久世神社(真庭市久世)

久世神社。

真庭市久世、久世駅の北800m弱の場所に鎮座。

式内社 形部神社の論社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

社号標

 

狛犬

 

参道

 

参道途中の狛犬

 

手水舎

社殿

拝殿

 

本殿

 

本殿扁額

境内社等

稲荷神社

 

白猪臣神社

 

姫神社

岡山県神社庁真庭支部の当社ページによれば通称へこき様。なぜそんな通称なのかは不明。

 

荒神社(扁額や案内はありませんが上記3社以外に荒神社があるそうなので、消去法的にこちらがそれだと思われる)

 

地神碑と灯籠

 

御遷座場

 

御遷座場の狛犬(阿形だけ)

由緒

久世神社由緒記

鎮座地 久世町大字久世字方辺山

社号

上古 形部神社 従五位上

中近世 生健神社 正一位(宗源宣旨)

美作国官社十處の中

祭神 神阿陀都姫命

見目麗しきより木花開耶姫命と称へらる

天孫瓊瓊杵命の妃、海幸彦・山幸彦の母、神武天皇の祖母

相殿 素盞嗚命、大己貴命、倭姫命

祭日

大祭 例祭 十月二十五日 祈年祭 四月二十五日 新嘗祭 十一月二十五日

中祭 初祭(厄除け御神火祭) 元旦 建国祭 二月十一日 夏祭(茅輪潜祭) 七月十四日 子ノ刻祭 十月二十二日 齋祭(甜酒膝餅神事) 十月二十三日

小祭 七五三祭 十一月十五日前の日曜日

御遷座場 本殿修築造営に伴ふ仮殿遷座の齋場なり

境内神社

白猪臣神社 屯倉の長官にて当社を敬仰、修築に尽せる白猪臣証人を祀る

稲荷神社

忠魂碑 旧久世出身の戦歿者を祀る

 

創建年代詳ならずと雖も聖武天皇天平年間の棟札、木彫神像二躰ありといへば、その古社たるを知るべし、往古は形部神社と称せしも、後花園天皇長保年間生健神社と改称す、古式の熟饌を今に伝ふ

境域坪数 七千五百八十九坪

境内地 五千二百六十三坪

旧境外地は現今球場、近隣公園、少年の森(キャンプ施設)に整備せらる

境内の照葉樹林は極めて貴重なる太古以来の遺産なり

創建時期は不詳。

三代実録 貞観6年(864)8月15日己巳条に見える「美作国従五位下…形賣神…授従五位上」の形賣神および、延喜式神名帳にみえる「美作国大庭郡 形部神社」を当社にあてる説があります。

当社の鎮座地はかつて「方辺山(かたべやま)」と称され、これを「形部山」と見る向きも。

 

聖武天皇天平年間の棟札、木彫神像二躰(六丈有余)があるといいます(木彫神像は社宝)。

長保年間(999~1003)、生健(なまたけ)神社と改称。

永禄12年(1569)、火災で古文書等焼失。

享保17年(1732)、宗源宣旨により正一位に昇叙。

 

明治6年(1873)、久世神社に改称。

明治12年(1879)、郷社列格。

 

10月の例祭では山久世八幡神社(現在は代わって惣八幡神社)、朝日神社、鍋屋八幡神社、三榮神社が当社に集まり、「五社祝詞」を奏し古式膝餅と天の甜酒を供するそう。

御朱印

御朱印はあります。

熊野神社(真庭市上河内3451)(のそばの宮司さん宅)にて拝受可。

(私は参拝時知らなかったため未拝受。ネット上で複数件上っていた報告に基づきます)

アクセス

米子自動車道の久世ICを降り、米子・真庭市街方面(左手)へ。

4.5kmほど先、久世駅の南にある久世駅前交差点の一つ西側の交差点(位置)を北に。

そこから800mほど行くと左手にあるグラウンドに入る道(位置)があるので入ります。入ってすぐ右折して管理棟?の前を通りグラウンド北側に回ると参道前に着きます。

 

鳥居周辺に写真の通り神社駐車場の札が立っていたのですが、正確な場所は忘れました…

神社概要

社名久世神社(くせじんじゃ)
通称
旧称

形部神社

生健神社

住所岡山県真庭市久世1433
祭神神阿陀都姫命
相殿

素盞嗚命

大己貴命

倭姫命

社格等

式内社 美作国大庭郡 形部神社

日本三代実録 貞観六年八月十五日己巳 形賣神 従五位上

旧郷社

札所等
御朱印あり(上河内の熊野神社にて授与)
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「久世神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「久世神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 岡山県神社庁編『岡山県神社誌』岡山県神社庁, 1981
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 58-59コマ