八幡総社両神社(徳島市国府町観音寺字石田)

八幡総社両神社。

徳島市国府町観音寺、四国八十八箇所第十六番観音寺の境内に鎮座。

阿波国総社の論社。

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境内

観音寺本堂の東側に社殿があります。

観音寺の写真も撮ろうと思っていたのですが、山門が撮りづらい(大きいのに前の道が狭いので…)上に八十八箇所の札所のためそこそこ人がいて、後回しにしたら忘れてしまいました。

 

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿覆屋?

境内社等

観音寺山門の斜向いに八坂秋葉神社が鎮座しています。

独立した神社ではないようですが、八幡総社両神社の摂末社にあたるのかは不明。

 

鳥居と社殿

 

扁額

 

狛犬

 

社殿扁額

由緒

八幡総社両神社の由緒

阿波国の総社として、阿波国府の所在地に設けられた神社。

国司の重要な仕事の一つに、管内の官社及び国司の崇敬する神社を祭祀することがあり、奈良時代、国司はこれらの神社に幣を奉り、これに詣ずるを例としたが、平安時代中期以降、中央政治の乱れにより、地方行政も弛緩し、祭祀も規定通りに行われなくなり、従来国司の祭祀してきた管内諸神社の神霊を国府(国司庁)に近いところに勧請し、参拝の便をはかったのが総社の起源である。

当社はその総社と、近在の八幡神社を合祀したもので、安政三年(一八五六年)再建の棟札を存する。

「寛保改神社帳」には「観音寺村惣社大明神」「観音寺村八幡宮」とある。

なお、南方五〇〇メートルほどはなれた場所に、面積約三千坪に及ぶと言われる当社の旧社地があったとされ、「総社が原」の呼称が現在に伝わっている。

 

主祭神

(八幡神社)応神天皇

(総社)阿波国式内社五十座

阿波国の式内社は大麻比古神社を始め五十座四六社あり、国府町内では大御和神社(府中の宮)、八倉比売神社などが式内社である。

創建時期は平安時代中期以降とみられています。

阿波国式内社五十座の神霊を、参拝の便宜を図り国府近くに勧請したのが始まり。

 

後に近在の八幡神社を合祀し、八幡総社両神社となりました。

 

かつては今より南の「総社が原」と呼ばれる場所に鎮座していたとされ、その社地は面積約三千坪もあったといわれます。

境内由緒碑によれば南方約500mとのことで、これに従えば国府支援学校の辺り。

『徳島県神社誌』には南方約300mの天神社の辺りとありますが、実際の天神社の位置は南方約150mほど。

安政3年(1856)再建の棟札が現存しているとのことですが、その時点で現地に遷座していたのか否かは不明。

御朱印

御朱印はあります。

社殿扉に宮司さんのご連絡先が書いてあるので、そちらに御朱印帳を送り(初穂料送料同封)郵送していただくか、直接宮司さんのお宅に伺いお願いする形となります。

アクセス

徳島市街から国道192/318号を西に向かい、徳島市と石井町の境に近い国道の交差点(位置)を南に入り、次の信号(位置)で左折し200mほどで観音寺前。

駐車場は観音寺のをお借りしましょう(境内東側のが大きくて停めやすい)。

神社概要

社名八幡総社両神社(はちまんそうしゃりょうじんじゃ)
通称総社さん
旧称
住所徳島県徳島市国府町観音寺字石田50-イ
祭神

応神天皇

式内社五十座

社格等

阿波国総社

旧村社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり(観音寺駐車場利用)
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「八幡総社両神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「八幡総社両神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019