山崎忌部神社(吉野川市山川町忌部山)

山崎忌部神社。

吉野川市山川町忌部山に鎮座。忌部山の中腹にあります。

式内名神大社 忌部神社の論社。

アクセス

国道192号沿いに、忌部神社の案内看板が立っています。

この辺り。

ここを曲がって道なりに南へ。

突き当りまで行くとまた看板がありますので、案内通りに山の中へ坂道を上ります。少し上ると右手に社殿が見えます。

ちょうど社地から道路を挟んで向かいに駐車場があります。

ここ。トイレもあります。

境内

手水舎

当社、駐車場側から入ってくると鳥居がありません。拝殿右手に階段があり、そちらが正式な参道。

 

拝殿右手の狛犬。この狛犬の間から下に本来の参道の階段が伸びています。

 

忌部神社正蹟の石碑

 

少し下った場所に鳥居

 

更に下ると両脇に石柱。何か意味を持つ石柱なのか、あるいは昔の鳥居の跡か何かか。

2015年参拝時はご覧の通り草ぼうぼうでしたが、2019年に再訪時はきれいに整備されていました。

 

参道から吉野川方面

社殿

拝殿。鉄筋コンクリート造。昭和43年に建てられたようです。

 

扁額

 

本殿

由緒

由緒板

忌部神社

当社の祭神は天日鷲命・后神言筥女命・天太玉命・后神比理能賣命・津咋見命・長白羽命・由布洲主命・衣織比女命である。住時は黒岩と呼ばれる處にあったが応永2年(1396年)秋の地震で社地が崩れ現地に祀られる様になったと言われる。忌部神社に就いては延喜神名帳にも記載されて居り、明治4年(1871年)には国幣中社として列せられているが、その正蹟に就いては神社間に種々争いやもめごともあったが、忌部神社正蹟考の研究資料に基く各方面からの考察に依って見ても忌部神社の正蹟は山崎の地であることは先ず正しいと考えられる。大正、昭和、平成大嘗祭にはこの境内に織殿を設け荒妙を織り貢進した事績や裏山の忌部山一帯には古墳を初め数多くの歴史的事蹟を蔵している。

創建時期については不明。神社明細帳では皇紀二年二月二十五日の創建としているそう。

上記境内由緒書の通り、かつては少し高い場所にある「黒岩」と呼ばれる地に鎮座していました。

応永2年(1384)の大地震にて社地崩落、現在の社地にあった王子権現のそばに小祠として祀られたとのこと。

御所神社の記事でも述べたとおり、かつて御所神社はじめ複数の神社と忌部神社正蹟争いがありました。その結果争いを治めるための太政官の妥協策により、明治18年に忌部神社は徳島市へ遷座。

(現鎮座地は徳島市二軒屋町の忌部神社)

『徳島県神社誌』によれば当社は明治25年以降明細帳から削除されていましたが、大正8年に天日鷲神社と称し明細帳に再編入。昭和42年に氏子の熱望により山崎忌部神社と改称し今に至るそうです。

現在では、当社裏山の忌部山古墳群の発掘調査の結果から、当社が式内忌部神社であったこと、当地が忌部の勢力圏の中心であったことが裏付けられています。

残念ながらこの参拝時、2点見落としてしまっていました。

1つは境内にある「麁服織殿跡」。

大正・昭和の大嘗祭のときに忌部氏の後裔とされる木屋平村(美馬郡)の三木家が荒妙を織って貢納したときの跡。

もう1つは「青樹杜の立石」。

天日鷲命の廟所とも神殿跡とも伝えられているらしい所。

神社より少し下った森の中、忌部谷と言われる場所にあるそう。

これ以外にも摂社として、岩戸神社、建美神社、天村雲神社、淤騰山神社、白山比売神社、若宮神社、玖奴師神社が周辺にあり、古来「七社参り」と称して毎年正月十五日の未明全村あげて巡拝し正月送りを行う風習があったそう。

御朱印

御朱印の有無は不明。(ネット上の情報によればなしとのことですが、実際に確認したわけではないので)

現在は、山川町八幡にある八幡神社の兼務社のようです。

神社概要

社名山崎忌部神社(やまさきいんべじんじゃ)
旧称天日鷲神社
住所徳島県吉野川市山川町忌部山14
祭神

天日鷲翔矢尊

后神言筥女命

天太玉尊

后神此理能賣命

津咋見命

長白羽命

由布洲主命

衣織比女命

社格等

式内社 阿波国麻殖郡 忌部神社(名神大 月次新嘗 或号麻殖神 或号天日鷲神)

旧村社(一時 国幣中社)

御朱印不明
駐車場あり(境内の道路挟んで向かい)
備考かつては少し南の「黒岩」の地に鎮座、応永2年(1384)の大地震にて社地崩落し現地に移転

コメント