鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)

鹿島御子神社。

南相馬市鹿島区(旧相馬郡鹿島町)に鎮座。

式内社 鹿島御子神社に比定される神社。

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境内

社号標

 

手水舎

 

一の鳥居

 

狛犬

 

二の鳥居

 

社殿前の狛犬

社殿

拝殿

 

神紋

三つ石紋?

 

扁額

 

拝殿脇に置かれているかつての扁額

 

本殿

境内社等

参道左手の足尾神社

左右に月山と羽黒山の碑。

 

参道左手の聖徳太子碑

 

参道右手の要石

 

社殿左手の雷神社

 

扁額

 

社殿後方右手に山神・大神宮・湯殿山等の石碑群

 

社殿右手の祠

 

本殿後方の征馬忠魂碑

御神木

社殿左手の大欅

 

推定樹齢1000年

 

参道左手の大欅

 

こちらは樹齢800年

旧社地

当社はかつて現社地から200m弱南に鎮座していたとされており、現在そこには旧跡碑が建っています。

旧地については下記の記事にて。

 

由緒

境内由緒板

御祭神 天足別命(建御雷神の御子神)

     志那都比古命

     志那都比売命

鎮座 大同元年(西暦八〇六年)

由来 神代の昔、天足別命が父神建御雷神(鹿島神宮の祭神)と共に奥羽鎮撫の為に下降し、開発平定に尽されて後、御子神がこの地に鎮まり今の社地に移り社殿を造営す。延喜五年に由緒ある霊験あらたかな神社として延喜式神名帳に記載される。醍醐正体を納められ延喜式内社に列せられる。天暦五年のお棟札や現存する大欅(樹齢千年余り)からその由緒正しきを知ることが出来る。

例祭日 元旦 大護摩祈祷(諸願成就)

     一月十四日 十五日 鎮火祭 火伏祭 天燈篭

     二月十一日 建国祈念祭

     四月二十日 春例祭

     四月二十一日 雷神社祭

     旧九月九日 重陽の節句

     十月十七日 秋祭

     十一月二十三日 新嘗祭

十二年に一度寅歳に遷宮祭を執行する。

特殊神事 鎮火祭

天足別命が鹿島の稚児沼に仮宮された当時この地方に大六天魔王と名乗る賤徒が横行していた。或る朝未明賊徒が命の仮宮を襲い火を放った。命は直ちに「火伏せの神事」を以って四方八方に拡がった猛火を鎮めた。其の時鹿島大神のお使いである鹿が多数現われ川より濡れた笹を銜えて来て仮宮を潤ほし火の再発に備えたという。その後命のご神徳に依り賤徒横行することがなくなった。

現在毎年正月十四日夜神霊神水を町中に奉じるハッピ姿の若者達の威勢のよい掛声で火伏せ祭りが始り、翌十五日早朝御神歌と共に神楽を奏し高々と天燈篭を掲げ、旧社地にて神事の後、沿道の氏子有志の人々が神官に浄水を掛けて祝う。神官は衣冠氷結のまま社殿に戻り天下の罪穢を祓い清め、直ちに今年一年悪火の起きない様祈願すると共に氏子の全ての祈願を行う奇祭である。

社伝によれば創建は大同元年(806)。

ただ、旧社地の碑には「大同元年現社地ヘ遷座」とあるので、旧社地にはそれ以前から鎮座していたのかもしれません。

実際上記略記にも「神代の昔(中略)開発平定に尽されて後、御子神がこの地に鎮まり」とあります。

 

日本三代実録 貞観8年(866)正月20日丁酉条に「常陸国鹿島神宮司言。大神之苗裔神卅八社在陸奥国。菊多郡一。磐城郡十一。標葉郡二。行方郡一。(後略)」とあり、この行方郡一とあるのが当社といわれます。

延喜式神名帳には「陸奥国行方郡 鹿嶋御子神社」とみえています。

 

天暦5年(951)、長元3年(1030)、保延4年(1138)の物とされる棟札の所蔵あり。

 

『奥相志』の記述によれば、延宝5年(1677)に相馬貞胤が再建。

また文政3年(1820)大風による倒木で社殿倒壊、文政7年(1824)に相馬益胤が再興。

かつては宮地山彌陀院神宮司という寺が当社の別当だったそうですが、現在は当社南に墓地が残るのみで、現存しません。

 

明治9年(1876)村社、明治22年(1889)郷社列格。

 

『日本の神々』に「真野川をさらに三〇キロほど遡った上流には葉山籠りの行事で有名な飯舘村大倉部落があり、四月二十五日の産土神の祭礼には遠路浜下りが行われるが、途中で神輿は鹿島御子神社で一泊する。あるいはこの産土神が鹿島御子神社の山宮ではないかと考えられる」とあります。

「産土神」がどの神社を指すのか不明ですが、大倉にある神社は(少なくとも宗教法人として登記されているのは)真野ダムの西にある山津見神社(位置)のみ。

『平成祭データ』によればこの神社は4月20~21日に「濱下り祭」を行うようなので、『日本の神々』の記述とは微妙に日程が異なりますが、同書の言う産土神=山津見神社なのではないかと。

 

現祭神は天足別命、志那都比古命、志那都比売命。

天足別命は建御雷神の御子とされる神。

『明治神社誌料』ではこの神のみが祭神として記されています。社名や由緒などから見ても、元来の祭神は天足別命一柱であったのではないでしょうか。

志那都比古命と志那都比売命が祀られた時期、経緯は不明。

『日本歴史地名大系』に、中世の千倉庄の大鎮守であった千倉神社が当社境内社として存在する旨が記されているのですが現在はないようなので、あるいはその千倉神社の祭神がこの二柱の神であって、本社に合祀されたのかもしれません。

 

なお『特選神名牒』『大日本史』は鹿島御子神、『神名帳考証』『奥相志』は武御雷(之雄)神を祭神として挙げています。

御朱印

御朱印はあります。

境内右手にある、社務所で拝受可。

アクセス

常磐線鹿島駅の西約300m。徒歩5分くらいです。

車なら国道6号から線路を渡って県道120号に入りましょう。

鹿島駅南の柚原交差点(位置)で国道から西に折れて、次の交差点(位置)で北に折れ、900mほどで神社前。

参道入口左手、道路沿いに駐車場があるのですが、3台の駐車スペースの内2台分は障害者用。そもそも公園用の駐車場かもしれません。

境内社務所付近にも駐車できるので、そちらをお借りした方が無難かと思います。参道右手から入れます。

神社概要

社名鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)
通称

鹿島大神宮

オミジハン

住所福島県南相馬市鹿島区鹿島字町199
祭神

天足別命

志那都比古命

志那都比売命

現祭神

鹿島御子神

『特選神名牒』

『大日本史』

武御雷神

『神名帳考証』

『奥相志』

社格等

式内社 陸奥国行方郡 鹿嶋御子神社

日本三代実録 貞観八年正月廿日丁酉 (鹿島)大神之苗裔神卅八社(行方郡一)

旧郷社

御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考南方約200mに旧地

参考文献

  • 「鹿島御子神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「鹿島御子神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十二巻 東北・北海道』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 455コマ