大山祇神社(今治市大三島町宮浦)

大山祇神社。

瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の一つ、大三島に鎮座。

伊予国一宮とされ、式内名神大社 大山積神社に比定される神社。

戦前は国幣大社、現在は神社本庁の別表神社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

扁額「日本總鎮守大山積大明神」

 

社号標

 

狛犬

 

社号標

 

総門

 

総門扁額

 

総門前狛犬

 

手水舎

 

旧神門

現在は岡山県高梁市川面町の大山祇神社に移築されています。

 

現神門

2016年12月に竣工した新しいものです。

 

神門手前狛犬

 

隼人の舞の像

案内札

隼人の舞

薩摩の隼人族が大和朝廷の貢物とした芸能が隼人舞だといわれている その祖形は山幸彦が海幸彦に勝利した物語を表現したものとも言われ隼人族と朝廷との親密な関係があったことが「日本書紀」から読み解ける 現在隼人舞は隼人の鹿児島神宮で伝承されており歌舞伎成立以前の古代芸能として大変貴重な文化遺産である

社殿

拝殿

 

本殿

本殿左手前に見えるのは神水の井戸

 

本殿前の金色狛犬

 

上津社(本殿向かって右)

 

下津社(本殿向かって左)

 

手前から下津社、本殿、上津社

 

手前から上津社、本殿、下津社

境内社・御神木等

参道沿い

御棧敷殿

 

案内札

御棧敷殿

この建物は御田植祭(旧暦五月五日)抜穂祭(旧暦九月九日)の両度、御神輿の渡御を申し上げ神田斎場祭を奉仕する御殿です。

 

斎田

 

斎田

大山祇神社伝統の神事御田植祭(旧暦五月五日)と抜穂祭(旧暦九月九日)はこの神田に於て行われます。このとき、愛媛県無形民俗文化財一人相撲が奉仕されます。

 

斎館

 

馬神社

 

神馬舎

 

乎知命御手植の楠

 

案内札

天然記念物

乎知命御手植の楠

御島(大三島)に祖神大山積大神を祭った乎知命の御手植楠(樹齢二六〇〇年)と伝えられ古来御神木として崇められている。

 

案内札

天然記念物

能因法師 雨乞の楠

日本最古の楠(樹齢三、〇〇〇年)で後冷泉天皇の御代(九〇〇年前)伊予国守藤原範国は能因法師を使者として祈雨の為参拝させた。

其の時「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」と詠し幣帛に書付け祈請したところ伊予国中に三日三夜雨が降った(金葉和歌集)と伝えられている。

 

宇迦神社。能因法師雨乞の楠の後ろ。

 

宇迦神社本殿

 

宇迦神社狛犬

 

 

河野通有兜掛の楠

 

案内札

河野通有兜掛の楠

弘安四年蒙古襲来に当り通有は当社に参籠祈願し、三島水軍を率いて筑前に進発し当神社の神使白鷺の導により勝利を得る。其の出陣の際兜を掛けたと伝う。

 

葛城神社 祓殿神社 伊予国総社

このうち、伊予国総社はその名の通り、伊予国の総社と考えられるうちの一社です(他に伊加奈志神社が総社の論社になっています)。

 

十七神社

 

県文 十七神社

室町時代

長棟造りで平安様式が残されており、当大山祇神社は伊予国一の宮でありますのでここに国中の神々を祀った建物です。特に内陣には木彫の御神像(いずれも重要文化財指定)が安置されております。

社殿周囲

本殿真後ろ 姫子邑神社

 

地神社、稲荷神社、石神社

 

院内荒神社

 

左:八重垣神社、右:酒殿

 

御鉾神社

 

御鉾神社狛犬

 

脇参道注連石

 

御鉾神社の北側、脇参道の狛犬

 

クスノキ

かなり大きいですが、特に伝承等はないようです。

 

天然記念物(国指定)大山祇神社楠木群

境内の楠木は昭和二十六年六月九日一括国の天然記念物に指定された。

指定樹三十八本の他大小約二百本の楠木が群生する。

この楠も国指定天然記念物対象樹で直径二・六メートル高さ二十四メートルある。

宝物館付近

宝篋印塔

 

重要文化財 宝篋印塔 鎌倉時代

時宗の開祖一遍上人は河野通広の子として松山宝厳寺で生まれ、三島水軍河野通信の孫に当たり、一遍上人絵伝に知られる通り大三島宮の参拝の折奉納したものです。

 

祖霊社

宝物館向かいの階段の上。神仏分離以前は神供寺という神宮寺でした。

 

祖霊社向かって左手の境内社

左:五穀神社、右:八坂神社

奥の院

なお、大山祇神社の裏、民家の間の道を進んでいくと奥の院があります(旧神宮寺の奥の院)。現在神宮寺はありませんので、大山祇神社の奥の院という扱いなのでしょうか。

 

場所はここ。

 

神社周辺の所々にこういう案内板が出ているので道はわかりやすいと思います。

 

社殿・姫子邑神社の真裏辺りから東に伸びるこの道を進みます

 

しばらく行くと標識あり

 

標識の近くに越智玉澄腰懸石があります

 

生樹の御門

樹齢2000年とも3000年とも言われる老楠です。

 

根元は奥の院への参道となっていて潜ることができ、潜ると長生きできるといった言い伝えもあります。

物語に出てきそうな雰囲気で、潜るのはとてもわくわくします。

 

天然記念物 生樹の御門

昭和二十六年十一月二十七日 愛媛県指定

大山祇神社奥の院(元神宮寺)の南方三十メートルにある。

樹令三千年の老楠、根廻り三十一メートルに及ぶ。真中が自然の洞をなし、奥の院参拝の通路となるので生樹の御門と言われている。

 

奥の院(旧神宮寺の奥の院)

 

鎌倉時代の阿弥陀如来像三軀が安置されているようで、写真が掲示されています。

ただしwikipediaによると「本尊は阿弥陀如来坐像、脇侍は観音菩薩立像と勢至菩薩立像」とのこと。

 

有文第22号 指定書

1.種別 彫刻

名称 木造阿弥陀三尊像1件3躯

上記を大三島町文化財に指定する

昭和56年3月26日 大三島町教育委員会

 

石仏でしょうか

 

仏足石?

 

奥の院の下に門のような建物がありました

宝物館

社殿南側(右手)から宝物館方面への橋

 

宝物館受付。こちら、入館料は1000円とそこそこするのですが、見る価値はあります。

刀剣や甲冑等武具類の文化財が大量に展示されており、特に甲冑は国宝・重要文化財のうち約4割が所蔵されているのです。その手の物が好きな人なら神社よりもこちらが主目的になるかも。国宝・重文含む武具類を展示する紫陽殿・国宝館の他に、昭和天皇の採集船「葉山丸」を展示した海事博物館も合わせて見学可能。こちらは鉱石やら魚介類の標本やら海事関係の物が幅広く展示されています。

由緒

境内由緒板

日本総鎮守

大三島宮 大山祇神社由緒

御祭神 大山積大神

御祭神大山積大神は天照大神の兄神で山の神々の親神に当り(古事記・日本書紀)天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として、和多志大神(伊豫国風土記)と申し上げる。海上安全の守護神である。

地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣、五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。

御分社は、全国に一〇、〇〇〇余社祀られ、延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた。

明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一の大社として尊崇されている。

 

日本総鎮守 大山祇神社由緒

大山祇神社は、瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である芸予海峡の中央に位置して、大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、日本最古の原始林社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。御祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神に当らせられる。

天孫瓊々杵尊御降臨の際、大山積大神、またの名吾田国主事勝国勝長狭命(大山積神の擬神体)は女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃とし、国を奉られたわが国建国の大神であらせられるが、同時に和多志大神と称せられ地神・海神兼備の霊神であるので日本民族の総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。

大三島に御鎮座されたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の子孫 小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司っていたとき芸予海峡の要衝である御島(大三島)に鎮祭したことに始まる。

本社は社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称せられ歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く奈良時代までに全国津々浦々に御分社が奉斎せられた。延喜式には名神大社に列し、伊予国一の宮に定められ、官制に依り国幣大社に列せられた四国唯一の大社である。現在官制は廃せられたが、地神・海神兼備の大霊神として千古の昔に変わらぬ崇敬を寄せられ、全国に奉斎される大山祇神社・三島神社の総本社として、又数万点に及ぶ宝物類を蔵する国宝の島として四季を通して多数の参拝がある。

 

境内案内図

 

創祀については諸説あり。

  1. 仁徳天皇の時代に乎知命が『迫戸浦遠土宮(せとうらおちのみや)』に祖神・大山祇命を祀った。(大三島記文)
  2. 推古天皇2年に大三島南東の瀬戸に鎮座、養老3年(719)に現在地に遷宮された。(三島宮社記)
  3. 仁徳天皇の御世に百済から渡来し摂津国の三島に鎮座。後に現在地へ勧請。(伊予国風土記逸文)
  4. 越智玉興が備中沖で飲料水に苦しんだ時、霊験により潮中に清水を得て苦難を免れたので、大三島に社殿を造営した(予章記・予陽河野家譜)

 

2.について、瀬戸の元鎮座地は横殿社(横殿宮)と言われ、今も鳥居と小さな社が建っています。

 

場所はこのあたり。

 

3.について、伊予国風土記逸文として次の記述が伝わっています。

「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積神、一名は和多志大神なり。是の神は、難波高津宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済国より度り来まして、津国の御嶋に坐しき。云々。御嶋と謂ふは、津国の御嶋の名なり。」

ここから、大山祇神を伊弉諾尊の御子ではなく百済の神とする説もあります。これに対し、大己貴・少彦名神が外国に渡って帰国したように、上古に百済へ渡り帰国したとする説も。

なお「津国の御嶋」とは摂津国の三島鴨神社を指すとされます。(現大阪府高槻市三島江鎮座)

この風土記逸文の解釈については以下のようなものがあります。

  • 越智氏が朝鮮半島出征の際、大山積神を戴いて帰朝したことを指す。
  • 越智直が百済出征の際捕虜となり、中国へ拉致された後帰国、労苦をねぎらい朝廷が越智郡を作ったことに基づく。

 

続日本紀 天平神護2年(766)4月甲辰(19日)条に「伊豫国…越智郡大山積神従四位下。充神戸各五煙」とみえるのが正史の初見。

続日本後紀 承和4年(837)8月戊戌(7日)条に「伊豫国従四位下大山積神…預名神」とあり、南海道初の名神に預かっています。

三代実録 貞観2年(860)閏10月16日壬戌条に「進伊豫国従四位上大山積神階加従三位」、同8年(866)閏3月7日壬子条に「進伊豫国従三位大山積神階加正三位」、同12年(870)8月28日戊申条に「授伊豫国正三位大山積神従二位」、同17年(875)3月29日壬子晦条に「授伊予国従二位大山積神正二位」とある通り昇階を重ね、延喜式神名帳では「伊豫国越智郡 大山積神社 名神大」と名神大社に列せられます。

 

六国史以降、『三島宮社記』にはこの後、元慶元年(877)正一位を授けられたとの記録があります。

「五十七代陽成天皇御宇元慶元丁酉年夏六月、天下大旱、詔令於當社。七日而大雨。因之秋九月、正二位大山積大神、進従一位賜。」(大三島社記)

Wikipedia等で寛平9年(897)に正一位という記述がありますが詳細不明。社伝に基づくようですが…大三島記文?

 

またいつ頃からかは不明ですが、伊予国一宮とされました。

 

『三島宮御鎮座本縁』には、日本総鎮守の由来として以下の内容が記されています。

三蹟の一人、藤原佐理が伊予権守の任務を終え、都への帰路で風波に船足を止められた際、三島明神が霊夢にて扁額を書くよう告げます。翌日佐理は斎戒沐浴し「日本総鎮守大山積大明神」と書き上げた額を奉納。風は止み佐理は帰京します。都で経緯を上奏すると、円融天皇はあらためて「日本総鎮守」の名号を賜ったと。

船板に書かれたという佐理の扁額は今も保存され、重文に指定されています。

 

明治4年国幣中社、大正4年国幣大社に列格。

戦後、神社本庁の別表神社に指定。

境外・一の鳥居

一の鳥居。神社から800mほど西、今治市役所大三島支所のそばにあります。

かつてはすぐそばにある宮浦港に愛媛・広島との航路があったのですが、しまなみ海道の開通により利用が減った結果航路・港とも廃止されてしまいました。現在港の跡地はいまばり・みやうら海の駅となっています。しまなみ海道開通前は宮浦港からこの鳥居をくぐり、宮浦の参道商店街を通って参拝するのが主だったそうです。しまなみ海道からだとちょうど逆方向からのアクセスになるので、参拝してもこの鳥居の存在に気づかない人も多いかもしれません。

通る人が減ったために商店街も活気を失っているようで…アクセスこそ便利になったものの、寂しい感じがします。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあり。ちょっと大きめサイズです。

アクセス

当社は島にありますが、道路が通じているため車でのアクセスが可能です。しまなみ海道を大三島ICで降りて10分ほど。神社すぐそばの藤公園市営駐車場か、道路挟んで向かいの道の駅しまなみの駅御島に駐車できます(いずれも無料)。

 

藤公園市営駐車場はここ。

神社概要

社名大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)
別名日本総鎮守
住所愛媛県今治市大三島町宮浦3327
祭神大山積神
社格等

式内社 伊豫国越智郡 大山積神社 名神大

続日本紀 天平神護二年四月甲辰(十九) 大山積神 従四位下

続日本後紀 承和四年八月戊戌(七) 大山積神 名神

日本三代実録 貞観二年閏十月十六日壬戌 大山積神 従三位

日本三代実録 貞観八年閏三月七日壬子 大山積神 正三位

日本三代実録 貞観十二年八月廿八日戊申 大山積神 従二位

日本三代実録 貞観十七年三月廿九日壬子晦 大山積神 正二位

伊豫国一宮

旧国幣大社

別表神社

伊豫国総社(境内社の伊予国総社)

御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり

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