天石門別神社(美作市滝宮)

天石門別神社。

美作市滝宮に鎮座。

式内社 天石門別神社に比定され、美作三宮ともいわれる神社。

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境内

県道沿いに建つ鳥居

 

扁額

 

社号標

 

注連柱

 

参道

 

二の鳥居

 

手水舎

 

石段

 

狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

境内社

左から大歳神社・宇受売神社、稲荷神社、早滝神社、総神社

 

八幡神社

 

参道、二の鳥居手前あたりに御楯神社

 

御楯神社の右あたりに木の階段があります

少し上ったところに木のベンチがあり、そこから道が若干不明瞭だったため引き返したのですが、そのまま行けば琴弾の滝の上に出られるようです。

 

御旅所

旧地と磐座遺跡

境内にこんな琴弾の滝の案内が多数建っているのでそれに従い社殿後方に進みます

社殿の裏を降りたところに旧社地石碑と磐座遺跡があります。

 

御正殿旧跡碑

かつてはここに社殿がありました。すぐそばに滝宮ダムが建設されるにあたり、水没のおそれがあることから昭和52年に現在地に社殿が遷されました(現在の社殿のある場所は嵩上げされているそうです)。

 

磐座遺跡

猟師塚とも。天石門別神がこの地に鎮座する際に案内した猟師の塚、尊い方の墓、国司の墓といった伝承があります。

磐座というには随分人工的な石積みですが、それもそのはず、これは後年に磐座を囲ったもの。中に畳一畳ほどの平らな岩があり、それが真の磐座。天手力男神が乗って飛んできたとも伝承もあるそうです。

昔、岩に腰掛けて弁当を食べた人がお腹を壊す等といったことがあり、触れないように石で囲んだとのこと(神主が吉備津彦命が岩の上に降りてこられた夢を見たからとも)。囲った時期は不明ですが、下記の参照サイトでは元禄10年の本殿再建時、約400年前(1600年前後)という推測がされています。

また、琴弾の滝のにいた牛鬼を渋谷金王丸が退治し、牛鬼を封印した塚だという伝説もあるそうです。これは渋谷氏が社殿建立、神田寄進などを行い、当社と深い関わりを持っていたことから生じたものと思われます。

 

以下のページを参照させていただきました。

琴弾の滝

磐座の前を通ってさらに奥へ進むと琴弾の滝があります

 

琴弾の滝(雄滝)

十町滝とも。この滝を祀ったのが当社の始まりではないかとみられます。

 

滝の前の拝所

琴弾の滝は2段になっていまして、拝所の左下あたりに落差の小さい雌滝があります。が、参拝時には滝の案内板(県道沿いにある)をよく見ていなかったので気付かず、写真はありません。

 

案内図

由緒

由緒板

祭神 當神社祭神ハ天手力男神ニ坐シ神代ノ昔天岩戸ヲ開キ奉リ後永ク皇孫ヲ輔ケテ大功アリシ神ナリ今畏クモ伊勢皇大神宮御正殿内右ノ御神座ニ御相殿ノ神トシテ厚ク奉齋セラレ給フ

鎮座ノ由来 當神社ハ人皇第十代崇神天皇十年四道将軍大吉備津彦尊ノ鎮祭シ給ヘル古社ニシテ御鎮座以来二千余年ノ歳月ヲ経タリ

社伝ニ曰ク尊賊徒平定ノ勅命ヲ奉ジテ山陽道地方ニ赴キ給フヤ播磨国氷上ノ里ニ於イテ道ノ口ノ祭儀ヲ行ヒ前途ノ平安ヲ祈リ給ヘリ時ニ神教アリ即チ尊之ヨリ征行シ給ハム吉備国ハ山路峻険賊勢甚ダ熾烈ナリ依ツテ吾嚮導シテ赴カシメ奉ラム吾ハ吉備国雄神河(吉井川ノ古名)ノ川上落滾ツ早滝ノ下方に坐ス天手力男神ナリト尊甚ク喜ビ給ヒ神教ノママニ軍ヲ進メ短時日ニシテ大イニ皇威ヲ伸張シ給ヘリ復命ノ後尊ハ此ノ地ニ至リマシ自ラ祭主トシテ神恩奉謝ト戦勝祝賀ノ盛儀ヲ齋行シ永ク大神ヲ鎮祀シ給フ之當神社ノ創始ニシテ今本殿背後ノ石塚ハ即チコノ祭場ノ遺跡タリ

皇室ノ御尊崇 古来皇室ノ御尊崇一方ナラズ第五十六代清和天皇ノ貞観五年五月神階従五位上ニ進メラレ給ヒシコト正史ニ明文アリ之今ヲ距ル一千百余年前ノコトナリキ降ツテ第六十代醍醐天皇延喜七年延喜式ノ制定ニ當リテハ全国神社中ヨリ撰バレシ二八六一社中ニ列セラレ春秋二季ノ大祭ハ国費ヲ以ツテ齋祀シ美作三ノ宮トシテ境内ノ広域九丁四面東西南北各正中ニ鳥居ヲ建立シテ聖俗ヲ明示セラルルト共ニ神田十町歩ヲ賜ヒテ祭粢ノ料ニ充テ給ヘリ現ニ氏子横川ニ鳥居田及ビ作東町猿ヶ谷ニ神入口(カンニュウグチ)ナル地名ノ存スルハイヅレモコノ鳥居ノ古趾ニシテ町内真神ニ神田(カウダ)ト称スル邑里ノ在ルハコノ時附与セラレシ神田ノ一部此処ニ在リシコトノ証左タリ近キ頃マデ此ノ地ニ滝ノ宮一ノ鳥居趾トテ小芝生アリ古来氏子区域ヲ十町ト謂ヘル由来モ亦ココニ存スト云フ

武将并ニ領主ト神社 武威興隆ノ世ニ在リテモ武将ノ崇敬頻(※)ル厚ク鎌倉期當地ノ地頭渋谷氏或ハ社殿ヲ改メ奉リ或ハ神田神具祭器等ヲ献納セルコト古書ニ明カナリ然レドモ天正十八年備前長船紀伊守貞行當地ヲ所行スルヤ未曾有ノ暴行ヲ以ツテ神田ヲ始メ社有資産ノスベテヲ没収ス茲ニ於イテ社勢俄ニ衰頽往昔ヨリ伝承セル四月春季大祭ノ矢夫佐女神事七月晦日ノ田実祭九月九日ヨリ十日間ニ渉ル秋季大祭(コノ間ニ福本賀茂大明神即チ現福本神社ヘノ大御神幸祭アリ)等盛大ヲ極メシ諸祭儀モ再ビ行フニ由ナク減失セルハ寔ニ遺憾ノ極ナリトス慶長八年森忠政津山城ニ入ルヤ厚ク當社ヲ敬仰シ年々社領五十石ヲ奠ジソノ裔伯耆守長俊元禄四年本殿改築ノ工ヲ起シ仝十年二月竣工ス之現在ノ本殿ナリ

民衆ノ信仰 氏子ヲ始メ大衆亦深ク信仰シ殊ニ夏季旱天ニ至レバ必ズ参拝シテ雨ヲ祈ルヲ例トス又大神ノ伊勢神宮ニ共祭セラルル由縁ニ依リ参宮セント志ス者ハ遠近ヲ問ハズ先ヅ當神前ニ額ヅキテ道中ノ安全ヲ祈リテ後出発シ帰途ニハ絵馬ヲ求メテ之ヲ社前ニ献ジ以ツテ報賽ノ誠ヲ至セリ現ニ絵馬殿ニ掲グルモノノ中大ナルハ概ネ参宮ノ礼参ニ係ルモノニシテ当神社ノ交通安全祈願祭ノ基ナリトス
明治十三年県社ト指定セラレ以ツテ終戦ニ及ブ
昭和四十三年九月附近ニ県営ダム建設ノ議アリ之ガ完成ノ暁社殿ノ水没スベキ憂ヘ仝五十一年一月起工巨費ヲ投ジテ御模様替大工事ヲ敢行シ参道ヲ延長シテソノ参入口ニ鳥居并ニ社標碑ヲ建立シ以ツテ昿古ノ大業ヲ竣功セリ

 

※頗の誤字か

 

由緒板

美作三宮と言われる天石門別神社は、社殿の後に琴弾の滝があるところから、滝宮とも呼ばれています。創建は不詳ですが、社伝によると吉備津彦命が古代吉備の国平定のため西下した際、当社の祭神天手力男命の助けで平定できたとお礼として、当地を選び、自ら祭主となって鎮斎されたと伝えられています。

社地には随身門、籠殿、拝殿、本殿の全てが整っているうえに古代祭祀の遺跡「磐境」といわれる石積の塚も残っています。

社伝によれば創建は崇神天皇10年(紀元前88)。

四道将軍の一人、大吉備津彦命が天手力男神の加護により西道を平定し、報賽のため自ら鎮斎したのが始まりとされます。

実際には琴弾滝を水分神・祈雨神として祀ることに始まったのではないかと見られます。

 

三代実録 貞観5年(863)5月28日庚寅条に「美作国従五位下天石門別神…授従五位上」と見えるのが正史の初見。

延喜式神名帳では「美作国英多郡 天石門別神社」

 

嘉元3年(1305)に北村の地頭平重継(渋谷重継)と南村の地頭戒心尼が社殿建立。

明応8年(1499)渋谷国綱が神田寄進。

元禄10年(1697)森長俊が本殿を再建(現本殿)。

 

明治6年(1873)郷社列格。

明治13年(1880)県社列格。

昭和52年(1977)滝宮ダム建設による水没を避けるため、土地の嵩上げ工事を行い現在地に遷座。

御朱印

御朱印はあります。

ただし普段は無人なので要連絡です。

私は運悪く電話が繋がらず、未拝受。

アクセス

岡山市中心部からだと、県道27号を北東に向かいます。

新下市交差点(位置)を直進して県道253号に入り、さらに北西へ。

熊山IC(位置)から美作岡山道路に乗って北上。吉井ICを降り、津山・美作方面(右手)へ。

すぐ先の分岐(位置)は備前・和気方面(右手)へ。1.7kmほど先(位置)で左折、県道90号へ。

11kmほど県道90号を走ると、県道46号との合流地点に出ます(位置)。「琴弾の滝↖1km」の案内があるので左手へ。

800mほど先、瀧の宮トンネルを抜けると右手に鳥居があります。潜って進むと分岐するので左手の道へ(琴弾の滝の案内あり)。100mほど先で橋を渡ると駐車場。

 

上記が一番道がいいと思いますが、北か南から県道46号を使うのもあり(狭い箇所も若干あります)。

北からだと作東ICを降りて左手に進み、700m先(位置)で国道179号に合流したら左折。

3km弱先(位置)で右折。メガソーラーの間を抜けて3km弱、突き当りを右折。

あとは県道46号をひたすら和気方面へ。神社付近で道がとても狭くなるので注意。

南からだと、和気駅付近から県道46号をひたすら北上。こちらは特に狭いところはありません。

 

県道360号とか404号は狭い区間が長いのでやめた方がいいと思います。

神社概要

社名天石門別神社(あまのいわとわけ/あめのいわとわけじんじゃ)
通称滝宮
旧称
住所岡山県美作市滝宮89
祭神天手力男神
社格等

式内社 美作国英多郡 天石門別神社

日本三代実録 貞観五年五月廿八日庚寅 天石門別神 従五位上

美作国三宮

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「天石門別神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「天石門別神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 岡山県神社庁編『岡山県神社誌』岡山県神社庁, 1981
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十二巻 山陽道』皇學館大学出版部, 1980
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 25-26コマ