佐々久神社(西条市安用甲)

佐々久神社。

西条市安用、佐々久山に鎮座。

式内社 佐々久神社に比定される神社。

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境内

山の東と西から登ることができますが、西からの場合、墓地の横から坂を登り、上の建物と水道施設の間を通って山に入ります。

仏教系の墓地に見えますが、上の建物には注連縄が掛かっています。新宗教系の墓地なのでしょうか。

 

墓地裏手の道

 

この道からは遠くまで見渡せます

 

西側の道を上から

こちらからは車で登ることもできそうです。

 

鳥居

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

石祠群

 

正面奥が佐々久山最高部

案内によると弥生中期の甕棺墓群があるようです。

 

佐々久山遺跡群

佐々久山は南北約八〇〇米の和泉砂岩からなる丘陵である。丘陵には南端から北端まで弥生時代から古墳時代の遺跡が多数遺存し道前平野最大の遺跡群である。南端には土壙墓群、中央部には土壙墓や、箱型石棺が有り、神社前の最高部には、弥生中期の甕棺墓群がある。ここからはすでに子供用合せ甕棺が出土した。

これに続く北部にも甕棺墓や、北端には横穴式石室の古墳が存在したがすでに破壊されて存在しない。この古墳からの出土物は須恵器、鉄器、玉類等である。

又丘の北端部には伊予の中世に君臨した河野道堯の墓があり、又河野氏と共に戦かった宇和の豪族、西園寺公俊の墓が中央部東の山すそにある。この墓石は緑泥片岩の板状のもので、石棺の蓋石を利用したものと云われる。

由緒

佐々久神社

所在 大字安用五十二番地

社名 佐々久神社(鎮座年月不詳)

祭神 大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)(仁徳天皇) 外一神

当社は延喜式に載する社で布都神社、周敷神社にならぶ古社である。仁徳天皇(大鷦鷯尊)崩御のとき、万民はその徳をしたいて神社を建てこれを祭る。「おおささぎのみこと」の音韻に合せ佐々久の地名と社名が生じたと云われる。元は山の南端に有ったが、天授五年讃岐の将細川頼之が侵攻、河野道堯と佐々久原で合戦した。細川方は社殿等すべてに放火焼失した。後、旧地に小社を再建したが、享保十二年五月十五日に現在地に移し今に至る。元禄十四年六月十三日より十七日間藩命により祈雨祭をおこない瑞雨を得て穀物豊作となる。後、各地より祈雨祈晴五穀成就の祈願依頼あり尊崇甚だ厚かったと伝わる。

創建時期は不詳。

かつては山の南西麓の南尾崎という地にあったといいます。

 

当社の鎮座する佐々久山は道前平野最大の遺跡群だそうで、多数の墓や古墳が見つかっているそうです(古墳は破壊され現存せず)。

 

延喜式神名帳にみえる「伊豫国桑村郡 佐々久神社」に比定されています。

 

天授5年(1379)に細川頼之が伊予に侵攻し、河野通堯と佐々久原で合戦の際に焼失。

その後旧地に小祠を再建。

享保12年(1727)に現在地に遷座。

 

元禄14年(1701)に藩命により祈雨祭を行なったところ、瑞雨を得たため、社殿の修復料として米20俵の寄進を受け、その後も藩や郡の祈雨祈晴五穀成就の祈願がなされたといいます。

 

現祭神は大鷦鷯尊(仁徳天皇)、神八井耳命の二柱。

 

大鷦鷯尊祭神説については、享保年間成立の『豫州二十四社考』や『佐々久神社記』が挙げており、「おおささぎのみこと」の音韻に合わせ社名・地名が生じたとします。が、逆に地名からの付会とも考えられます。

この説の背景には、上述した元禄14年の祈雨祭の影響が考えられています。旱魃に苦しむ農民にとって、「民のかまど」の逸話に見られるような民の苦しみを理解する神として大鷦鷯尊が印象づけられたのではないか、と式内社調査報告では推測しています。

享保13年(1728)には祈雨の方法を味酒神社(現・松山市味酒町の阿沼美神社)から導入したそうですが、味酒神社神職は国学者の大山為起、さらに大鷦鷯尊説を唱えた『豫州二十四社考』著者小倉正信はその弟子。ここから、味酒神社関係の国学者が提唱し出した説ではないかとも。

 

神八井耳命説については、『神名帳考証』が唱えた説のようです。

古事記において、神八井耳命は伊余国造の祖とされ、先代旧事本紀の国造本紀においても神八井耳命8世孫である伊都許利命が初代とされる印波国造と同祖とされるため、根拠はあります。

しかし伊余国は伊豫國伊豫郡に比定されており、また式内社調査報告によると、神八井耳命を祖神とし当地桑村郡と関連する氏族は他に見当たらないとのこと。

 

この他、当社の『社記旧説』には磐裂神、根裂神を本来の祭神とする記述が見えます。

どうも「佐々久」と「裂く」が通じるから、のようですが。

同書は当社の鎮座する佐々久山を「如龍蛇蟠中野首南尾北」と龍に形容しており、山自体が神体、龍神と見られていた可能性もあります。

式内社調査報告は、旧社地が龍の首に当たる位置であることから、首を斬られた軻遇突智神のイメージを挙げています(磐裂神・根裂神は軻遇突智神の血から生まれたとされる)。

 

また当社北西に鎮座する布都神社(式内社比定社)との関係で、龍蛇退治の神話があったのではないかとも(当社を龍とし、八岐大蛇退治の神話になぞらえ、蛇之麁正で八岐大蛇を斬った素盞嗚尊を布都神社の「秘密祭神」にあてる説がある)。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

壬生川駅の東、三津屋南交差点で国道196号を西に折れます。

3km弱先、今治小松自動車道の高架を潜った先の十字路で北(右手)に折れ、周越農道に入ります。

2km程先で左手の住宅地に入り、西奥の墓地まで。

こちらからは山の中へは車では入れず、住宅地の道は離合不可な狭さのため、墓地の駐車場をお借りする他ありません。

 

西からの場合、上図の辺りで南の農地の間を通る道に入り、200m弱先で左に折れると山の中へ入れます。

山の上は停めたり転回できるくらいのスペースはあります。

神社概要

社名佐々久神社(ささくじんじゃ)
通称
旧称
住所愛媛県西条市安用甲512
祭神

大鷦鷯命

神八井耳命

現祭神

磐裂神

根裂神

『社記旧説』
社格等

式内社 伊豫国桑村郡 佐々久神社

村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし(西側から車進入可)
公式Webサイト
備考

参考文献

『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』 皇学館大学出版部

 

『日本歴史地名大系 39 愛媛県の地名』 平凡社

 

『愛媛県神社誌』 愛媛県神社庁


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