徳島県護国神社(徳島市雑賀町東開)

徳島県護国神社。

徳島市雑賀町の多々羅川沿いに鎮座する、旧内務大臣指定護国神社。

現在は神社本庁の別表神社。

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境内

大鳥居

 

一の鳥居・二の鳥居

公式HPの記載を見る限り、大鳥居は一の鳥居にカウントしない模様。

一の鳥居手前左手にも駐車場があります。

 

社号標

 

狛犬

 

手水舎

社殿

拝殿

 

扁額

 

拝殿内の模型

左が(たぶん)赤城、右が武蔵、手前が伊400

 

本殿

境内社

大國神社

 

大國神社鳥居

 

大國神社の手水舎

 

大國神社略記

御祭神 大國主大神

当社は三好郡池田町出身の川﨑阿佐惠氏が此地に昭和五十三年月映神座を奉斎しその後昭和五十六年三月二十六日出雲大社より御神像を拝戴して大國神社を創建す

縁結び 商売繁盛 薬祖の神 悪癖封じの神として県下に多くの崇敬者あり

例祭日 十月二十七日

月次祭(満月祭) 旧暦 十五日

護国神社に現在の境内地(当地)を寄進した方が元々当地で祀っていた神社です。寄進や遷座とは何ぞや、ということについては下記由緒を参照。

 

川﨑阿佐惠女史顕彰碑

城山から此処に遷座した徳島縣護國神社の新社地は 平成拾弐年六月拾五日 川﨑阿佐惠氏により寄進されたものである

川﨑女史は明治四拾壱年拾壱月壱日 父川﨑彦一 母キヨノの長女として三好郡池田町に生まれ 大正拾四年参月徳島県立徳島高等女学校を卒業した 若き頃より美術に造詣深く 昭和弐拾六年徳島市籠屋町弐丁目に徳島美術館を設立して書画骨董美術品の卸売商を営み 更にビル管理会社をも経営して財を成した また 敬神の念深く 特に出雲大社を篤く信仰し 昭和五拾六年参月弐拾六日 同大社より御神像を拝戴して徳島市雑賀町東開に大國神社を創建 自ら祭主として祭祀を斎行 布教に従事し多くの信者を集め 平成拾年よりこの地に居住して祭祀に専念することとなった

平成拾弐年に徳島縣護國神社が新社地として寄進を受けた物件は次の通りである

一 徳島市雑賀町東開弐拾壱番地の壱 外五筆 弐千七百参拾坪

一 大國神社社殿木造瓦葺平屋建 壱宇

一 大國神社社務所木造瓦葺平屋建 壱棟

尚 川﨑女史は右社地寄進 御神徳宣揚の功績を称へられ 平成拾弐年拾壱月弐日 池田厚子神社本廰総裁より感謝状を授与された

 

こちらが大國神社の元宮にあたる月映神座

 

月映神座の鳥居と扁額

 

大國神社発祥の所碑

 

庭石なのか、月映神座に関わる石なのか…

 

境内右手に並ぶ碑

 

平成26年10月に開館した徳島県戦没者記念館

7400柱を超える戦没者の遺影をはじめ、遺品や手紙、解説パネルや関連図書が展示されています。また月一回第二土曜日に「語り部」による体験談発表が行われ、その様子は録画されいつでも視聴可能だそうです。

入館は無料。神社参拝時には合わせての見学をおすすめします。

由緒

徳島縣護國神社略記

一、鎮座地 

徳島市雑賀町東開二十一番地一

一、御祭神 

明治戊辰の役以降度々の事変並に戦争の為に殉ぜられた英霊三万四千三百余柱と戦後殉職自衛官の神霊二十余柱を奉斎す

一、由緒

明治十二年九月眉山に招魂記念碑を創祀す

昭和十三年十一月徳島中央公園徳島城址に徳島縣招魂社として創建す

昭和十四年四月勅令により徳島縣護國神社と改称す

昭和二十年七月大東亜戦争に於ける戦災により社殿を焼失す

昭和三十三年四月再建の工成り本殿遷座祭を斎行す

平成十五年九月徳島城址より当地へ移設工事の工成り本殿遷座祭を斎行す

平成二十八年七月神社本庁別表神社に加列せらる

 

徳島県護国神社移転造営之記

明治戊辰の役以来 国難に殉ぜられた英霊を奉斎する徳島県護国神社は 明治以来徳島城址城山山頂に鎮座せられていたが 近年頓に高齢化する御遺族は参拝も困難となる中 平成十二年この事情を察せられた篤志家川﨑阿佐惠氏より現社地二、七三〇坪の寄進を受け社殿の移築造営の事業を起すこととなり 関係者協議の上神社の移転造営を計画 厳しい経済情勢の中 遺族会をはじめ一般県民より寄せられた浄財七億二千万円をもって造営工事を完成 平成十五年九月本殿遷座祭及竣工報告祭を斎行いたしました

今後当護国神社が県民一人一人と深い御縁のある神社として 又平和の礎となられた御祭神の慰霊顕彰の聖地として 末永く崇敬せられんことを念じて止みません

ここにその沿革を刻して後世に伝えんとするものであります

明治12年、眉山公園内の現在神武天皇像がある場所(位置)に招魂碑を建立したのが始まり。

 

明治39年、徳島城跡地(徳島中央公園城山山頂)に移転。

昭和13年「徳島縣招魂社」として神社が建立され、昭和14年に内務大臣指定「徳島縣護國神社」と改称。

昭和20年に徳島大空襲により全建造物を焼失。昭和33年、県民挙げての奉賛により再建。

昭和53年、御創社百周年記念として境内整備事業を完工、昭和63年に御創建三十周年記念事業として社殿屋根銅板葺替工事を実施。

 

しかし、境内の城山山頂は元々徳島市からの借地で、また史跡文化財保護区/原生林保護区域(資料によっていずれかの記載あり、詳細不明)にも指定されていたため、車道整備等ができないといった問題があり、移転を検討。

平成12年に現社地在住の篤志家・川﨑阿佐惠氏より移転用地(約2700坪)の寄進を受け、本殿・社務所参集殿を新築、拝殿・手水舎・慰霊碑および境内諸施設を移設、正面入り口に石造りでは四国最大級の大鳥居が竣工。

平成15年に遷座し、現在に至ります。

 

平成28年、神社本庁の別表神社に加列。

 

全体的に真新しい印象を受けましたが、平成になってこちらに移ったからなんですね。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で頂けます。

アクセス

国道55号線の三軒屋町外交差点(位置)から東に道なりに1kmほどで神社。

大鳥居の向かい(位置)が駐車場。

神社概要

社名徳島県護国神社(とくしまけんごこくじんじゃ)
通称
旧称徳島縣招魂社
住所徳島県徳島市雑賀町東開21-1
祭神徳島県出身の英霊
社格等

旧内務大臣指定護国神社

別表神社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttp://gokoku-jinja.jp/
備考

参考文献

  • 「徳島県護国神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019