面沼神社。
岸田川に架かる出合橋(国道9号に県道47号が合流する地点)の北に鎮座。
式内社 面沼神社に比定される神社。
境内
社頭
鳥居
社号標
手水舎
狛犬
石段
石段下を左手に行ったところに茗荷池、めぬ池と呼ばれる玉垣で囲まれた池があります。
この池の中にある小島に生える茗荷を3本摘んで神前に供え、参拝者は茗荷の芽の形や大きさ、色ぐあいなどから豊作か凶作かを占うという神事があります。
芽がまっすぐ伸びていると豊作、曲がっていると日照り、上部に光沢があれば早稲、下部に光沢があれば晩稲がよいのだそう。
毎年2月11日(旧暦1月7日)に行われ、かつては他所からの参加もあったそうですが、現在は関係者のみの神事とのこと。
池の撮影を忘れており、写真なし。
社殿
拝殿
本殿
境内社等
境内社が2社
御神木
由緒
創建時期は不詳。
『但馬神社系譜伝』は大化3年(647)、大毅大黒冠湯母竹田面沼命がその祖・武田折命を祀ったのに始まるとします。
延喜式神名帳の「但馬国二方郡 面沼神社」に比定されています。
当社は明治までは「面治大明神」「米持大明神」など、「めじ」を社名とし、それが古記録にも残っているため、延喜式が「治」を「沼」と誤記したという説もあります。
二方郡の総社として尊崇され、かつては湯谷(春来)に一の鳥居、伏拝み(細田)に二の鳥居、宮前(現在の鳥居の場所)に三の鳥居と三つの鳥居がありました。
明治6年(1873)郷社列格。
明治42年(1909)、竹田地区の無格社6社(常盤神社、米持神社、二柱神社、竹中神社、弥栄神社、寿賀神社)を合祀。
昭和17年(1942)、県社昇格の申請書を提出するも大戦中のため昇格ならず。
現在は美尼布命、倉稲魂命、天穂日命を主神とし、保食命、稚産霊命を配祀神、天神地祇、伊弉諾命、伊弉冊命、素盞嗚命を合祀神としてます。
明和7年(1770)の『面沼神社考』に「上ノ社 倉稲魂命 中ノ社 美尼布命 下ノ社 天穂日命」とあることから、かつては上社・中社・下社という形態をとっていたようです(現存せず)。
奥宮?
『平成祭データ』によると、「後山の徳原さんには奥宮の米持神社が祭られて」いるとのこと。上述の合祀された無格社の中の米持神社がこれに当たるかと思われますが、合祀後に再度祀ったのか、合祀後も元地での祭祀が継続していたのかは不明。
米持神社の場所は地理院地図に神社記号があることからここだと思うのですが…
ここの手前で車道が途切れており、ストリートビューを見ても鳥居や社殿らしきものは見当たりません。一応西北西150mほどの場所に何らかの建物があることは確認できますが、この辺は果樹園のようなのでこれは農作業用の小屋かと思われます。
なお上記果樹園?の辺りや田君川を遡っていったところには遺跡や古墳があるようです。
詳細は下記リンク先マップの7番をご参照ください(7番の地図上部真ん中より少し右あたりが竹田後山地区)。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
鳥取の岩美の方から国道9号で、あるいは兵庫の浜坂の方から県道47号で。
上記2路線の合流地点付近から北に入るとすぐ神社です。
鳥居左手から入って境内駐車可。
神社概要
社名 | 面沼神社(めぬまじんじゃ) | |
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旧称 | 面治大明神 米持大明神 | |
住所 | 兵庫県美方郡新温泉町竹田1 | |
祭神 | 美尼布命 倉稲魂命 天穂日命 | 現祭神 |
武田折命 | 『但馬故事記』 『但馬神社系譜伝』 | |
配祀 | 保食命 稚産霊命 | |
合祀 | 天神地祇 伊弉諾命 伊弉冊命 素盞嗚命 | |
社格等 | 式内社 但馬国二方郡 面沼神社 旧郷社 | |
御朱印 | 不明 | |
駐車場 | あり |