佐麻久嶺神社(いわき市平中山字宮下)

佐麻久嶺神社。

滑津川沿いの丘の上に鎮座。

式内社 佐麻久嶺神社に比定される神社。

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境内

表参道側の鳥居

 

扁額

 

石段

けっこう急な階段なので、足元注意です。

 

手水舎

 

狛犬

 

市内最古と言われる杉の御神木

幹回り約8m、樹高は25m以上、樹齢は1,200年余だそうです。

 

裏参道の鳥居

社殿

拝殿

正面からは収まり切らなかったので撮りませんでした。

 

扁額

 

本殿

現在の社殿は平成17年に建て替えられたもののようです。

境内社等

八坂神社

 

諏訪神社

現社殿は震災後に大阪の玉造稲荷神社より寄贈されたものだそうです(下記参照)。

 

諏訪神社 御祭神 健御名方命

元は中山諏訪下地区に於いて祭祀されており九月の例祭日には三匹獅子舞などの奉納もされていました。諸般の事情により当社境内末社として祀っておりますところ先の東日本大震災で社殿が傾き再建を神社総代とともに検討していたところ大阪府神道青年会(会長森山公康氏)が被災した神社を支援する事業を行なうことになり当社への社殿の寄贈が決まり玉造稲荷神社様所有の社殿を末社諏訪神社社殿として鎮座いたしました。ありがとうございます。

 

子安神社 相殿稲荷社

 

名称不明社と石祠

境内社として他に古峯神社と熊野神社があるそうなのでそのいずれかか。

 

神楽殿

由緒

総鎮守 延喜式内 佐麻久嶺神社

五十猛命をまつる慶雲元年四月(西暦七〇四年)勧請で神名帳磐城七社の一つである。

御父神、素盞嗚命と共に日本の国土に木草の種子を蒔き田畑、山岳等造化に功績を残された神である。

当神社の旧屋根は急勾配の萱葺で千木がそびえる特徴のある社殿であった。昭和五十年十月ふき替、改修された。

又当神社には、旧飯野村出身の戦没者百十五柱の英霊を祀る忠魂の碑が建てられている。

おりしも平成十三年は西暦二〇〇一年、平成十六年は勧請されてから一三〇〇年、記念すべき年とうけとめ、ここに村田知義氏のご好意により神輿一基、御宝蔵(みこし庫)一棟、石造りコマ犬一対を含めた記念碑を建立するものである。

社伝によれば慶雲元年(704)、紀伊国名草郡日前国懸大神より五十猛命を勧請したのが創祀とされます。

ただ、五十猛命は日前国懸神宮の祭神ではなく、伊太祁曽神社の祭神のため、実際は伊太祁曽神社からの勧請のようです。伊太祁曽神社はかつて日前国懸神宮の地に鎮座していたとする伝えもあり、そこからの混同とも考えられます。

また別の説として、『石城郡誌』『石城郡案内』は神護景雲元年(767)の創祀としています。

 

延喜式神名帳にみえる「陸奥国磐城郡 佐麻久嶺神社」に比定されています。

 

社伝では寛治5年(1091)源頼義が奥州征伐のとき、祈願して供田を寄進したといいます(『石城郡誌』『石城郡案内』は頼義を義家とする)。

しかし頼義は承保2年(1075)に亡くなっており、義家にしても、後三年の役は寛治元年(1087)に終わっているため、史実と合わない内容です。

 

当社のWebサイトによれば、応仁の乱の頃に神官中山彦次郎は戦に巻き込まれ祭事を廃し、旧記や神領等を失ったため、娘が矢田村に家を移しそちらに神を勧請。

神霊は旧社を慕って毎夜中山の嶺(現社地)に光を放つので、矢田村の村主は嫌がって社を取り壊しますが、彼の子孫は神の怒りにふれて滅亡したとされます。

 

その後旧地である現社地へ還座。

中世の頃、佐麻久嶺神社は所在・祭神とも不明となっていたとされるので、上記の移転の頃はどういった神社であったかは不明。旧記を失った、とあるのでその時から由緒が不明になったのでしょうか。

 

平城主内藤義慨・義孝の時代(1670~1712頃)に探索考証が加えられ、式内社に比定されました。

所在については、当社所蔵の延宝6年(1678)から始まる覚書の表題に「奥州岩前郡佐麻久峯大明神覺書」とあるため、延宝6年までには比定がされたようです。

祭神については当社所蔵元禄10年(1697)の棟札の写しに「奥洲磐前郡中山佐麻久峯社神ハ不何神託之而何時定一レ之也」とあるため、元禄10年から義孝の亡くなった正徳2年(1712)までの間に決定されたと考えられます。

 

元禄10年(1697)の棟札の写及び延宝6年(1678)から始まる覚書によれば、延宝8年(1680)火災にて社殿焼失、天和3年(1683)領主内藤義泰(義概)により再建。

神社Webサイトによれば天和2(1682)年3月、雷火にあって焼失、翌年再建とありますが上記と焼失時期がずれます。

貞享元年(1684)遷宮、元禄10年修補、享保8年(1723)屋根の葺替え、同9年(1724)遷宮、元文2年(1737)屋根の葺替え、宝暦10年(1760)建替え。

 

明治9年郷社に列格。

 

祭神は五十猛命とされています。

異説として渡会延経の『神名帳考証』は石城国造の祖、神八井耳命を祭神として挙げています。

いずれにせよ江戸期の考証に基づくものなので、本来の祭神はまた別であったのかもしれません。

御朱印

御朱印はあります。

表参道の階段下の宮司さんご自宅(兼社務所?)でいただけます。

アクセス

いわき駅から国道399号を東に向かい、平下神谷で国道6号(常磐バイパス)に乗って南へ。

国道を平中山で降ります。

降りたところ(位置)から西に進み、セブンイレブン前の信号(位置)を南に曲がります。

300mほど先(位置)を左に折れると、突き当りに参拝者用駐車場入口があります。

駐車場(位置)は神社裏手になり、裏参道からの参拝となります。

 

表参道の方へ車で行くことも可能ですが、道がちょっとわかりづらいです。

 

地図直リンク

いくつか道はありますがたとえばこんなルートで表参道へ行けます。表参道側にも駐車スペースあり。

神社概要

社名佐麻久嶺神社(さまくみねじんじゃ)
通称中山様
旧称
住所福島県いわき市平中山字宮下81
祭神五十猛命
社格等

式内社 陸奥国磐城郡 佐麻久嶺神社

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttp://佐麻久嶺神社.jp
備考

参考文献

  • 「中山村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「佐麻久嶺神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 446-447コマ