天石門別八倉比売神社。
徳島市国府町西矢野にある阿波史跡公園内に鎮座。
式内大社 天石門別八倉比売神社並びに、阿波国一宮の論社。
参道・境内社
一の鳥居
社頭から1km以上東、鮎喰川の付近(位置)にあります。鳥居の向こうに見えるのが気延山?
一の鳥居扁額
二の鳥居
二の鳥居扁額
注連柱と三の鳥居
三の鳥居扁額
社日塔
しばし進むと鳥居と石段が見えてきます
鳥居
扁額
神社は杉尾山(気延山の南麓尾根)という小山の上に鎮座しています。なので石段を登ることになるのですが、ここまでの参道も緩い登り坂なので、けっこう体力使います。
石段上境内
手水舎
石段上狛犬
社殿前狛犬
社殿裏の破損した狛犬
社殿
拝殿
神紋の抱き柏?
本殿
奥の院
社殿右手の石段から、裏手にある奥の院へ登れます。
こちらが奥の院
五角形の石積。一説に卑弥呼の墓とも。
この祭壇自体はさすがにそこまで古い時代の物とは思えないですが、その下の古墳(この奥の院は前方後円墳の後円部頂上にある)がそうだと言われれば、一考の余地はあるのかも。古墳自体は、測量はされているものの未発掘だそう。
この祠の中の石がつるぎ石でしょうか
陽石のように見えます。
奥の院に登る途中にある祠
境内社等
箭執神社
箭執神社
三の鳥居そばにあります。
創立 年代不詳
御祭神 櫛岩窓命 豊岩窓命
御門の神で天石門別神とも云う
手水鉢に天保十五年九月吉日建造と記してある。又、八倉比売神社に御由緒深き関係あり八倉比売神社と共に古き社である。
箭執神社のミニ狛犬
箭執神社脇の祠
松熊神社
松熊神社
松熊神社本殿覆屋?
創立 年代不詳
御祭神 手力男命 天宇受女命
両神とも天照大神に仕えたゆかりの深い神である
本宮に伝わる御本記によると当松熊神社は麓の箭執神社を矢の御倉とし、当社を弓の御倉と号して日靈大神が高天原より天降り座すまで御弓を守り奉ったと記されている。
『阿波国風土記』(筑波大学附属図書館所蔵)には、当社が式内社 麻能等比古神社だという記述があるようです。
松熊神社そばの祠
大泉神社
八倉比売神社の石段下、手前の道を北側にしばらく進むと大泉神社の石段
鳥居
この井戸が天真名井のようです
奥の院と同じ五角形。意味があるように思えますが、由来は不明。
その横に石祠(?)
社殿はないので、天真名井と祠が大泉神社のようです。
大泉神社の近くにあったこちら
昔あったという神饌田と関係ある?それともただの池?
伊魔離神社
二の鳥居から少し南に行くと伊魔離神社があります。
社頭
拝殿
本殿覆屋
扁額
伊魔離神社狛犬
伊魔離神社の社日塔
その他境内社
本社脇の稲荷社
稲荷社お狐さん
稲荷社狛犬
本社付近の祠
神具庫?
参道脇の古墳と祠
気延山周囲には多数の古墳があります。
阿波史跡公園と気延山
大泉神社から道なりに進むと再現された古代の住居や高床式倉庫が並ぶゾーンへ
ここを抜けると駐車場…という感じで公園をぐるっと回れます。
元鎮座地と言われる気延山山頂へは八倉比売神社社殿左手から登山道が伸びています。山頂に石祠等あり。
他にも公園内には考古資料館や複数の古墳など、たくさんの見所があります。
由緒
式内正一位 八倉比賣神宮
御祭神 大日孁女命(別名天照大神)
御神格 正一位、延喜式に記録された式内名神大社である。仁明天皇の承和八年(八四一)八月に正五位下を授けられ、清和天皇貞観十三年(八七一)二月二十六日に従四位上と次第に神格を昇り、後鳥羽天皇の元暦二年(一一八五)三月三日正一位となる。
御神紋 抱き柏。
当社は鎮座される杉尾山自体を御神体としてあがめ奉る。江戸時代に神陵の一部を削り拝殿本殿を造営、奥の院の神陵を拝する。これは柳田国男の「山宮考」によるまでもなく、最も古い神社様式である。
奥の院は海抜一一六米、丘尾切断型の柄鏡状に前方部が長く伸びた古墳で、後円部頂上に五角形の祭壇が青石の木口積で築かれている。青石の祠に、砂岩の鶴石亀石を組み合せた「つるぎ石」が立ち、永遠の生命を象徴する。
杉尾山麓の左右に、陪塚を従がえ、杉尾山より峯続きの気延山(山頂海抜二一二米)一帯二百余の古墳群の最大の古墳である。
当八倉比賣大神御本記の古文書は天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神(いまりのかみ)、葬儀委員長大地主神(おおくにぬしのかみ)、木股神(きまたがみ)、松熊(まつくま)二神、神衣を縫った広浜神(ひろはまのかみ)が記され、八百萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。
銅板葺以前の大屋根棟瓦は、一対の龍の浮彫が鮮かに踊り、水の女神との習合を示していた。古代学者折口信夫は天照大神を三種にわけて論じ、「阿波における天照大神」は「水の女神に属する」として「もっとも威力ある神霊」を示唆しているが、余りにも知られていない。
当社より下付する神符には、「火付せ八倉比賣神宮」と明記。
鎮座の年代は、詳かではないが、安永二年三月(一七七三)の古文書の「気延山々頂より移遷、杉尾山に鎮座してより二千百五年を経ぬ」の記録から逆算すれば、西暦三三八年となり、四世紀初の古墳発生期にあたる。しかも、伝承した年代が安永二年より以前であると仮定すれば、鎮座年代は、さらに古くさかのぼると考えられる。
矢野神山 奉納古歌
妻隠る矢野の神山露霜に にほひそめたり散巻く惜しも 柿本人麿(萬葉集収録)
当社は、正一位杉尾大明神、天石門別八倉比賣神社等と史書に見えるが、本殿には出雲宿祢千家某の謹書になる浮彫金箔張りの「八倉比賣神宮」の遍額が秘蔵され、さきの神符と合せて、氏子、神官が代々八倉比賣神宮と尊崇してきたことに間違いない。
古代阿波の地形を復元すると鳴門市より大きく磯が和田、早渕の辺まで、輪に入りくんだ湾の奥に当社は位置する。
天照大神のイミナを撞賢木厳御魂天疎日向津日賣と申し上げるのも決して偶然ではない。
なお本殿より西北五丁余に五角の天乃真名井がある。元文年間(一七三六-四一)まで十二段の神饌田の泉であった。現在大泉神として祀っている。
当祭神が、日本中の大典であったことは阿波国徴古雑抄の古文書が証する。延久二年(一〇七〇)六月廿八日の太政官符で、八倉比賣神の「祈年月次祭は邦国の大典也」として奉幣を怠った阿波国司をきびしく叱っているのを見ても、神威の並々でないことが感得され、日本一社矢野神山の実感が迫ってくるのである。
創建時期は不詳。
当社に伝わる『天石門別八倉比賣大神御本記』によれば、往古は気延山の山頂に鎮座しており、「小治田御宇元年龝八月」に現在地に遷ったといいます。
小治田御宇元年は推古天皇元年(593)か。
国史に続日本後紀 承和8年(841)8月戊午(21日)条に「奉授阿波国正八位上天石門和気八倉比咩神従五位下」、三代実録 貞観7年(865)2月27日己卯条に「阿波国正五位下天石門和気八倉比咩神従四位下」、貞観13年(871)2月26日壬辰条に「阿波国従四位下天石門和気八倉比咩神従四位上」、貞観16年(874)3月14日癸酉条に「阿波国従四位上天石門和気八倉比咩神正四位下」、元慶3年(879)6月23日壬午条に「授阿波国正四位下天石門別八倉比咩神正四位上」とみえる天石門和気八倉比咩神(天石門別八倉比咩神)、また延喜式神名帳にみえる「阿波国名方郡 天石門別八倉比売神社 大 月次新嘗」を当社にあてる説があります。
なおネット上では延喜式神名帳の「阿波国名方郡 天石門別八倉比売神社」を名神大社として表記しているサイトがかなり多く見受けられます。当社境内由緒書にも「式内名神大社である」との記述があります。…でも延喜式の実際の表記は「名神大」ではなく「大」。私もこの記事を書くまで名神大社だと思い込んでいました。実は名神大社だとする説があるのでしょうか?
また、他の式内社の論社ともされています。
一つは、「阿波国名方郡 天石門別豊玉比売神社」。
『特選神名牒』の天石門別豊玉比売神社の項に以下のようにあります。
特選神名牒
今按本社所在阿波志阿府志共に徳島城内の龍王なりと云へるを式社略考には今の城郭築たまはざる以前より在りし社ならば此所ならんか恐くは国初の御時勧請せさせ玉ひしにはあらぬかと云へどもこの龍王に明応中の金口もあれば天正以来の社ならざる事は著し一説に龍王といへば和多都美豊玉比売神社ならん但し其社は今名東郡和田村の王子権現なりとの説もあれどこは和多と和田との同音より付会せしならんといへり又或は名西郡矢野村の杉尾明神今云八倉比売社ならんとの説もありとぞ尚能く尋ぬるべし
多分「又或は」で文が切れており、前後の内容は繋がりないと考えていいのでしょうが、一塊で読むと八倉比売社を和多都美神社にあてる説があるかのように読めてしまいます。
もう一つは「阿波国名方郡 麻能等比古神社」。
こちらも『特選神名牒』麻能等比古神社の項に以下のようにあります。
特選神名牒
今按阿府志に富田浦にあり俗大麻比古大明神と云ふまた阿波志に所在未詳とみえ式社略考に矢野村杉尾明神なるべし
延久2年(1070)6月28日の太政官符では、忌部神と天石門別八倉比売神に対する祈年祭・月次祭などの奉幣を阿波国司が怠っているとして、神祇官からこれらの幣物を受取り、確実に奉幣すべきことが国司に命じられています。
その後、元暦2年(1185)正一位に叙されたと由緒にはあります。
また、阿波国一宮の論社ともなっています。
かつては杉尾大明神と称しており、寛保改神社帳には「正一位杉尾大明神」とあります。
明治3年現社号に改称、明治5年県社列格。
祭神は大日孁女命(=天照大神)。
上掲の境内由緒略記ですが、さらっと「天照大神の葬儀執行」とあって驚く内容です。
そして鎮座時期を安永2年(1773)の古文書の「鎮座してより2105年を経ぬ」から逆算して西暦338年としていますが、計算すると紀元前332年になる気がします。誤植なのか意図があるのか…
また同略記に記載のある『天石門別八倉比賣大神御本記』について。
調べてみたところ、この古文書単体は見つかりませんでしたが、全文を引用した『杉の小山の記』という書があり、『神道大系 神社編42 阿波・讃岐・伊豫・土佐国』に収録されていました。財団法人無窮会図書館本を底本とし、岩瀬文庫本、国会図書館本、東大文学部本居文庫本、徳島県立図書館本、徳島市四国女子大学凌宵文庫本とを校合したもの。
他にインターネット上でも国文学研究資料館の電子資料館(岩瀬文庫本)と徳島県立図書館のデジタルライブラリ(おそらく徳島県立図書館本)を見ることができます。岩瀬文庫本には杉尾山周りを描いた絵地図も載ってます。オリジナルに当たる古文書が現存するかは不明。
新日本古典籍総合データベースの検索結果。下2つ、画像見られるものが徳島図書館本と岩瀬文庫本。
『神道大系』では当古文書について「名東郡矢野村の杉尾山鎮座の天石門別八倉比売神社の由緒記『八倉比売大神御本記』を解説・訓釈したもの。千家俊信(1764~1831)著。『本記』は実は近世の偽書、俊信はそれに気付かなかった。平仮名交り書き下し文のものが原型で、それを現在流布の形に改めたと思われる。」と述べ、御本記を偽書だと断じています。境内略記の千家某はこの人でしょうか。
略記にある、葬儀を示すという「嘘楽」の表記は岩瀬文庫本と徳島県立図書館本では「唬樂(えらきあそぶ)」、『神道大系』では「號樂」となっていました。該当箇所の記述は「此夜八百萬乃神神集天唬樂賜」。解説として「ゑらぎとハ歓喜咲の三字を恵良岐とよみ、咲栄楽をゑらぎといへり。続日本紀三十巻の詔に、黒紀、白紀乃御酒食倍恵良岐云云。雄略紀に歓喜盈懐ともあり」と記されています。葬儀の様子かといわれると?ですが…
また「而後經二千百五年而、到小治田御宇元年龝八月」という一文があるのですが、そのままの意味でとれば創祀が紀元前1500年頃になります。…気になる方は読んでみてください。
人文研究見聞録さんが独自に現代語訳をされているので、参考になるかと思います。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。参道途中、箭執神社より少し先の左手にあるお宅が社務所。
普通のお家ですが、社務所と書いた札が出ているのでわかりやすいかと。
アクセス
徳島市中心部から、国道192・318号(重複)を西に向かいます。
国府町観音寺の大きな交差点(位置)を南に折れ、約1.4km先(位置)で西へ。
400mほどで石鳥居(二の鳥居)前に出ます。
鳥居左手、参道に沿って奥に続く車道を進み、公園管理棟の前から右手に降りていくと阿波史跡公園の駐車場があります(位置)。
一応拝殿そばまで車でも行けるみたいですが。
神社概要
社名 | 天石門別八倉比売神社(あめのいわとわけやくらひめじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 杉尾大明神 |
住所 | 徳島県徳島市国府町西矢野531 |
祭神 | 大日孁女命 |
社格等 | 式内社 阿波国名方郡 天石門別八倉比売神社 大 月次新嘗 式内社 阿波国名方郡 天石門別豊玉比売神社 式内社 阿波国名方郡 麻能等比古神社 続日本後紀 承和八年八月戊午(廿一) 天石門和気八倉比咩神 従五位下 日本三代実録 貞観七年二月廿七日己卯 天石門和気八倉比咩神 従四位下 日本三代実録 貞観十三年二月廿六日壬辰 天石門和気八倉比咩神 従四位上 日本三代実録 貞観十六年三月十四日癸酉 天石門和気八倉比咩神 正四位下 日本三代実録 元慶三年六月廿三日壬午 天石門別八倉比咩神 正四位上 阿波国一宮 旧県社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり(阿波史跡公園駐車場) |
公式Webサイト | – |
備考 | 往古は気延山山頂に鎮座 |
参考文献
- 「天石門別八倉比売神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「天石門別八倉比売神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 教部省編『特選神名牒』磯部甲陽堂, 1925(国会図書館デジタルコレクション 424-425コマ)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 千家俊信『杉の小山の記』(神道大系編纂会編『神道大系 神社編42 阿波・讃記岐・伊予・土佐国』神道大系編纂会, 1989. 所収)
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 234-236コマ)