采女神社。
山ノ井農村公園(うねめ公園)内にある神社。
采女・春姫が身を投げたとされる山ノ井清水のそばにあり、郡山うねめまつりの際にうねめ供養祭が行われる場所。
境内
社号標
鳥居
石祠
最初はこちらが采女神社かと思ったのですが、webで調べるとどうやら采女塚という話も。ただ、昔は後述の社殿はなく、この祠だけだったという話も見かけたので、よくわかりません。
采女供養記念碑
鳥居の左奥に階段
登り切ると神門
社殿
社殿
どうやら神門と社殿は割と新しい建物らしいです(以前は下の石祠しかなかったらしい)。篤志家の方が建てたのだとか。
山の井清水
山の井清水
入水するには、ちょっと浅すぎるようにも見えます。
清水と桜
安積采女春姫姿見清水の碑
姿見清水?
奈良の猿沢の池に身投げしたように装い、故郷に帰った安積采女は、遂に世をはかなみ、この清水に身を沈めて世を去った。清水の水面近くに大きな古い桜の木の根が見えるのは、当時の采女衣かけの桜だと云い伝えられている。
これが桜の木の根?
山ノ井農村公園
大きな池のある、きれいな公園です
由緒
およそ千三百年前、陸奥国安積の郷(里)は、数年に及ぶ旱天凶作が続き年貢を滞納しておりました。奈良の都から、按察使として葛城王(後の左大臣橘諸兄)がこの地に派遣され村里の状況を視察中、里人達は窮状を訴え、王を歓待する宴を盛大に催し、懸命にもてなしましたが、王の機嫌は悪くなるばかりでした。そこで国司は一計を案じ里の眉目麗しい”春姫”を召し出しました。春姫は満座の中、里人を救おうと王の前に進み出て、盃に清水を注ぎ
『安積山 影さえ見ゆる山の井の 浅き心を 我が思わなくに」(万葉集)
と詠み王に捧げました。和歌にすぐれた王は、「都の花を今鄙に見る」とことのほか喜ばれ怒りも解け、春姫を帝の采女として召し出す事を条件に、さらに三年間の年貢を免除することを約束しました。里人達は王に感謝し、笹原川まで見送りました。春姫には、次郎という夫がおりましたが、村里の窮状を救うためとやむなく別れ都に上がりました。帝の寵愛を受けていた春姫でしたが、次郎や里人への思いが募るばかりでした。猿沢の池の畔で月見の宴が開かれた中秋の名月の夜、宴席を離れ柳の木に衣を掛け、池に身を投げたように見せかけて、一路安積の郷をめざしました。身も心も疲れ果てようやくの思いで村里へたどり着いた春姫は、次郎の死を知り悲観にくれ、里人達の温情もかなわず、”山の井清水”の端の桜の枝に、衣を掛けて清水に身を沈めこの世を去ったと言う。里人達は、これを悲しみ地形山に葬り供養したと伝えられています。やがて春が訪れ清水の辺り一面に可憐な花”ハナカツミ”が咲き乱れました。二人の永遠の愛が清水で結ばれ、この花になったと言われています。
安積采女伝説については上記の通りなのですが、当社の由緒については全く触れられていません。
山の井清水の伝承や采女塚は昔からあったのだと思いますが、神社は割と新しいのではないかと思われます。
どこかの摂末社、あるいは兼務社なのか…
なお近隣の王宮伊豆神社にも安積采女尊が祀られています。
また、山の井清水も、当地以外に安積山公園(郡山市日和田町安積山)にも伝承地があったりします。
(松尾芭蕉が訪れたのはこちら)
御朱印
御朱印の有無は不明。
おそらくないでしょう。
アクセス
王宮伊豆神社右手の道を北に700m行くと、山ノ井公園の入口に着きます(案内板あり)。
入口から100mほど入ると駐車場があります(位置)。
神社概要
社名 | 采女神社(うねめじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 福島県郡山市片平町字山ノ井11-1 |
祭神 | 安積采女命 |
社格等 | 不明 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | 第60回うねめまつり 第60回うねめまつり (郡山うねめまつり公式) |
備考 | – |
参考文献
N/A