桑原神社。
豊岡市竹野町桑野本に鎮座。
式内社 桑原神社の論社。
境内
社頭
鳥居
社号標
燈籠
狛犬
社殿
社殿覆屋
本殿
本殿左右の狛犬
境内社等
社殿脇の石段上に境内社
さらに登ったところにも境内社
愛宕神社のようです。
境内入口近くの境内社
境内社は稲荷神社、愛宕神社、安長神社のようですが、愛宕神社以外の2社はどちらがどちらか不明。
境内社?
社殿手前の大イチョウ
指定対象 イチョウ 1本
指定年月日 平成5年1月19日
秋に葉が全部落ちると翌日には雪が降るという言い伝えがあり、地域の人々から神木として崇められている。イチョウとしては県内第3位の巨木である。
当、桑原神社には古くから伝わる行道面が9面(菩薩面7面・僧形面2面)あり、昭和42年兵庫県指定の文化財となっている。以前は地区で保管していたが現在では姫路の県立歴史博物館に菩薩面7面と京都の国立博物館に3面が保管されている。これらの面は神事に使われたと伝えられているが、明らかでなく、伝来についても不明である。
菩薩面については、大きく下記の3つの様式に分けられるようです。
- 繊細優美な純然たる藤原様式の面で、藤原末期制作と考えられるもの(1号面)
- 頭髪に飾り金具をつけ、彫法は繊細、写実的で生気ある典型的な鎌倉初期制作と考えられるもの(2~3号面)
- 頭髪に飾り金具をつけず、顔の輪郭、眉、鼻、唇など表現は大まかで、鎌倉時代の特色を示すもの(4~7号面)
僧形面も鎌倉期制作と推定されています。
他に、宝冠の残欠け5片、木製の光背2枚、金銅製の光背透かし彫り断片3片、鉄製の鈴および鐃1器ずつ(いずれも鎌倉期制作と推定)があるとのこと。
由緒
創建時期は不詳。
『但馬故事記』の『美含郡故事記』によると、仁賢天皇2年(489)、桑原臣の祖多奇市がその父久邇布を桑原邑に祀ったのを始まりとします。
延喜式神名帳にみえる「但馬国美含郡 桑原神社」を当社にあてる説があります。
同じく論社である竹野町森本の桑原神社は、当地から遷ったものとする説も。
以降の由緒は不詳。
明治6年村社列格。
明治14年、稲蔵神社と称していたのを現社号に改称。
現祭神は保食神、仁布命。
『但馬故事記』の『美含郡故事記』は久邇布命、天熊人命を祭神として挙げています。
久邇布命は先述の桑原臣の祖・多奇市の父久邇布にあたる人物と思われます。
現祭神の一柱である仁布命と、久邇布命は「にふ」と「くにふ(?)」で音が通じるように思えますが、関係性は不明。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
豊岡から国道178号を西に向かい、竹野町河野の河野交差点(位置)で左折して県道135号に入り、道なりに4kmほど南西へ。
桑野本簡易郵便局の先(位置、向かいに学校跡があるところ)を右に入ると、集会所がありその手前に駐車スペースがあります。
集会所(桑野本会館)
大イチョウの案内標識や簡易な絵地図が出ていたので、大イチョウ用の駐車場となっているのかと思い停めましたが確証はありません。
集会所向かいの石垣の間の道を入っていくと、神社前に出ます
神社概要
社名 | 桑原神社(くわはらじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | – | |
旧称 | 稲蔵神社 | |
住所 | 兵庫県豊岡市竹野町桑野本字稲藏1164 | |
祭神 | 保食神 仁布命 | 現祭神 |
久邇布命 天熊人命 | 『但馬故事記』 | |
社格等 | 式内社 但馬国美含郡 桑原神社 旧村社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | あり(?) | |
公式Webサイト | – | |
備考 | – |
参考文献
- 「桑野本村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「桑原神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十九巻 山陰道2』皇學館大学出版部, 1984