大御和神社(徳島市国府町府中字田渕)

大御和神社。

徳島市国府町府中に鎮座。

式内社 大御和神社に比定される神社で、阿波国総社の論社。

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境内

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

大きなクスノキ

御神木?

 

手水舎

 

虎?の像

 

狛犬

 

脇参道(南側)の鳥居

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

境内社鳥居

 

境内社

赤いほうが稲荷神社、茶色い方が若宮神社ではないかと思いますが、不詳。

 

江之島神社

 

参道脇にある玉垣に囲われた場所

盛土がされていますが、何でしょうか。

 

新造縣社大御和神社石垣記

縣社大御和神社距徳島市半里許在國府町要衝境内老松古杉蔚々然蒼々然櫻樹藤架點綴其間清致幽趣別自為神域而其周圍限以溝渠古來無所謂玉垣者鄕人以為遺憾屡議築造而未果昭和十五年庚辰値紀元二千六百年之慶於是衆欲以此為記念事業必成積年之志十月開氏子総代会決之今茲三月再会議設計豫筭等每區嘱世話人廣募財於氏子及崇敬者聞者相争寄貨僅月餘而経費已成乃挙工事委員以五月起工委員長町長原田量之励精董役専従其事至十月而竣延長百七十有六間以花崗石造之東南面道路處則所在設燈籠於柱頭其偉麗荘嚴興境内風致相須他不多觀其類也雖衆力共同所致而非神德嵩高使然安得成功之速如此乎抑神威之赫奕不関於垣之有無而衆之竭力於此者㞮乎敬虔至情不能已況敬神本於我國体所繋不小則此一挙豈啻為外観之美乎哉頃者欲建碑傳建設功勞者名於後求予記余終始亦興於其事不得辞乃叙其梗概云

由緒

大御和神社略記

御祭神 大貴己命(大国主命)

由緒

延喜式内小社で、「府中の宮」と親しまれている。王朝時代国司政庁が此の地におかれ、阿波国古代の祭政の中枢となり国府の鎮守として累代国司の崇敬の厚かった社である。本社は国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし神徳により印鑰大明神とも称したと伝えられる。「印鑰」即ち国司の官印と諸司の蔵のかぎが紛失せぬように祈り、又神社の中に保管したという。明治三年大御和神社と奉称し、同五年郷社に列せられ昭和十一年県社に昇格した。

御神徳

大貴己命(大国主命)はこの国土を拓き農業、工業、産業すべての開発、家内安全、方除、治病、交通、縁結びなど世の中の幸福を増進することを計られた、人間生活の守護神として尊崇されている。

創建時期は不詳。

大和の大神神社からの勧請とする説も。

 

阿波国府はこの辺りに置かれていたとみられ、当社はその鎮守であったともいわれます。

当社において国司の官印と諸司の蔵の鍵=印鑰の保管と安全祈願をしたとも伝わり、こういった理由からか阿波国総社とする説もあります。

また、延喜式神名帳にみえる「阿波国名方郡 大御和神社」は当社に比定されています。

 

以降近世までのことはよくわかりませんが、藩政期には名方郡十二社の一つに数えられたといいます。

当時は前述の印鑰の伝承から印鑰大明神、あるいは府中の宮(こうのみや)と称されていました。

明治3年に大御和神社に改称し、明治5年郷社列格、昭和11年県社に昇格。

 

なおネット上に、阿波市土成町浦池にある奇玉神社(薬王寺神社)(位置)が当社の旧地であるという情報があるのですが、大元の出典が不明。

境内地売却問題

2020年、境内地の8割を売却し社殿等新築費用に充てるという計画が宮司・総代会から氏子に通知され、ニュースで取り上げられる等大きな問題となりました。

その後、全国から署名が集まり売却は白紙撤回。境内に入っていた重機等も撤去されています。

ただ、老朽化した社殿の改修や、境内の維持のために必要な資金を、現状では捻出することが難しいのも事実。

同様の問題を抱えている神社は多いはずなので、当社の今後の動きがそのモデルケースになればいいなと思います。

 

御朱印

御朱印はあります。

社務所に宮司さんの住所ご連絡先が記載されています。場所は井戸寺のそば。そちらに伺って頂く形になります。

※2020年時点では宮司さんが代替わりされているので、現状の対応は不明。

アクセス

府中駅近くの国府町府中交差点(上図)を南に入り、200mほど行くと右手に神社。

境内に駐車可能。

神社概要

社名大御和神社(おおみわじんじゃ)
旧称

府中の宮

印鑰大明神

住所徳島県徳島市国府町府中字田渕644
祭神大己貴神
合祀大山咋神
社格等

式内社 阿波国名方郡 大御和神社

阿波国総社

旧県社

御朱印あり
駐車場あり

参考文献

『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』 皇学館大学出版部

 

『日本歴史地名大系 37 徳島県の地名』 平凡社

 

『徳島県神社誌』 徳島県神社庁


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