村山神社(四国中央市土居町津根)

村山神社。

四国中央市土居町津根、赤星駅の南に鎮座。

式内名神大社 村山神社に比定される神社。

広告

境内

社頭

 

社号標

 

社号標

 

狛犬

 

鳥居

ここで参道が90度折れます。

 

扁額

 

注連柱

 

神門

 

狛犬

 

手水舎

 

脇参道鳥居

社殿

拝殿

 

本殿

御宝塚

社殿正面に御宝塚と呼ばれる塚があります。

経塚とか、高貴な方の御陵とかといった説があります。

社伝によると、ここは斉明天皇の御陵所であり、当社に祀られる70余体の木像はその近侍の像だとされているとのこと。

 

玉垣に囲われています

 

御宝塚

周りに濠があります。

 

宝塚の碑

 

左手に水路とおぼしき穴がありました

『西條誌』に載る境内図には宝塚の左手に「みたらし泉」が描かれているので、もしかすると今も石垣の下に残っているのでしょうか。

 

磐瀬の行宮とお宝塚

応神天皇の御代秦氏がこの地に栄え、続いて孝徳天皇の御代阿部小殿小鎌が常の里に派遣され砂金の採集に当った。その後斉明天皇の七年天皇筑紫行幸の途次道後温泉に御入湯後三月二十五日中大兄皇子、大海皇子等を伴い御船を還えして娜の大津磐瀬の行宮に還行され地を長津と改められたと日本書紀に誌されており、お宝塚を中心とする村山神社神域が磐瀬の行宮遺蹟と拝察され、またお宝塚は高貴の方の御陵とも伝承されている。

境内社等

祀られている石

左の石には石鎚神社と彫られています。

 

境内社

判読不可あるいは掲示がないため、各社名は不明。

境内社は『明治神社誌料』によれば、出雲社、稲荷社、愛宕社、八坂社、八幡社。

愛媛県神社庁のサイトによれば、出雲社、合祀社、八坂社、愛宕社、須波社。

 

御神木?

由緒

由緒書

村山神社(延喜式内名神大社)

斉明天皇と天智天皇を祭神とするこの神社は、津根郷発祥の歴史とともに隆昌した県下屈指の式内大社です。

拝殿前のお宝塚は、斉明天皇百済救援の折の御陵所ともいわれています。

古来西国二十三か国の人々は、下参宮と称し、この村山神社に参詣することで、伊勢神宮の参拝に替えていたそうです。

また、ここにまつってある木造70余体は、斉明天皇近侍の生像といわれています。

創建時期は不詳。

応神天皇の御代に秦氏が当地に栄えたといい、あるいはその頃の創建か。

 

鎮座地の津根は和名抄にみえる「伊豫国宇摩郡津根郷」に比定されており、和銅2年(709)の『河内国古市郡西林寺事』にも「伊豫国宇摩郡常里」とみえています。

 

日本書紀によると、斉明天皇7年(661)1月6日、天皇は百済救済のため船で西へ向かい、14日に伊予の熟田津の石湯行宮に滞在。3月25日に娜大津の磐瀬行宮に入り、地名を長津と改めたとされます。

娜大津は博多湾を指すというのが有力な説ですが、当地を指すとする説(日本書紀 斉明天皇7年3月庚申条「御船還至于娜大津。居于磐瀬行宮」の「還至」を還った=石湯行宮から東に向かったと解釈する。釈日本紀に「于娜者。伊豫国宇麻郡也。長津宮者。伊豫国也」とある)もあり、それに基づき当社が磐瀬行宮跡だともいわれています。

 

文徳実録 仁寿3年(853)6月甲戌(15日)条に「以伊豫国村山神預於名神」三代実録 貞観9年(867)2月5日乙亥条に「授伊豫国…従五位上村山神正五位下」同12年(870)8月28日戊申条に「授伊豫国…正五位下村山神正五位上」とみえる村山神、ならびに延喜式神名帳にみえる「伊豫国宇摩郡 村山神社 名神大」は当社に比定されています。

 

皇室や国主河野氏の崇敬も厚く社運は隆盛、西国の人々は当社参宮を下参宮と称し、伊勢参宮に替えたといいます。

 

天正(1573~92)の兵乱で社殿社宝など焼失し衰微。

近世には西条藩の祈願所6社の一つとされていたようです。

 

明治12年県社列格。

 

現主祭神は天照皇大神、配祀神は斉明天皇、天智天皇、天児屋根命。

 

明治以前は大山積神、大己貴命、武国凝命の3説があったようです。

ただ『津根村風土記』では当社を天照大神宮で内宮、豊岡山豊受宮(現在の四国中央市富郷町豊坂に鎮座の豊受神社、位置)を外宮として、伊勢神宮同体としています。

明治4年の神社明細帳では天照皇太神、天兒屋根命、天命開別命(天智天皇)とされており、ほぼ現在に近い祭神となっています。

御朱印

御朱印はあります。

社殿右手、鳥居を出た所に宮司さんのお宅があるので、そちらで拝受可。

アクセス

松山道土居ICを松山・新居浜方面(左手)に降り、国道11号を西へ。

1kmほど先の交差点(位置)で南(左手)へ。

突き当り右手が社頭。

参道入ってすぐ左手が駐車場のようです。

灯籠や狛犬が建っているので、大きい車だとちょっと入りづらいかも。

神社概要

社名村山神社(むらやまじんじゃ)
通称
旧称

村山大明神

長津宮

伊和世の宮

椿の宮

住所愛媛県四国中央市土居町津根1865
祭神天照皇大神現祭神
大山積神

『延喜式神名比保古』

『豫州二十四社考』

大己貴命

『豫陽郡郷俚諺集』

『豫州二十四社考』

『西條誌』

武国凝命『神名帳考証』
配祀

斉明天皇

天智天皇

天児屋根命

社格等

式内社 伊豫国宇摩郡 村山神社 名神大

日本文徳天皇実録 仁寿三年六月甲戌(十五) 村山神 名神

日本三代実録 貞観九年二月五日乙亥 村山神 正五位下

日本三代実録 貞観十二年八月廿八日戊申 村山神 正五位上

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「村山神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「村山神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 333コマ