鴨神社。
吉備中央町(旧加茂川町)上加茂に鎮座。
式内社 鴨神社の論社。
境内
社頭
狛犬
社号標
社前を流れる加茂川
鳥居
随神門
随神門の狛犬
手水舎
社殿
拝殿
本殿
境内社等
社殿右手の境内社
主体は稲荷神社で、明治末年に金刀比羅宮、木山神社、龍王神社、森神社、愛宕神社、武甕槌神社、神納社、龍神社、厄神社、大山社、賀財神社、祇園神社、御玉神社、今宮、水神社、山神社、幸神社、番神社、素盞嗚神社、地神社、川上神社など、上加茂各地の神社が合祀されたとのこと。
社殿左手の境内社
『式内社調査報告』は南西隅(この位置)に荒神社と御崎神社としています。右の社は複数社合祭されていそうな感じですが…
由緒
創建時期について、明治3年の神社明細帳では「勧請弘仁年中(810~824)」、同27年の明細書も「人皇第五十二代嵯峨天皇ノ御宇山城国愛宕郡賀茂大明神ヲ勧請スト云フ」とします。
しかしそれ以前の江戸時代の『吉備温故秘録』は「上古は津高郡を鴨縣といひし由、今も奥分を賀茂といふ、此鴨縣には鴨別命居玉ひ、其子孫笠臣代々住玉ふの故に、国民其徳を慕ひて、始祖の鴨別命を祭りしならんか」、『東備郡村志』は「按に祭る所の神、山州加茂の神と別なるべし。鴨別命を祭れるならんか。鴨別命は五十狭芹・吉備津日子命の後裔にて、仲哀・神功両朝の人なり。此加茂郷の地に居玉ひしなるべし」としており、上賀茂神社からの勧請ではなく笠臣(笠臣国造)の祖である鴨別命を祀ったのに始まるとする説もあるようです。
往古は現在地の南、字矢阪の山上に鎮座し、そこに大明神屋敷と呼ばれる平地があるそうです(『式内社調査報告』『日本の神々』は南約500mとしますが、その辺は山上どころか麓の川沿い。両書の当社項は著者が同じなので、その人が勘違いをしたまま両項を書いたように思われる)。
山麓に屋号を仮屋と号する家があり、現社地へ遷座の時に一旦仮屋を建て祭祀した跡とも伝わるそうです(現存するかは不明)。
延喜式神名帳にみえる「備前国津高郡 鴨神社」に当社をあてる説があります。
論拠は不明。
江戸期は加茂大明神と称しており、明治2年に鴨神社に復称。
明治6年郷社列格。
現祭神は別雷神。
昭和27年の神社明細書では明治末に合祀された八幡宮の祭神、品陀別天皇・足仲彦天皇・神功皇后も記されていたようですが、『平成祭データ』には合祀神としても挙げられていません。
先述の通り、笠臣の祖である鴨別命を祭神とする説もあります。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
岡山市の中心部から国道53号を北上します。
山陽自動車道との交差の先で(この辺で分岐)左手の県道72号へ。
そのまましばらく県道72号を走り、国道429号との交差点(位置)で国道に入り北へ。
そこから5kmほどで社頭。
駐車場はありませんが、鳥居右手の坂から境内まで上ることは可能です。
神社概要
社名 | 鴨神社(かもじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | – | |
旧称 | 加茂大明神 | |
住所 | 岡山県加賀郡吉備中央町上加茂471 | |
祭神 | 別雷神 | 現祭神 |
鴨別命 | 『吉備温故秘録』 『東備郡村志』 | |
社格等 | 式内社 備前国津高郡 鴨神社 旧郷社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 往古は字矢阪の山上に鎮座 |
参考文献
- 「上賀茂村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「鴨神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 大沢惟貞編『吉備温故秘録』(吉備群書集成刊行会編『吉備群書集成 第七輯』吉備群書集成刊行会, 1931.所収)(国会図書館デジタルコレクション 236コマ)
- 岡山県神社庁編『岡山県神社誌』岡山県神社庁, 1981
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十二巻 山陽道』皇學館大学出版部, 1980
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
- 松平亮『東備郡村誌』(吉備群書集成刊行会編『吉備群書集成 第貳輯』吉備群書集成刊行会, 1921.所収)(国会図書館デジタルコレクション 212コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 30コマ)