二方神社跡。
新温泉町指杭に残る、式内社 二方神社に比定される神社の跡地。
境内
跡地は田んぼに囲まれています。
田んぼの間の砂利道を進み…
用水路に沿って境内へ
灯籠が残っています
この石積は基壇?
外周部の石垣
遠景(中央が神社跡)
由緒
創建時期は不詳。
『但馬神社系譜伝』によれば神功皇后8年(208)、二方国造二方開咋彦命がその父、美尼布命を祀ったのに始まるとされます。
延喜式神名帳の「但馬国二方郡 二方神社」に比定されています。
天正6年(1578)に洪水で社殿流失、御神体も川に沈んでしまいます。
貞享3年(1686)備中国の福原安宏という人が神託を受け、村民と共に仮宮を設け神霊を奉斎。
明治6年(1873)村社列格。
大正9年(1920)洪水で社殿流失するも、村人が御神体を見つけ再祀。
その後(具体的な年は不詳。昭和59年発行の『式内社調査報告』に十数年前とあるため、戦後まもなくの頃か)大雪で社殿倒壊、指杭の氏神の兵主神社に仮遷座し、そのまま現在に至ります。
『式内社調査報告』に基づけば合祀先は指杭の兵主神社(新温泉町指杭338)ですが、同書に「祭祀は田井と指杭の両村持で、往古より諸事六分方を田井受け、四分方を指杭受けとしている」という記述が見え、また田井にも兵主神社が存在する(新温泉町田井448)ことから、玄松子の記憶さんでは「ひょっとすると田井兵主神社に移されている可能性は無いだろうか」と述べられています。
現在の祭神は大己貴神。
ただ、本来は二方国造を祀っていたのではないかと見られ、成務天皇の頃に二方国造に任ぜられた美尼布命を祭神とする説があります(『特選神名牒』『神祇志料』)。
二方郡は、もとは但馬国とは別の二方国として独立していたと言われます(先代旧事本紀の国造本紀に二方国造の記述がみえる)。
『濱坂町史』では「中古荒廃して、祭神も不明になり…再興に新しく大己貴命を祭祀するようになった」と考察されています。
御朱印
御朱印の有無は不明ですが、おそらくないでしょう。
アクセス
浜坂道路(山陰近畿自動車道)の新温泉浜坂ICからが近いです。
IC降りてすぐ北の戸田口交差点(位置)右折→1km弱先で左折(位置)→踏切渡って100mくらい先の交差点(位置)右折→久斗川渡ってすぐ(位置)左折。
100mほど先(位置)で右手に降りていくと、冒頭の砂利道に出ます。
駐車場はありません。
神社概要
社名 | 二方神社〔跡地〕(ふたかたじんじゃ) | |
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通称 | – | |
旧称 | 土原大明神 国主大明神 | |
住所 | 兵庫県美方郡新温泉町指杭字仲瀬845 | |
祭神 | 大己貴神 | 現祭神 |
美尼布命 | 『特選神名牒』 『神祇志料』 | |
社格等 | 式内社 但馬国二方郡 二方神社 旧村社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 指杭の兵主神社に合祀 |
参考文献
- 「田井村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「二方神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十九巻 山陰道2』皇學館大学出版部, 1984