綿津見神社(飯舘村草野字宮内)

綿津見神社。

飯舘村草野字宮内に鎮座。

式内社 苕野神社の論社。

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境内

一の鳥居から南に600mほど、飯舘村公民館近くの交差点に建つ社号標

 

社頭

右手の道の先には社務所と駐車場があります。

 

鳥居

大晦日の参拝だったので、飾り付けがされていました。

 

扁額

 

社号標

 

狛犬

 

手水舎

 

石段

 

二の鳥居

 

社殿前の狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

 

社殿裏にこんな物が…

2016年末の時点で飯舘村はまだ全域が避難指示区域(帰還困難区域に指定されている一部以外は日中の立入は可能。ただし関係者以外は本来控えるべきとされています)。私が訪れた際にも0.5~1μSv/h程を示す線量計を見かけました。

その後2017年3月末をもって村の大部分(長泥地区以外)は避難指示が解除されました。

境内社

境内社の雷神社だと思うのですが、時節柄か古札納め所に…

 

離れて見るとこんな感じ

年明けて元日の深夜1時頃にも参拝したんですが、納められた物はその時次々と焼かれていました。

由緒

綿津見神社由来碑

祭神 闇於迦美神 五十猛神

    大綿津見神 玉依姫神

    鎌倉権五郎景政の神霊

例祭 四月二十九日

昔この地で生活を営んでいた祖先達は水と木の恵みを神のみ業と崇め苕野の神と呼んで水の神としてクラオカミの神を、木の神としてイタケルの神をまつり、地名を草野と定めたのは大同二年四月であったと伝える。オオワタツミの神は八竜神とも呼ばれる海の神で降雨をつかさどる。タマヨリ姫はワタツミの神の御子で竜宮の乙姫さまと同神である。

応永十三年岩松義政が真野七〇〇町山中三〇〇町を領するに至り、応永十五年には山中一の宮と称せられた。熊川氏が草野の館主となるや八竜明神と武人の守護神である鎌倉景政の霊とを合せ祀り社名も八竜大明神と称した。嘉永六年六月山中郷大旱魃の折には代官を始め村をあげて雨乞いをした。

明治元年社格を郷社と定められ山中郷全域の崇敬を集め明治三年神仏分離令により綿津見神社と改称し現在に至る。なお現社殿は寛政十年正月九日野火のため焼失同年四月新たに造営されたものである。

 

草野郷発祥之地碑

草野郷発祥之地

草のゝかう 三十三貫六百二十五文

伊達の「御段銭古帳」(賦課税台帳)天文七年(一五三八)の条にあり、現在の飯舘村全域は「草野郷」と呼ばれていた。綿津見神社は、当初「苕野神社」と称し、「くさの」の地名の由来となった。

由緒によれば創建は大同2年(807)。

標葉郡の延喜式内社、苕野神社から勧請されたのが始まり。

 

 

戦国時代には飯舘村一帯は草野郷と呼ばれていたそうです。

これは当社の当初の社名、苕野神社に由来するものであるそう。

 

応永13年(1406)岩松義政が当地を領すると、応永15年(1408)に山中一の宮と称したといいます。

元和6年(1620)熊川長春が舘主となると領民の安寧を願い、氏神の八龍大明神を合祀、八龍大明神と改称。

 

寛政10年(1795)野火のため社殿焼失。同年、熊川氏により再建。

嘉永6年(1853)山中郷大旱魃の際には、代官を始め郷を挙げ雨乞いが行われました。

 

明治元年(1868)郷社列格(ただし『明治神社誌料』は明治9年の列格とする)。

明治3年(1870)社名を綿津見神社へ改称。

 

『日本歴史地名大系』には「近年の調査によると苕野神社に相馬一門の熊川氏の氏神八龍大明神を合祀したものとされる」とあり、当社こそが延喜式神名帳の「陸奥国標葉郡 苕野神社」だとする説もあるようです。

しかし「近年の調査」というのが具体的に何を指すのかは不明。『式内社調査報告』でも特に当社を苕野神社の論社として挙げてはいません。

強いて言えば冠嶺神社(上栃窪)の項に、冠嶺神社に遷されたとされる「苕野神社」は現在の浪江町鎮座の神社ではなく、当社ではないかという一節があるのみ。

 

神社でいただいた略記にも苕野神社の論社であるという記述があり、また「嘉永年間(1848~53)の相馬中村藩が作成した「村々調」(相馬市歴史資料館蔵)には、当社は草野神社として標葉郡(現在は双葉町浪江町)の神社をお移ししたものです」ともあります。

この「お移しした」を勧請ではなく遷座と取れば、延喜式の頃には標葉郡(現浪江町)に鎮座していた苕野神社を後年行方郡の当地に遷座したという説があるとして、当社を苕野神社論社と考えることができます。

 

2011年の東日本大震災で津波の被害を受け御神体が行方不明になってしまった浪江の苕野神社が、元々苕野神社の御分霊であるとされる当社の御分霊を受けた、ということがありました。

これからすると、現在は浪江の苕野神社を式内社と見るのが有力というか通説なのでしょうか。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

南相馬方面からは県道12号をひたすら西へ。

南相馬ICから19kmくらい走ったところ、飯舘村交流センターふれ愛館付近の交差点(位置)に冒頭の社号標が立っています。

 

福島方面からはいくつかルートありますが、Google mapのおすすめは福島駅の東から国道114号を南下し、川俣町の交差点(位置)で大きく左に折れて国道349号に入り、1kmちょっと先(位置)で右折して県道12号に入ってそのまま13kmほどというルート。

 

社号標のところから600mほど北に行くと鳥居が見えてきます。

鳥居の右手の道を奥まで進むと、駐車場があります。

神社概要

社名綿津見神社(わたつみじんじゃ)
通称
旧称

苕野神社

八龍大明神

住所福島県相馬郡飯舘村草野字宮内156
祭神

五十猛神・大屋津姫神・抓津姫神・闇於加美神(苕野神社)

綿津見大神・玉依姫神・鎌倉権五郎景政(八龍大明神)

社格等

式内社 陸奥国標葉郡 苕野神社

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「綿津見神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「綿津見神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 455コマ