轟神社(阿南市新野町北宮ノ久保)

轟神社。

阿南市新野町北宮ノ久保に鎮座。

式内社 室比賣神社を合祀したとされる神社。

広告

境内

鳥居

 

扁額

 

燈籠

 

手水舎

 

社号標

 

狛犬

 

阿形の下にミニ狛犬(片割れだけ)

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

蛭子神社

 

日吉神社

 

大歳神社

 

天神社(たぶん。扁額を撮影したもののこの祠の物か記憶が曖昧)

 

社日塔

 

境内には小祠が多数あります

天然記念物 新野のクスの群生

境内に10本のクスノキがあり、天然記念物になっています。境内を取り巻く様に聳える大小のクスノキは見ごたえがあります。

新野町の各地区でそれぞれ御神木として注連縄を奉納しているようです。

 

天然記念物 新野のクスの群生

昭和四十二年(西暦一九六七)一月十七日 徳島県指定

このクスの群生は、およそ七百五十年前の鎌倉時代中期に秋山傍示の近藤氏(屋号カネイ)の祖先が轟神社にクスの苗を寄進して境内周囲に植えたと伝えられている。

樹齢はおよそ七百五十年以上と推定される。現在本数は大小合せて十樹あり、最大のクスは(地上から一・三メートル)幹周り七・〇八メートルに達し、境内にうっ蒼として茂り神社の御神木としての荘厳さをかもし出している。

なお、昭和四十二年一月十七日、徳島県天然記念物に指定されたのを記念して新野町内各傍示が注連縄を奉納し、町民あげて御神木としてのクスを崇め称えている。

 

①広重・生谷・片山(右側)、②廿枝(右側)

この2本は夫婦樟と呼ばれているようです。

 

右から③徳信、④清貞・廿ヶ谷・木戸・友常・安行・海老川、⑤馬場・宮ノ久保

 

⑦大南

 

⑧東重友・西重友・秋山(右側)、⑨下分(左側)

 

⑩馬場・宮ノ久保(左)、右2本は手前から⑨と⑧

 

⑥岡花・西光寺だけ個別に撮り忘れていました。上掲、蛭子神社鳥居写真の右手に写っている注連縄の巻かれた木がそれです。

 

天然記念物 新野のクスの群生(10樹)

昭和42年1月17日県指定

指定の理由 クスの群生として、いずれもが800年以上の樹齢と考えられ、暖地性の社叢としての特色をもっている。

説明 新野の総鎮守の社叢として、ふさわしいクスの群生である。

由緒

轟神社御由緒

當社は人皇五十二代嵯峨天皇の御代、皇紀一四七四年・弘仁五年勅使を以て今の奈良県生駒郡三郷町、龍田大社より分霊を奉遷して此の地に齋き獅祀りしなり、御祭神は級長津比古命、級長津比女の御二柱にましよし、天地の大気即ち風力を主宰し給う風の神と称せられ、海上航海安全、五穀豊穣の御神徳高く、古来遠近を問わず農漁業者の参拝跡を絶たず今日に及ぶ。

其の後今より五百年前、南荒田野村岡山の室比賣神社より、木花咲耶比賣命の霊を合せ祀り、安産の神としても霊験まことに顕著なりと伝えられる。

当社は延喜式官帳に登載せられ、式内社として阿波国五十座(那賀郡七座)の中の小一社と称して、日本一社なりと言う。

尚末社の日吉神社は一名山王社と称し、大山津見命を祀り山野を司どり、又大歳神社は大歳の神、若歳の神、御年の神の三神を祀り正月の神として崇められる。

此の本社、末社を合せて轟三社と称し、天然記念物の樟の緑のいや濃く、古くより南北荒田野、廿枝の本町一円を氏子とした総鎮守の神として崇敬せられ今に至る。

例祭は十月二十四、二十五日

社伝によれば創建は弘仁5年(814)。

奈良(大和)の龍田大社からの勧請にはじまるとされます。

 

1470年頃(昭和48年の由緒書に500年前、2019年の『改訂徳島県神社志』に550年前とあるため)、南荒田野村岡山の室比売神社を合祀したとされ、この室比売神社が延喜式神名帳にみえる「阿波国那賀郡 室比賣神社」の論社とされます。

 

この合祀の経緯の詳細は不明ですが、式内社調査報告の室比賣神社項には以下のようにあります。

  • 「社名は本来、室比賣神社であったが、所在地の洪水のためにか、あるいは戦乱のためにか衰頽廃絶して久しかった。近世のはじめ轟大明神となり、次いで轟大明神の移転に伴い、王子大権現と称したらしく、明治三年王子神社と改称、次いで明治七年室姫神社と改称」
  • 「室久保の山地のいづれかに、この地域に住居を構えた人々によって、いつの頃からか室比賣神社を祀ったのがはじまりで、その後衰頽廃絶してある時期には轟明神として置き替えられたこともあったが、轟明神が級長津彦命・級長津姫命を祭神として、南荒田野村字宮久保に移転するに伴い、王子大明神として祀られていたが、明治三年に王子神社と改称、明治七年室姫神社として復活」

これに従えば、轟大明神は衰退していた室比賣神社の地(室久保字岡山)に勧請され同社を合祀。後に轟大明神が宮久保(現社地)に遷座するにあたり、室比賣神社は王子大権現(大明神)として室久保字岡山に残り、明治に室姫神社に復称した、ということになるでしょうか。

だとすると轟神社は移転時に室比賣神社と分離されているようにもみえますが…

『平成祭データ』や『徳島県神社誌』に記載されていないだけで、現在も室比売神社祭神とされる木花咲耶姫命、あるいは室比売命が合祀されているのでしょうか。

 

明治初期に轟大明神から轟神社に改称。

明治41年村社列格。

御朱印

御朱印はあるようです(ネット上に画像あり)。

宮司さんもすぐ側にお住まいのようなので、いらっしゃれば頂けると思います。

アクセス

阿南市中心部から国道55号→県道35号で南西に向かいます。

 

ここで右斜後ろに入ります。その先左手に神社。

 

駐車場は見た感じなし。境内左手前の御神木前に一台停められるかどうか。

神社概要

社名轟神社(とどろきじんじゃ)
通称
旧称轟大明神
住所徳島県阿南市新野町北宮ノ久保4
祭神

級長津比古命

級長津比賣命

社格等

式内社 阿波国那賀郡 室比賣神社

旧村社

札所等
御朱印あり(?)
御朱印帳
駐車場なし(?)
公式Webサイト
備考

参考文献

『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』 皇学館大学出版部

 

『日本歴史地名大系 37 徳島県の地名』 平凡社

 

『徳島県神社誌』 徳島県神社庁


タイトルとURLをコピーしました