安積国造神社(郡山市清水台)

安積国造神社。

郡山駅の西500m程、清水台に鎮座。

初代安積国造、比止禰命によって創祀されたといわれる神社。

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境内

境内から県道17号挟んだところの路地が表参道のようで、一の鳥居が建っています(位置)。

 

一の鳥居と、手前に扁額の掛かった提灯掛け(?)

 

社号標

 

二の鳥居

 

社号標

 

郡山市伝統文化遺産・① 安積国造神社

ご創建は、第13代成務天皇の御代。勅命により、比止禰命(ひとねのみこと)は、安積国造に任ぜられ、この地を開き、社稷(しゃしょく)の神として、安積国造(あさかくにつこ)神社をお祀りしました。後、坂上田村麻呂将軍が本神社に八幡大神を合祀されました。江戸時代、安積伊東氏氏神の稲荷大神を合祀。旧県社、郡山総鎮守。昌平坂学問所教授安積艮斎先生誕生の地です。

 

三の鳥居

 

狛犬

 

手水舎

 

「ある日鎮守の森で」

詩人の三谷晃一さんという方による、先々代の宮司さんの思い出を書いた詩のようです。最後の方がはがれてしまってちゃんと読めないのが悲しい。

 

安積発祥の碑

 

郡山八幡祠碑

 

安藤脩重翁碑

 

信州高遠透かし灯籠

 

信州高遠透かし灯篭

明和7年 今から二百数十年の昔安積国造神社第55代宮司二本松神社永代兼帯宮司安藤親重先生は白王稲荷大明神が正一位を賜る事と成り京都へ上りました。その旅中の事、同宿した信州高遠城下の二人の商人が商売に失敗して故郷へ帰る事が出来ないと話しておりました。その様子があまりに哀れに見えたので宮司は二人を慰めて金子を与えました。

後日、二人が郡山に来て宮司を訪れ話しました。「その後、商売の方は徐々に回復しました。宮司様へ御礼のため参上致しました。」宮司答えて言うには「それは意外のことです。私はあなた方に金子を与えた覚えがありません。おそらくこれは白王稲荷大明神のお恵みでしょう。」との事

二人の商人は深く感銘して涙を流し、この透かし灯篭を感謝の真心として奉納しました。信州高遠城下の小林、井口の両家はその後益々繁栄しております

 

北参道の鳥居

すぐ手前が交通量多い県道のためうまく全体を納められず…

 

扁額

 

北参道の社号標

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

社殿右側

皇大神宮

鳥居は伊勢神宮から拝領したものとのこと。由緒書には末社、神社のWebサイトには摂社と記載。

 

皇大神宮の参道に並ぶ祠群

 

郡山市招魂社

靖国神社の御分霊。

社殿左側

安積天満宮

 

安積天満宮

祭神 贈太政大臣菅原道真公

    昌平黌教授安積艮斎先生

例祭日 二月二十五日

月次祭 毎月二十五日

由緒

祭神の菅原道真公は、大政治家・大学者として知られる偉人であります。延喜3年(903)に神去られましたが、その後は、学問の神として広く崇敬されています。江戸時代には太宰府天満宮(総本社)のご分霊が安積天満宮に奉祀されました。

江戸幕府昌平坂学問所の教授を務められた大儒学者安積艮斎先生は、安積国造神社第55代宮司安藤親重大人の三男であります。その遺徳を称え奉り、艮斎先生の御神霊が合祀されています。

 

天満宮に祀られている、安積艮斎先生の銅像が境内にあります

彼は当社社家出身の学者で、江戸で私塾を開いたり昌平坂学問所の教授を務めるなどし、著書も多く洋書の翻訳も手掛けています。その門人は2280余名に上り、小栗上野介、岩崎弥太郎、前島密をはじめ錚々たる人材を輩出しています。

 

白王稲荷神社のお狐さん

 

扁額

一見、皇稲荷神社に見えてしまいます。そして肝心の鳥居を撮り忘れ。

 

参道入り口脇のこちらは…

 

白王稲荷神社

 

隣にも、お稲荷さんとおぼしき小さなお社が

 

古峯神社

 

境内左手奥には石碑や石祠が並んでいました

 

神楽殿

おかめの面のインパクト…

 

神社そばの交差点に建つ謎オブジェ

無表情っぽさが怖い。

 

境内の神社会館で寄り添ってた鳩

由緒

社伝によれば、創建は成務天皇5年(135?)。

天湯津彦命10世孫の比止禰命が、勅命により阿尺国造に任ぜられ安芸国から当地へ赴任。

当社北約1kmにある赤木山に五穀神和久産巣神と祖神天湯津彦命を祀ったのが始まり。

赤木山の由来については、安芸から赴いた比止禰命が「阿岐」に「加」の一字を挿入して「阿加岐」山と称したという伝承があります。

 

その後、第20代安康天皇の2年(455)、国造の第4世止禰彦命が比止禰命を合祀、国造神社と号したとされます。

 

延暦年中(782~860)、坂上田村麻呂が東征の際、当社に八幡大神を合祀し、軍旗と弓矢を奉納。

永承年中(1046~1053)、源頼義東征の際、当社に戦勝祈願し「幕内」の地名を付しました。

寛治元年(1087)、後三年の役に際し、源義家が社領を寄進。

 

天和3年(1683)、八幡大神が赤木山の国造神社から、稲荷大神が中世安積領主伊東氏の城内から、それぞれ当地清水台に奉遷。

明治5年(1872)、赤木山の国造神社が当地に奉遷され、八幡宮、稲荷大明神と3社を総称して安積国造神社と号するように。

明治9年郷社に列格、明治33年県社に昇格。

現在も、元鎮座地には赤木神社が鎮座しています。

 

 

ちなみに、当社周辺には清水台遺跡(古代安積郡郡衙跡)があり、安積郡の郡衙(地方の役所)が置かれていたと発掘により推定されています。

これだけの歴史を持つ当社ですが、延喜式神名帳にも六国史にもその名が現れません。

その理由は不明です。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

赤木神社の御朱印もいただけます。

また、オリジナルの御朱印帳もあるようです。

アクセス

郡山駅から徒歩8分ほど。

西口を出て、アティ郡山(ヨドバシとかが入っているビル)の前(位置)から代官小路なる細い路地を西へ進み、突き当りを右手に折れると、すぐ左手に冒頭の提灯掛けと鳥居が見えます。

表参道は県道で分断されていますが、右手から歩道橋で渡ることができます。

 

車の場合は境内北の北参道鳥居(位置)から車を入れられます。

神社概要

社名安積国造神社(あさかくにつこじんじゃ)
通称
旧称国造神社
住所福島県郡山市清水台1-6-23
祭神

和久産巣日神

天湯津彦命

比止禰命

誉田別命

倉稲魂命

社格等旧県社
札所等
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.asakakunituko.jp
備考旧地:赤木神社

参考文献

  • 「郡山村」「清水台遺跡」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「安積国造神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十二巻 東北・北海道』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 387-388コマ