横田神社(総社市久代)

横田神社。

総社市久代に鎮座。

式内社 横田神社に比定される神社。

広告

境内

一の鳥居

 

狛犬

 

二の鳥居

 

手水舎

 

石碑

おそらく『式内社調査報告』にみえる「天保7年(1836)に久代村大庄屋渡辺綱桜が建立した石碑」ではないかと思われます。

 

回廊入口

境内には拝殿を中心として丁字(南が長め)に回廊があります。

 

随神門(横から)

 

拝殿への回廊

 

鐘楼

 

手水鉢

 

古い鳥居?

 

社殿脇の扁額

上掲の鳥居に掛かっていたもの?

社殿

拝殿

 

社号・祭神札

 

和気清麻呂公像?

 

本殿

境内社等

社殿右手に天神社

 

天神社の回廊

 

龍田神社

 

廣瀬神社

 

境内東にある横田公会堂の方を向いた境内社が数社

公会堂が拝殿扱いなのか、元から境内社があったところに公会堂が割り込んだのか。

 

神楽殿

 

社務所

由緒

横田神社の由来

横田神社は、その創立年代は不詳ですが、平安時代の九二七年に編纂された「延喜式」に所載された「式内社」です。当時、この「延喜式」に所載された神社(式内社)は、毎年の祈年祭にあたり国家的な奉幣を受け、他の一般の神社とは別の待遇を得ていました。総社市内には、この横田神社も含めて式内社は七社あります。

境内にある天保七年(一八三六)に建立された石碑や社伝によると、横田神社は、嘉祥四年(八五一)に正六位上、貞観元年(八五九)に従五位下の神階を授けられましたが、中世には衰微し、天正十三年(一五八五)に天神宮として再建されたといわれています。のち、宝暦七年(一七五七)に社殿が大破しましたが、文政十年(一八二七)には修理が完了して遷座式が行われています。

その後、天保七年(一八三六)頃までの間に横田神社と改称し、さらに整備がなされたといわれています。

御祭神-天穂日命(あめのほひのみこと)

御祭日-十月二十一・二十二日

創建時期は不詳。

延喜式神名帳にみえる「備中国下道郡 横田神社」は当社に比定されています。

しかし古来の由緒は不詳。

 

『吉備郡神社誌』に当社にまつわる伝説として「人皇四十代天武天皇二萬村の行宮に在らせられし時、天智天皇の御子、大友皇子天皇を弑し奉らむとして、大軍を率ひて来り攻め給ふ時に当り、天皇自ら斎戒沐浴して、天神地祇を奉斎、戦勝を祈願せられしに、遂に大捷し給ふ。依て小祠を建立して、崇敬あらせられたり。(中略)即ちこの小祠こそ、現今の横田神社とぞ」とあるようです(『式内社調査報告』より引用)。

 

中世期までに衰微したようで、天正13年(1585)に宍戸元孝が再興。

『吉備之志多道』によればこの時、一町西の山にあった天満宮を合祀し、以降天神宮(神の字を清みて読むなり、とあるので「てんしんぐう」?)と呼ばれるようになったといいます。

その後天保7年(1836)までに横田神社と改称。

 

明治4年に村社列格。

 

祭神は天穂日命。

天保7年の石碑には天穂日命を祀ることが記されているので、この頃には既に祭神とされていたと思われますが、再興以前もそうであったのかは不明。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

総社大橋の西詰から県道80号を4kmほど行ったところ(位置)で北(右手)に折れます。

その先に一の鳥居があるので、鳥居の脇を通って更に北へ進みます。

二の鳥居前で道は左右に分かれますが、どちらでも大丈夫です。

駐車場はありませんが、左手に行った場合は境内北(社殿裏手)、右手に行った場合は境内東(横田公会堂の後方)から境内に乗り入れて停めることができます。

神社概要

社名横田神社(よこたじんじゃ)
通称
旧称天神宮
住所岡山県総社市久代3632
祭神天穂日命
社格等

式内社 備中国下道郡 横田神社

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「久代村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「横田神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 岡山県神社庁編『岡山県神社誌』岡山県神社庁, 1981
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十二巻 山陽道』皇學館大学出版部, 1980
タイトルとURLをコピーしました