佐受神社(香美町香住区米地字宮脇)

佐受神社。

香美町香住区米地に鎮座。

式内社 佐受神社に比定される神社。

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境内

田んぼの中の森が社域

 

社頭

 

社号標

 

鳥居

 

扁額

 

参道

 

狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

境内社(稲荷神社?)

由緒

『兵庫県神社誌』『神社調査書』等によれば、欽明天皇32年(571)、佐須知公による創建とされます。

『但馬故事記』の『美含郡故事記』には、安閑天皇元年(534?)に佐自努公が美含県主となり、欽明天皇32年(571)に卒し、同年その子佐須地公が美含県主となって父佐自努公を祀ったとあります。

 

『式内社調査報告』によれば「大同元年(806)、佐自努公民をもって美含郡大領に任じ、従八位上を授く、同二年、始めて高蔭祭を行ふ。延長5年(927)12月、官社に列す」(出典不詳、『美含郡故事記』に近い記述はあり)。

 

当社付近に美含郡群家の存在が推定されること、周辺には古墳群や古廃寺跡があること、往古の佐津川河口はもっと内陸にあり交通の便もよかったと考えられることから、当地は古代の中心的地域であったとみられます。

 

延喜式神名帳にみえる「但馬国美含郡 佐受神社」に比定されています。

資料によって「サウケ(ノ)」「サス(ノ)」の二通りの読みがみられます。

現社名の読みは「さず」。

 

かつては米持大明神と称していたようで、現在も鎮座地の「米地(めじ)」にその名が残っています。

明治6年村社列格。

 

現祭神は佐受主命、佐受姫命。下記の佐自努命、佐須姫命と同一神でしょうか。

ただ、明治3年に何故か祭神を保食神とする申請がなされたそうで、『兵庫県神社誌』は保食神を祭神として記しています(誤申請によるものであり、本来は佐自努命、綺榺姫命を祀っていたとの記述あり)。

『但馬神社鑑』は佐自努命、佐須姫命(佐須氏の祖神とその妃神)とし、『但馬神社名目抄』は佐自努命、綺榺姫命とします。

佐受主命=佐自努命=佐自努公、佐受姫命=佐須姫命=綺榺姫命でしょうか。

 

『神名帳考証』『但馬式社考』は豊城入彦命とします。佐自努公は豊城入彦命の後裔(十世孫)にあたるとされています。

御朱印

御朱印の有無は不明。

本務社は香美町香住区無南垣の八幡神社のようです。

アクセス

豊岡から国道178号を北西へ。

佐津インター前交差点(位置)で香住道路に入らず直進。

そのまま3km弱行くと、「米地→」の案内がある(位置)ので右に入ると、すぐに神社の杜が見えてきます。

駐車場はありません。

神社概要

社名佐受神社(さずじんじゃ)
旧称米持大明神
通称
住所兵庫県美方郡香美町香住区米地字宮脇417-2
祭神

佐受主命

佐受姫命

現祭神

佐自努命

佐須姫命

『但馬神社鑑』

佐自努命

綺榺姫命

『但馬神社名目抄』

豊城入彦命

『神名帳考証』

『但馬式社考』

社格等

式内社 但馬国美含郡 佐受神社

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「米地村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「佐受神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十九巻 山陰道2』皇學館大学出版部, 1984