飯豊比売神社。
新白河駅の北約7kmの場所に鎮座。
式内社 飯豊比賣神社に比定される神社。
境内
社頭
ここからだと石段が少し見えるだけなので、知らなければ神社があるとは気付けないかも。
参道には石柱がいくつか倒れていたのですが、これらが石碑なのか玉垣の跡なのかはわかりません
石段下まで来ると灯籠と上の社が見えてきます
延喜式飯土用姫命
当社の東に飯土用の地名があります。関連があるのか。
なお当社の鳥居は境内から900mほど東に建っているようです(位置)。
社殿
社殿覆屋
中に小さなお社
境内社等
社殿脇に祠
境内にはこんな風に岩がごろごろしています
そのうちの一つに注連縄?が置かれていました。
社殿後方にも岩がごろごろしています
由緒
創建年代は不詳。
以前(明治以前?)は鹿島宮を称していたようです。
『八槻大善院旧記』に陸奥国風土記逸文として以下の記述があります。
「陸奥国風土記曰。白河郡飯豊山、此山者豊岡姫命之忌庭也、又飯豊青尊、使物部臣奉御幣也、故為山名、古老曰、昔巻向珠城宮御宇天皇二十七年戊午、秋飢饉而人民多亡矣、故云宇恵々山、後改名云豊田、又云飯豊。」
意味としてはおおよそ以下のようなもの。
「この飯豊山は豊岡姫命の忌庭である。また、飯豊青尊が物部臣を遣わし御幣を奉ったので飯豊山という名になった。古老がいうには垂仁天皇27年の秋に飢饉があり多くの人民が死んだので宇恵々山といい、後に改めて豊田といい、飯豊ともいう」
豊岡姫命は豊受大神の別名だそうです。
他に飯豊の名の由来としては、湯出から転じたとか、「いひとよ」は古語でフクロウのことを指すので、そこから転じたとかと言った説があります。
また、福島・新潟・山形の県境に飯豊山(いいでさん)があり、関係があるようにも思えますが、不明。
延喜式神名帳にみえる「陸奥国白河郡 飯豊比賣神社」に比定されてはいますが、根拠は不詳。
また詳しい由緒も不詳。
『式内社調査報告』では伴信友の『神名帳考証』の以下の一節を挙げ、傾聴すべき説であると述べています。
「聞老、顕宗姉有飯豊皇女、然是時皇化未及東奥、忠満云、白河郡イヒトヨ村アリ、又会津ニ飯豊山アリ、国中ノ大山ニテ出羽越後カケテ三国ニマタガレリ、四時雪タエズ、山上ニ社アリ、飯豊権現ト云フ、飯豊国俗イヒデト呼、白河郡ナルハ此社ヲ、後ニ此処ニモマツレルナルベシ」
この説によれば、当社は飯豊山の飯豊権現を勧請した…ということになるのでしょうか。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
県道281号を起点(位置、国道294号との接点で白河駅や新白河駅から10~15分程度)から西へ2kmほど行ったところに当社はあります。周りに案内等は全くなく、道路からは社殿も参道も木に隠れて見えないので非常にわかりづらいです。
目印として、鎮座地の丘の麓にこんな小屋があります
この小屋の裏手が参道。駐車場はなかったので、参道手前の路肩に停めました。
神社概要
社名 | 飯豊比売神社(いいとよひめじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 鹿島宮 |
住所 | 福島県白河市大信豊地字鰻谷地19 |
祭神 | 飯豊比売神 |
社格等 | 式内社 陸奥国白河郡 飯豊比賣神社 旧無格社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「飯土用村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「飯豊比売神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987