日和佐八幡神社(美波町日和佐浦)

日和佐八幡神社。

ウミガメの産卵地で、日本の渚百選に選定されている大浜海岸に鎮座。

式内社 和耶神社の論社。

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境内

一の鳥居

 

扁額

 

石碑

虫害により老松の緑が失なわれ御神威に関係することを憂いて総代会々長楠本虎雄事はかりて神輿太鼓が大鳥居を安んじて通過できるよう規模を一迴り大きく坚固な形に改修せんと昭和五拾九年参月廿五日地鎭祭を嚴修 谷哲次郎氏と契約六月二日着工九月廿七日竣工し九月丗日竣工祭斉行日和佐八幡神社正門として目出たく完成した

 

境内

 

二の鳥居

 

扁額

 

手水舎

 

狛犬

社殿

拝殿

 

拝殿の随神像と狛犬

 

本殿

境内社等

日和佐護國神社

 

護國神社狛犬

 

日和佐護国神社建立趣旨

昭和五十二年八月十五日戦争終結第三十三年を迎え、日和佐町遺族会の記念事業として、ここに日和佐護国神社を建立する。

顧みれば近代日本の夜明けを告げる戊辰の役を初めとして西南の役、日清、日露の戦役日華事変に続く大東亜戦争に至るまで、血潮も凍る北辺の荒野で或は炎熱焼くが如き南海の孤島で、あらゆる苦難に耐え、只管日本の平和と繁栄を信じて護国の魂となった幾多の英霊の犠牲により、今や世界に誇る文化福祉国家となり、我が日和佐町も平和な郷として発展途上にある。ここに英霊の遺徳を偲び栄光を称えて、子々孫々に継承する。

この護国神社を社として、日和佐町出身の英霊を合祀し永久に平和を祈願す。

 

加茂神社

 

蛭子神社

 

加茂・蛭子神社の手水舎

 

加茂・蛭子神社の狛犬

 

七福神

 

七福神脇の狛犬

 

天神社

 

天神社狛犬

 

道祖神社・淡島神社

 

社殿そばの境内社

 

室戸阿南海岸国定公園 大浜海岸 うみがめ産卵上陸地 日本の渚百選

 

この赤い鳥居のある島は立島

頂上に立島神社の祠があります。毎年年末に神職が船で渡りお祭りをされているとのこと。

神職も一年に一度ということなので、基本入島不可かと思われますが不明。現在は船がないと渡れませんが(大浜海岸は遊泳禁止)、昔(どのくらいかは不明)は、干潮時には歩いて渡ることができたそうです。

 

アカウミガメの像

 

境内の巨木

境内の西側に町指定天然記念物になっている大楠があるのですが、参拝時は知らず見落とし(民家を数件挟んだところ、日和佐グラウンドの入口向かい)。

 

豊漁祈願の書

 

『豊漁祈願』

四国大学文学部書道文化学科 学生グループ「かぜまーる」作

四国大学ではカリキュラムに地域教育を取り入れ、文部科学省が推める地(知)の拠点整備事業にも採択されこの美波町をはじめ県内市町村と連携し地域の歴史・文化の発掘、災害・防災、そして地域創生といった各種の取り組みを推めています。

日和佐八幡神社でも、当社の秋季例大祭を主に四国大学の皆様と連携しております。平成二十八年から、書道文化学科『かぜまーる』の書道家による当社秋祭りをイメージした書の作品を創作・奉納して頂いております。

この『豊漁祈願』の作品は、昨年(平成三十年)五月に斎行いたしました日和佐八幡神社創祀七百年祭の際に、当社拝殿にて制作・奉納していただいた作品となります。当社秋祭りに参加して、氏子の皆様と一緒に秋祭りを体験して学生書道家がインスピレーション受けた作品です。

 

秋祭りの写真

「ちょうさ」とは?

毎年10月、体育の日の前々日(土)、前日(日)、日和佐八幡神社秋まつりに奉納される太鼓屋台のことを美波町日和佐地区では「ちょうさ」と呼びます。日和佐地区には8台の「ちょうさ」があり、古いものでは1795年(寛政7年)に造られたものがあります。

「ちょうさ」は、地区のシンボルとして人々に大事にされてきました。普段は解体し保管されていますが、一年に一度、秋まつりの日に納屋から出し、組み立てて町内を練り廻るのです。

「ちょうさ」は、約1tの重さがあり男性50人~60人程で肩に担ぎます。中には子ども4名が乗り太鼓を打ちならします。この太鼓のリズムに合わせて、「いっさんじゃい」の掛け声で進んでいきます。要所要所では「さーせー、さーせー」の掛け声に代わり、「ちょうさ」を高々と差し上げます。

古来から太鼓の音は災いを祓うと信じられており、日和佐地区では、1年の災いを祓ってもらおうと「ちょうさ」に御花を出す風習があります。御花を貰った「ちょうさ」は、人々や家々の災いを祓うため、「さーせー、さーせー」と太鼓を打ち鳴らします。宵宮(土曜日)には、町を練り廻り、本祭り(日曜日)には境内を練り、大浜海岸へと出ていきます。なかには、血気にはやる若者の多い「ちょうさ」もあり、大浜海岸の砂を蹴立てて駆け廻り、海の中に躍り込みます。

こうして日和佐八幡神社秋まつりは、古来の姿のまま現在へ受け継がれているのです。

由緒

日和佐八幡神社

御祭神

主神 誉田別命(応神天皇)

母神 息長足姫命(神功皇后)

妻神 玉依姫命(神武天皇の御母后)

御神徳

交通安全 無病息災 家内安全 学業就授

「由緒」

正平六年(一三五一)の創祀といわれ、もと八幡宮と称した。「阿波志」に「八幡祠日和射浦にあり。観応二年(一三五一)置く」とあり。「四河内大小神社神体控」(薬王寺所蔵)に「惣社八幡大菩薩、日和佐浦村、観応二年、当院(薬王寺)に遷宮仕り来りし古き棟札の控あり、玉殿三宇、神体九体 祭神、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后」とある。(注、正平は南朝観応は北朝の元号)。四国霊場第二十四番札所最御崎寺、及び東京の国立博物館に所蔵の円卓に「歳次、干時、康暦元年(一三七九)五月、日己未、阿波国海部郡日和佐保、八幡宮、願主、神主、玄勝」と刻す。「海部郡取調廻在録」は「日和佐村。此村は和名抄に出たる和射郷名ならんか。されば連続せる村…みしるし侍る。まづ日和佐は四河内と唱へ牟岐七ケ村と唱ふ。其余には阿部浦、由岐浦里、木岐浦里なり。これらを往古は和射と唱へしものなるはなほ海部郡名阿部などの考は別冊とてさし上まつり候。神社八幡大神宮、祭祀 神功皇后、応神天皇、玉依姫命。観応二年の棟札流失と伝ふ。<永正十七年棟札写し>奉造営日和佐八幡大神宮御社檀上棟永正七年庚辰年 大願主松島五郎左衛門永真、源重弘、源真弘、源義家、弥次郎、神主、八郎、鍛冶六郎右衛門 大工 清原広家、氏郎右衛門と録す。「海部郡誌」には「日和佐は往古和射郷の中心であった地で、式内和耶(射)神社の所在地と推定されるところから当八幡神社の前身は、式内和耶(射)神社ではないか」と。なお当神社には永正十七年(一五二〇)の棟札を所蔵している。

例祭には大神輿の渡御があり、桜町、東町など町内各地から八台の「勇み太鼓」(ちょうさ)が練り雄大な大浜海岸に出てはやしたてる光景は、南国的な明朗で豪快な県内有数のスケールの大きな祭風景といえよう。

 

記念碑

仰々当社は誉田別尊(應神天皇)を主神とし玉依姫命(母神)息長足姫尊(神功皇后)を合祀す 観應二年(六百九年前)日和佐浦奥河内、西河内、北河内、山河地の氏神として西河内に鎮祭の所永正十七年十一月十五日(四百四十年前)現地に奉遷す 明治以前八幡宮と稱せしが明治三年神佛分離の制度で八幡神社と改稱 夏祭旧六月十四日 例祭新九月十五日 秋祭旧九月十四日、本殿明治四年大改築以来数度修繕 拝殿大正九年十月二十五日造営 昭和五年解体再建 昭和二十六年十一月十日大修繕 昭和三十二年九月十三日舞台を取り壊わし社務所新築瑞亀閣と稱す 大廣間は諸会合結婚式場に公開工事費一、四一八、九七〇圓(九州出漁団七九三、二〇〇圓町内六二五、七七〇圓寄附)

昭和三十三年十二月二十六日、後山山林を基本財産として日和佐町より無償讓受、昭和三十四年二月二十七日後山へ檜一、五〇〇本 カリビヤ松五〇〇本 松二〇〇本 境内へ松一五〇本植樹

昭和三十四年三月三十日 社前廣庭拡張 工事費 六〇、〇〇〇圓

昭和三十四年四月四日 清宮貴子内親王殿下 日和佐町へお成り 瑞亀閣で御休憩 大浜海岸大海亀を御上覧

昭和三十四年四月二十二日 日和佐中学校々庭拡張のため東側南北を通し三四〇坪を日和佐町へ贈與

昭和三十四年九月十日境内小社の塀構築周辺公園化工事費五〇、〇〇〇圓

 

由緒によれば、創建は正平6年/観応2年(1351)。

 

『海部郡取調廻在録』は当地日和佐を和名抄にみえる和射郷ではないかとします。

『海部郡誌』は日和佐を和射郷の中心地で、当社の前身は延喜式神名帳にみえる「阿波国那賀郡 和耶神社」ではないか、とします。

当社が式内 和耶神社であったとすれば、創建は伝承より相当遡ることになります。

 

永正17年(1520)の棟札が現存。

 

明治3年八幡神社に改称(それ以前は八幡宮。「日和佐八幡神社」となったのは戦後?)。

明治6年郷社列格。

 

秋季例祭での「ちょうさ」奉納運行が有名。

「ちょうさ」とは太鼓屋台のこと。町内各地区(恵比須浜・奥河町・戎町・東町・西新町・本町・桜町・中村町)ごと、計8台のちょうさがあり、古いものは寛政7年(1795)に造られたもの。

1tのちょうさを5~60人で担ぎ、初日は町内を廻り、二日目は大浜海岸に造られた御旅所へと繰り出し(御浜出)、神社へ帰ります(御入り)。

御浜出・御入りの際に海に飛び込むちょうさもあるそうで、筏のように組まれた珍しい担ぎ棒は海入り時の安定を考えてのものだとも。

令和2年の明治神宮鎮座百年祭では、明治神宮の境内において奉納される予定→残念ながら新型コロナウイルスの影響により中止となりました。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

徳島市から国道55号をひたすら南下。

阿南市福井町で日和佐道路に入り(位置)、その終点から1.5kmほど、道の駅日和佐の手前(位置)で左へ。

突き当りを左に、その先2つ目の信号(位置)を右に。その後直進で神社前。

駐車場は境内の太鼓納屋前(位置)。

神社概要

社名日和佐八幡神社(ひわさはちまんじんじゃ)
通称
旧称八幡宮
住所徳島県海部郡美波町日和佐浦369
祭神

誉田別命

息長足姫命

玉依姫命

社格等

式内社 阿波国那賀郡 和耶神社

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttps://hiwasahachiman.com/
備考

参考文献

  • 「日和佐八幡神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「日和佐八幡神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 248コマ