飯野八幡宮(いわき市平字八幡小路)

飯野八幡宮。

いわき駅の西900m程の場所に鎮座。

かつて平城三社の一つに数えられた八幡宮。

広告

境内

鳥居

 

楼門

国指定重要文化財。万治元年(1658)建立。

 

唐門

国指定重要文化財。建立時期は不明ですが元禄期の飯野八幡宮境内修理の時期に合わせて建立されたと考えられているようです。

 

神楽殿

国指定重要文化財。元和9年(1623)建立。

 

瑞垣東側の鳥居

社殿

拝殿

後ろの本殿がかなり大きく屋根の大部分が見えています。

 

本殿

国指定重要文化財。元和2年(1616)上棟。当初は流造、その後改築により現在の入母屋造に。

境内社等

本殿左側の武内神社

 

本殿右側の白幡神社

 

仮殿

国指定重要文化財。寛文13年(1673)建立。本殿を延宝2年に修理するため建立されたとみられていますが、現在は御輿殿。

 

若宮八幡神社

国指定重要文化財。元和5年(1619)建立。なお重文指定は奥の本殿で、手前の前殿は近年復元されたものだそうです。

 

この他に宝蔵が国指定の重要文化財で、実に7棟の建造物が重要文化財指定を受けています。

 

参道脇の春日神社

 

駐車場入口の愛宕神社

 

事代主神社

 

石祠

由緒

飯野八幡宮由緒

当宮所蔵の文書によれば文治二年(一一八六)後鳥羽天皇の御代、幕府の命により京都石清水八幡宮より御正体を奉じて赤目崎物見岡、今の旧城跡の高地に勧請し、元久元年(一二〇四)社殿を造営し、建永元年(一二〇六)に遷座したと云われている。建暦元年(一二一一)には、八幡宮御浜出の神事が執り行われ、宝治元年(一二四七)には北条泰時好嶋荘を寄進し、伊賀光宗(幕府評定衆飯野氏の祖)が好嶋荘預所となり当宮の宮司を兼ね爾来、累代相継ぎ杞職となり現宮司にいたる。元弘、建武の頃兵火によって社殿を焼失したので、光宗六世の孫伊賀盛光は建武二年(一三三五)に足利尊氏に請うて好嶋荘東西地頭等に命じて社殿を造営せしめた。康永二年(一三四三)幕府より岩城郡小泉村同三年同郡中平窪村又標葉郡落合村等を寄進せられ、貞和二年(一三四六)には放生会流鏑馬神事が定められた。文禄五年(一五九六)旧地を検注し、上荒川村、白岩村の六百五十石を神領として神主飯野式部大輔に寄さしめた。古図面によれば、小嶋山に三の鳥居、仏崎(現松ヶ岡公園)に二の鳥居、一の鳥居(現社前)とつづき桜門、瑞籬門があり、御本社の東に若宮、御供屋、西に阿弥陀堂、山王社、三重塔、十一面堂、籠所が散在し壮大なものであったが、慶長十七年(一六一二)火災により焼失した。その後元和二年(一六一六)に社殿を造営したのが現在の本殿である。慶安元年(一六四八)徳川家光朱印を下し神領四百石を定めた。延宝二年(一六七四)現社殿を改築し、磐城四郡の総社として社家三十二人供僧十二坊をおき、別に歴代平城主より五十石寄進され、明治十二年に県社に列せられた。

当社の創建については、上記境内由緒書にあるように文治2年(1186)、源頼朝の命により石清水八幡宮より御正体を奉じ赤目崎見物岡(いわき駅北の高台、物見ヶ岡とする資料もあり)に祭祀したとする説と、康平6年(1063)源頼義が前九年の役出征の時に京都石清水八幡宮を必勝祈願のため勧請したとする説の2説があります。

源頼義が奥州の安倍氏討伐の際、鶴岡八幡宮を起点に五里ごとに石清水八幡宮を勧請して祀ったという五里八幡の一つともいわれています(後者の説に基くものか)。

現在の由緒書には康平6年勧請、文治2年赤目崎見物岡に奉祀とあります。康平6年から文治2年までどこに鎮座していたかは明示されていません。

 

由緒書によると元久元年(1204)火災に遭い社地を飯野平に移して社殿造営、建永元年(1206)遷宮とあるのですが、後述のように見物岡に平城が築城された際に移転との記録もあるので、不明。そもそも飯野平というと現社地も旧社地も含む範囲になるのでは…

 

宝治元年(1247)に北条泰時が好嶋荘を寄進、幕府評定衆の伊賀光宗(現宮司飯野家の祖)を好嶋荘の預所職兼宮司職に任命。

元弘の乱(1331)に際して社殿その他を焼失。

建武2年(1335)光宗の6世の孫盛光が足利尊氏に訴願し社殿再興。

この時地名にならい社号を飯野八幡宮に改称したとされます。

 

慶長7年(1602)鳥居忠政が平城主として入部の際、見物岡に築城したため現在地に遷座。

慶長19年(1614)火災に遭い、元和2年(1616)再建(上記由緒書には慶長17年火災とあるが誤記か)。

当初は前殿付流造でしたが、延宝2年(1674)の大改修で桁行三間梁間三間の杮葺入母屋造となり、その後修理を行いつつ今に至っています。

 

かつては阿弥陀堂、釈迦堂、地蔵堂、十王堂、鐘楼などの佛堂が立ち並び、真言宗16ヶ寺の供僧が奉仕していましたが、明治の神仏分離令により、供僧寺と佛堂施設は除かれてしまいました。

 

明治12年県社列格。

明治6年(1873)宮号の使用が禁止され飯野八幡神社と改称。

昭和36年(1961)飯野八幡宮の古称に復し現在に至ります。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

木製のオリジナル御朱印帳があるようですが、御鎮座950年式年例大祭の記念品らしく、現在も頒布しているかは不明。

アクセス

いわき駅の南から西進、子鍬倉神社の裏を通り平第一小学校と平第一中学校の間を北上。裁判所や検察庁の横を過ぎると十字路(位置)があるので左折し直進。

100mほど先、境内の南東隅あたり(位置)から進入可。駐車場もあります。

神社概要

社名飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)
通称
旧称

奥州磐城石清水八幡宮

飯野八幡神社

住所福島県いわき市平字八幡小路84
祭神

品陀別命

息長帯姫命

比賣神

社格等旧県社
札所等
御朱印あり
御朱印帳あり(限定品?)
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.noteplan.net/8man/
備考旧地は赤目崎見物岡(いわき駅北の高台、物見ヶ岡とする資料もあり)

参考文献

  • 「飯野八幡宮」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「飯野八幡宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十二巻 東北・北海道』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 397-398コマ