冠嶺神社/立石(南相馬市鹿島区上栃窪)

冠嶺神社。

鹿島区上栃窪字宮下乙に鎮座。

式内社 冠嶺神社の論社。

当社付近を流れる真野川を少し遡ったところに立つ立石は、祭神の猿田彦命が降臨した場所だと伝えられます。

境内

県道沿いの鳥居。社殿後方に建っています。ここから入り、途中で回り込んで参拝する形。

 

社号標

 

社地南側の鳥居。県道268号が整備される以前は真野川沿いのこちらが参道だったようです。

 

扁額

 

参道左手には民家があり、庭を抜けていくような感じ。

 

二の鳥居

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

社殿後方の建物。祠がいくつか納められています。社前の略記には境内社7社の記載がありますので、納められているのはそれらでしょうか。

 

境内後方の小祠。こちらも境内社7社のうちのいずれかでしょうか。

 

社殿横の碑。読めない…

 

社殿横、金刀比羅神社の碑

 

参道南鳥居横の子牛田神の碑。子牛田が合字になっています。

 

こちらも参道南鳥居横の東堂山と黄金山神社(?)の碑

立石

神社から真野川を3kmほど遡ったところ、真野ダム(はやま湖)付近にある巨岩・立石。ここは猿田彦命(道祖神)が向降鎮座したところであると伝えられています。古歌に「心ある人に見せばや陸奥の幾世歴ぬらん真野の立石」と詠まれているそうです。

この辺。

神社から県道268号を西へ3kmほど行ったところに、「立石大穴鍾乳洞」の案内板が立っていますので、そこを左に入り、少し進むとゲートがあって行き止まり。車はゲート付近に駐車可(塞がないように)。

川の対岸に立石が立っています。

 

真野川対岸から見る立石

 

飛び石を渡って対岸へ行けます。

 

間近で見る立石

立石と後ろの山。立石から南西方向へ山を越えていくと、立石大穴鍾乳洞という鍾乳洞があります。…が、道が悪い上にわかりづらく、ハイキング気分で行けるものではないようです。

実際行かれた方の動画がyoutubeにあったので見ましたが、慣れない人間が一人で行くのはおすすめできない場所だと感じました。

 

帰り際に堂六神山の方を撮影。登山口は県道沿い、立石への分岐付近の山側にあるようです。

おそらくこの辺り。ちゃんとした登山道もなく、転落の危険がある急な場所もあるようなので、登る際はご注意ください。

この山のことについては由緒項にて。

由緒

境内由緒板

延喜式内冠嶺神社略記

主祭神 少彦名命 相殿 彦火々出見命

由緒

行方八社延喜式神明帳所載の旧社であり人皇12代景行天皇の朝、日本武尊東夷征伐の勅を奉じて当山に陣して17日請願祭祀ありて霊験あらたかなり、降って86代後堀川天皇の朝、寛喜2年(紀元1230年)戌子4月8日に氏子の志願に因り道陸神山より現在地に遷座す。又産氏子の念願により蒼野神社(八龍神)を相殿に安鎮す。

八龍大明神は、西栃久保・小山田・山下・角川原・五箇村の惣鎮守なり此の時、2柱の神同殿して始めてのお浜下り行われる。爾来7月7日神輿を出し、角川原邑熊木神社に宿し、翌下蝦邑之浜に降り、天下泰平・五穀成就・万民安全を祈願し還幸するを例としたり(以下略)(奥相志抜粋)

例祭日 4月8日

遷宮祭 13年毎に戌年の4月に執行

奉幣社領 九曜紋寄附

境内社

上野山鎮守山津見神社(4月17日) 蚕神宮(4月8日)

牛頭天王宮(8月5日) 秋葉宮(9月18日)

疱瘡神宮(9月20日) 雷神宮(9月28日)

十二天宮(日不詳)

町文化財指定

神木 大欅木 周 2丈3尺

榧木 (寛政中雷公降中折)

創建時期は、由緒「冠嶺八龍両社略縁起」によれば景行天皇の御代。

日本武尊東夷征伐の際、地主神猿田彦命の霊示により皇御孫尊を勧請し17日誓願祭祀を行ったのに始まるとされます。

この時日本武尊が陣した山は、猿田彦命が道陸神、道祖神と呼ばれることから道陸神山(現・堂六神山)と名付けられました。

「天ノ真名井の一元水」をこの山の南麓に移し(どこからかは不明)、これを真野の池といって冠嶺神の御手洗としました。

また、先にも述べましたが堂六神山の麓、真野川沿いの立石は猿田彦命向降鎮座の地であるとされています。

永承年間(1046-52)には、冷泉天皇が冠嶺神降臨の式を以って鳳輦を真野川原池の滸に降して、天下の泰平を祷り祭祀があったとされます。

しかしこの時代の天皇は後冷泉天皇。信憑性に疑問の持たれる内容であり、式内社調査報告でも「永承6年に前九年の役が起っていることがこの様な記事を生み出したのであろう」としています。

永承・康平年間の前九年の役(1051-62)では神領が没収され小祠となってしまいました。

寛喜2年(1230)に堂六神山から現在地へ遷座。

時期は不明(境内略記の文脈からすると現在地への遷座と同時期か)ですが、縁起に「産土子の念願により苕野神社(八龍神)を相殿に安鎮す」とあります。

この時から三柱の神を同殿に奉斎、初めて浜下りの神事が行われ、以後恒例行事になったとされます。

この苕野神社については、浪江町の式内苕野神社と考えられます。また、かつては苕野神社と呼ばれていたと由緒にあるためか、飯舘村の綿津見神社とする説もあるようです。(Wikipediaでは綿津見神社に断定していますが…)

式内社調査報告では「奥相志」の苕野神社の項に遷座の記録がないため、或いは綿津見神社か、としていますが、別に綿津見神社にも遷座の記録はないので、単に遷座でなくいずれかからの勧請なのでしょう。

文化12年(1815)の渡辺美綱の調査では冠嶺神社は不明とされましたが、当社の祠官渡辺氏が縁起を作成、当時八龍明神と称していた当社を冠嶺神社であると主張しました。

御朱印

御朱印はあります。

南相馬市の鹿島御子神社で拝受可。

アクセス

常磐線鹿島駅の北から、県道268号をひたすら西へ。所要時間は20分程度。

駐車場はありません。

神社のすぐ東側に消防団の倉庫らしき場所があり、その横にそこそこ広いスペースがあるので、お借りするのがよいかとは思います。

バスは福島交通の鹿島・栃窪線がありますが、栃窪→鹿島が朝7時台に一本、鹿島→栃窪が午後3時に一本、しかも平日のみの運行なので参拝用の足とはなりません。

神社概要

社名冠嶺神社(さかみねじんじゃ)
旧称八龍明神
住所福島県南相馬市鹿島区上栃窪字宮下乙35
祭神

少彦名命

天津彦火々出見尊

天津彦火瓊々杵尊

社格等

式内社 陸奥国行方郡 冠嶺神社

旧村社

御朱印あり
駐車場なし
備考神社西約3km程の河原に祭神降臨地「立石」あり

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