瓦の窯跡があり(現在は地中に埋もれている)、また左手の手水鉢は、高梁市有漢町保月にある町指定文化財の保月山二重の塔(嘉元三年(一三〇五))の塔身部分と伝えられている。

創建時期、由緒不詳。

 

とあるサイトによると、延喜式神名帳にみえる「備中国下道郡 麻佐岐神社」に当社をあてる説があるということですが、典拠不詳(何らかの資料に基づくのか、web上で個人が書いたブログ等に拠るのかも不明)。

鎮座地のすぐ南には飛鳥時代に創建された中四国最古の寺院とされる秦原廃寺(塔心礎などがわずかに残る跡地、県指定史跡)があり、周辺には他に多数の遺跡もあることから式内社の可能性はゼロではないと思いますが…

なお秦原廃寺は南門、塔、金堂、講堂、他3つの計7つの建物があり、少なくとも8世紀までは存続したと考えられています。

軒丸瓦が出土しているそうですが、これについて秦の郷のページでは「二種類が確認されており、その一種類が、岡山県内で最古の飛鳥様式の八葉単弁の蓮華文の瓦で、もう一種類は、吉備式と呼ばれるものである」としています。一方『日本歴史地名大系』は「出土の軒丸瓦は素弁八葉の蓮華文瓦で、間弁に珠文を付した飛鳥様式のもの以外に、単弁八葉蓮華文瓦や、重弁八葉の華麗な蓮華文瓦で吉備寺式とよばれる白鳳様式に属するものが目立つ」としており、3種類(飛鳥様式が1と吉備寺式が2?)あるように読めます。軒丸瓦の知識はありませんので詳しいことはわかりませんが…

 

 

『岡山県神社誌』には「天正年間の荒手城主川西三郎左衛門之秀以来、明治維新の際まで、領主から社費並びに幣物の献納があった」とあるのみ。

時期不明ですが村社列格。

 

祭神は菅原道真公。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

総社駅の西にある総社大橋の西詰(位置)から県道278号を北上します。

2kmほど先の分岐(位置)を左に入ります。

1kmほど先(位置)で左に折れ、直進すると神社。

駐車場はありませんが、鳥居向かいにある忠魂碑脇にスペースがあります。

あるいは、鳥居前から南に200m弱行くと、秦廃寺跡見学者用駐車場があります(位置)。秦原廃寺も見学するのであれば、こちらに停めるのがいいと思います。

神社概要

社名天神社(てんじんじゃ)
通称秦天神社(はだてんじんじゃ)
旧称
住所岡山県総社市秦2297
祭神菅原道真公
社格等

式内社 備中国下道郡 麻佐岐神社(典拠不詳)

村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし(秦原廃寺見学者用駐車場はあり)
公式Webサイト
備考境内南に秦原廃寺(県指定史跡)あり

参考文献

  • 「秦原廃寺」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「天神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 岡山県神社庁編『岡山県神社誌』岡山県神社庁, 1981
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