葦稲葉神社(上板町神宅)

葦稲葉神社。

上板町神宅に鎮座。

続日本後紀、日本三代実録に見える葦稲葉(羽)神に比定される神社(国史見在社)。

また、合祀の鹿江比売神社は式内社 鹿江比売神社の論社。

境内

社頭の由緒書。文字がほぼ消えてしまっています。

 

社頭

 

鳥居と扁額。左から「鹿江姫神社」「葦稲葉神社」「殿宮神社」

 

手水舎

 

狛犬

社殿

拝殿

 

拝殿左側には葦稲葉神社、右側には殿宮神社の扁額

 

拝殿後方に本殿が二棟。左が葦稲葉神社、右が殿宮神社。

葦稲葉神社の社殿に葦稲葉神と鹿江比売命を合祀しているそう。

本社と摂社が同規模の社殿で並んでいるのは珍しい気がしますね。

境内社等

社殿脇の小さな祠

 

社殿左手前の石祠

 

社殿右の井戸(?)

 

社日

由緒

葦稲葉神社の創建年代は不詳。

往古は大山畑葦野原に鎮座したが、水害で宮ヶ谷の尾端に遷座、その後火災で社殿消失し現在地へ遷座した、とされています。

続日本後紀に承和9年「阿波国无位葦稲葉神」が従五位下を授けられたとあり、三代実録に貞観9年に従五位上から正五位上、同16年に従四位下、元慶3年に従四位上を授けられたとあります。

鹿江比売神社の合祀の時期、経緯は不明。元鎮座地も不明。

上板町史によれば、大山畑の葦稲葉神社の近くにあったが火災にあい、宮ヶ谷川河畔に移っていた葦稲葉神社に合祀、その後殿宮神社に合祀されたと考えられる、とのこと

殿宮神社は素盞嗚尊を祭る摂社。

創祀は不詳ですが、土御門上皇の行宮の一つであったことにちなむ社名であると伝えられているそうです。

社伝では、天文年間(1532-55)に殿宮神社に他の二社が合祀されたとしているそうです。

このためか、現在の通称は殿宮神社。

それぞれの話を合わせると、往古大山畑に葦稲葉神社と、その付近に鹿江比売神社が鎮座。

葦稲葉神社は水害で宮ヶ谷川河畔に移り、後に火災にあった鹿江比売神社が葦稲葉神社に合祀。

その後葦稲葉神社も火災にあい、現社地に祀られていた殿宮神社に2社が合祀…と言った流れでしょうか。

ただし、倉稲魂命を祭神とする葦稲葉神社の方が、沖積平野部の当地を元鎮座地とするにふさわしいと見る考えもあるようで、合祀されたのは殿宮神社の方かもしれません。

神社の北に聳える大山(約700m)は八合目に平安時代創建の大山寺があり、大山津見命のいますところとしてあがめられています。

鹿江比売命は草祖草野姫命や野椎神とも言われ、「古事記」では大山津見神と夫婦神としています。

鹿江比売神社の元鎮座地はわかりませんが、何らかの関連性をあるのかも。

 

殿宮葦稲葉神社御造営記念碑

葦稲葉神社は葦稲葉大明神と号し倉稲魂命鹿江比賣命を殿宮神社には素盞嗚命を夫々主祭神として奉祀せり神宅の地名も亦當神社と由緒浅からぬもの有りこの三社大明神特に式外社とす神位高き葦稲葉神社は由緒厚き古社にして人皇五十四代仁名天皇承和九年從五位の下を授けられ五十六代清和天皇貞觀九年四月二十三日從五位の上を授けられ同十六年三月十四日從四位の下を授けらる五十七代陽成天皇元慶三年六月二十三日從四位の上を賜る斯く古来上下厚き尊崇を受けたり

しかるに當神社の御拝殿並に御輿庫は幾十星霜を経て老朽は著しきため御神慮を畏みまつる氏子崇敬者その総意を結集して曩に御造営奉賛会を結び熱誠を以って多額の淨財を寄進す

氏子総代をはじめ奉賛会役員委員一同誠意を盡くし昭和の御造営見事に竣成す

茲に神徳崇高なる殿宮葦稲葉神社御造営の概略を記し永く後世に傳へんとす

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

徳島自動車道上板SA(上り)の南1km程の場所。

県道12号と102号が交わるやたらと交差の多い場所を西へ入ると神社前へ。

この辺りから車を入れられます。境内西側が駐車スペースの模様。

神社概要

社名葦稲葉神社(あしいなばじんじゃ)
通称殿宮神社
住所徳島県板野郡上板町神宅字宮ノ北45
祭神

葦稲葉神(倉稲魂命)

鹿江比売命(合祀の鹿江比売神社)

素盞嗚尊(摂社 殿宮神社)

社格等

続日本後紀 承和九年十月壬戌(二) 葦稲葉神 従五位上

日本三代実録 貞観九年四月廿三日壬辰 葦稲羽神 正五位上

日本三代実録 貞観十六年三月癸酉十四日 葦稲葉神 従四位下

日本三代実録 元慶三年六月廿三日壬午 葦稲羽神 従四位上

式内社 阿波国板野郡 鹿江比賣神社(合祀の鹿江比売神社)

旧村社

御朱印不明
駐車場あり(境内駐車可)

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