井戸鐘乳穴神社(真庭市上水田)

井戸鐘乳穴神社。

真庭市上水田、備中鐘乳穴という鍾乳洞の近くに鎮座。

式内社 井戸鍾乳穴神社に比定される神社。

広告

境内

社頭

手前の巨木は市指定天然記念物の桜。

 

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

参道に聳える木々と随神門

 

随神門にあったうさぎの彫り物

何か謂れがあるのでしょうか。

 

石段

 

手水鉢

 

狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

境内左手にある境内社

 

これは神事で使うのでしょうか…

 

内部に祠が3社

末社として荒神社、海津見神杜、魔王神社、五王(牛頭天王)神社があるようなので、それぞれがいずれかか(中央の祠が2社合殿?)。

 

小祠が2社

備中鐘乳穴

当社の東に備中鐘乳穴という鍾乳洞があります(位置)。

岡山県指定天然記念物の鍾乳洞。700mあり、うち一般立入可能なのは300m。

立入可能な最奥部には吉備津彦評定の間の伝説があります(ただ古くから伝わるものなのかは不明)。

 

備中鐘乳穴の標

 

ここから下っていきます

この右手にチケット売り場(無料休憩所)があるのでそちらで入場券を購入します。満奇洞や井倉洞が入洞料1000円なのに対してここは700円と少しお安め。

訪問はGW中日の平日でしたが、ほとんど人はいませんでした。

 

この道を下りていくと…

 

鐘乳穴入口

 

入ってすぐの辺り

このエリアは夢の宮殿というようです。

 

入ってすぐ右手に御神前

岩山大明神 大名持命 誉田別命 素盞嗚命とあり、井戸鐘乳穴神社と同じ。

下掲の案内板によれば、崇神天皇の時代に現在の神社(井戸鐘乳穴神社)に岩山大明神として遷座したとあるので、事実なら元宮ということになります。岩山大明神が式内 井戸鍾乳穴神社であり、元はこの鍾乳洞を祀ったのに始まるのだとすれば、最初の鎮座地が洞内ということもあるかもしれません。

 

夢の宮殿エリアのどこか…

 

七町田

 

鬼の力石

 

洞内富士

 

白絹の滝

 

五重の塔

 

不動の滝

 

昇り龍

 

笹の雪

 

お不動様

 

ちょっと不気味な赤い照明のところを抜けると…

 

吉備津彦の評定の間

洞自体は更に奥へと続いていきますが、立入可能なのはここまで。

 

吉備津彦評定の間の伝説

人皇十代崇神天皇の御代大和国より吉備津彦の命は異母弟なる吉備稚武彦命と共に吉備地方を御統政の時此の鐘乳穴を評定所と定めたのである のち命は共の?時吉備路を荒しまわる「温羅」という強賊と戦われたが敵は神通力を持って命の様子を全部知ってしまい命は苦戦され弟君は流矢で戦死された。命は仕方なくこの間で評議…賊にもれず大勝されたと伝えられている その事…語るべく此々水田井殿部落には気合迫勝負迫賊が…たと言う去る谷等の地名が残っており又上水田…部落には吉備稚武彦命を祭る郡神社と塚がある。

 

座禅の仁王、人の脳、こけし岩、猿の脳

 

鍾乳洞の歴史

この「備中鐘乳穴」は上房台と呼ばれるカルスト(石灰岩)台地にできた鍾乳洞である。石灰岩は今から2~3億年昔古生代の石炭紀二畳紀に浅くて暖かい海底にボウスイチュウ(フズリナ)、ウミユリ、四射サンゴ等生物の石灰質が海底に沈殿堆積してできたものです。その後造山運動のため海底が陸地となり次第に石灰岩の山を現わしてきました(入口付近の石灰岩は日本でも古い部類の3億年前の岩石と言われる)。石灰岩の主成分は重炭酸カルシュウム(CaCO3)で、これは純粋な水にはほとんど溶けないが空気中や土壌中の二酸化炭素(CO2)を含んだ雨水や地下水には非常によく溶ける。この化学的作用によって、地上の割目から地下にしみこんだ雨水や地下水によって、地下湖が出来、長い年月の間に、石灰岩台地に大きな洞窟ができたのであります。これが備中鐘乳穴である。

又地上に現われた石灰岩は風化や化学的溶食作用により溶け残された特異な地形が出来る。これをカルスト地形と言う。又割れ目などに沿って雨水が地下に吸い込まれる所にできる凹地をドリーネと言い鐘乳穴の入口もその一つである(この周辺に多く見られる)。このように洞窟が出来るにしたがって天井からしたたり落ちる水滴やさまざまの地下水によって二次生成物を造形しております。これら、鍾乳石を滴石(しずくいし)、ドリップストン、つらら石(スタラクタイト)、石筍(スタラグマイト)、石柱(コラム)、流れ石(フローストン)、畦石(あぜいし)リムストーン、カーテン、洞窟サンゴ、石の花(アンソダイト)と呼びます。

 

鐘乳穴の歴史

この地は太古の昔から吉備文化(山陽道)と出雲文化(山陰道)とを結ぶ交通の要衝に有り、有名、無名の人々の往来が多く、早くから全国に知られ1200年の昔すでに清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の三代にわたる「三代実録」に記されております。それ以前にすでに人々がこの鐘乳穴を探勝し又神として崇拝していた事はうたがう余地はなくこの洞窟の発見ははっきり致しておりませんが、すくなくとも2000年以上昔である事はたしかなようです。

又この井殿部落の西端に井戸鐘乳穴神社が有り大国主命(又の名大名持命)を祭り人皇十代崇神天皇の時代当洞御神前より現在の神社に岩山大明神として遷座されたと伝えられています。鐘乳穴神社は延喜式々内社で西暦901年、延喜年間に藤原時平らが全国の神社仏閣を調べた内備中の国の十八社の一社に数えられる古い社である。現在の建物は桃山時代の作と云われています。爾来地方民の尊崇厚く備中十八社の参拝が毎日続いたと云われる。その当時祭りも豪勢なものだったらしく社領の田畑もあり三石祭として酒一石、餅米一石、飯米一石を使ったと云う。現在は祭りも簡素となりましたがそれでも当屋を決め福の種播、火祭り等々昔のなごりとしてめずらしい行事を行っています。

 

岡山県指定天然記念物 備中鐘乳穴の説明

由来

延喜元年(901年)に書かれた「日本三代実録」に貞観元年(859年)朝廷の命をうけた典薬頭出雲朝臣今嗣がここで鍾乳石を採ったと記され日本最古の歴史を持つ鍾乳洞として古くから全国に名声を馳せていた。鍾乳石はカルシウムを多量に含むところから、当時「乳の石」と呼び薬用品として珍重がられこの地方の貢物として長く出雲朝廷に献上した。洞の長さは700mで現在観洞出来るのは300mで高さ3mの石筍からなる「洞内富士」をはじめ日本一と言われる22階層の巨大な鍾乳石でできた「五重の塔」など、その壮大な眺めは全国において類のないものです。

*稀有の珍植物 びっちゅうひかげわらび(県指定天然記念物)

*洞内の温度 摂氏9度前後 日本一低温洞

*その他の文献 ・和名抄・名称考・橘南谿著の西遊記・志賀重昴著の日本風景論

由緒

創建時期は不詳。

江戸時代には岩山大明神と称されていましたが、それ以前の由緒は不詳。

 

日本三代実録 貞観元年(859)2月7日癸巳条に「詔遣典薬頭従五位上出雲朝臣岑嗣於備中国。採石鍾乳」とみえます。当地方の鍾乳石が「石鐘乳(いしのちち)」として薬用として利用されていたとみられます。備中鐘乳穴を指すともいわれ、鐘乳穴の案内板にもそう書かれていますが、当地方には多数の鍾乳洞があるため不明(日咩坂鐘乳穴や満奇洞を指すという説も)。

 

延喜式神名帳にみえる「備中国英賀郡 井戸鍾乳穴神社」は当社に比定されています。

江戸期には井戸鍾乳穴神社の社号を持つ神社は存在せず、式内社としては所在不明となっていました。

宝暦3年(1753)の『備中集成志』に「右両社トモ同村ニ社地有之ヨシ。又高山ノ西井戸ト云所ニ座トモ云フ也。難治定。水田村井殿坂トモ」とあるそう(『式内社調査報告』から孫引きのため正確性の担保なし)。

「右両社トモ同村ニ社地有」というのは、両社=日咩坂鐘乳穴神社と井戸鐘乳穴神社、同村=野ノ上村(現在の新見市豊永赤馬と豊永佐伏)。この井戸鐘乳穴神社の社地がどこを指すのか不明。現在この地区にある神社は日咩坂鐘乳穴神社のみ(境外摂末社までは確認できませんが…)。

高山ノ西井戸については不明。備中国に高山村は存在していましたが、阿賀郡(英賀郡)ではなく川上郡。ただ正保郷帳には「井戸高山村」と記されていたというので、もしかするとそこを指すのかもしれません。仮にそうだとして、どの神社を指すのか不明。

井殿坂が当地。したがって、宝暦3年の時点では特に当社が有力論社だったわけではないようです。

 

その後、寛政2年(1790)の『備中巡礼略記』が、井殿に「杓の手」と呼ばれる井戸(湧泉)と鍾乳洞があることから岩山大明神を井戸鍾乳穴神社に比定。さらに『備中国巡覧大絵図』『備中誌』もこれに従っています。

「杓の手」は備中鐘乳穴の近くにあるらしく、すぐ上には水神の祠もあるそうですがいずれも未確認。

杓の手、水神祠ともに井戸鍾乳穴神社との関係を示す資料はないとのこと。

 

明治初年に井戸鍾乳穴神社に改称。

明治5年村社列格。

 

祭神は大名持命、誉田別命、素盞嗚命の三柱。

このうち、元の祭神は大名持命で(ただ岩山大明神の頃から大名持命が祀られていたのかは不明)、誉田別命と素盞嗚命は合祀された(明治7年以降と思われるが時期不明)八幡社と疫清神社の祭神。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

中国自動車道の北房ICを下り、国道313号を1.5kmほど東へ。

すると鐘乳穴の案内板が出ている分岐(位置)があるので、右手に入り県道312号へ。

3.4kmほど行くと備中鐘乳穴の看板が立っているので、それに従い左手に入ると鐘乳穴の駐車場。

神社へは、そこからさらに500mほど行ったところの分岐(位置)を正面方向に進めば着けます。

ただ神社には駐車場がありません。

神社概要

社名井戸鍾乳穴神社(いどかなちあなじんじゃ)
通称
旧称岩山大明神
住所岡山県真庭市上水田8425
祭神大名持命
配祀

誉田別命

素盞嗚命

社格等

式内社 備中国英賀郡 井戸鍾乳穴神社

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし(備中鐘乳穴には無料駐車場あり)
公式Webサイトhttp://ww9.tiki.ne.jp/~kanachiana/ (備中鐘乳穴のサイト)
備考東に備中鐘乳穴(関係性は不明)

参考文献

  • 「井尾村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「井戸鐘乳穴神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 岡山県神社庁編『岡山県神社誌』岡山県神社庁, 1981
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十二巻 山陽道』皇學館大学出版部, 1980
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984