王宮伊豆神社(郡山市片平町字王宮)

王宮伊豆神社。

郡山市片平町に鎮座。

郡山うねめまつりで有名な采女伝説と関わりのある神社。

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境内

一の鳥居と社号標

 

狛犬

 

洗心庭

 

二の鳥居

 

石段

 

石段途中の狛犬

 

随神門

門内に安置されている随神像は、天保元年12月「大仏師法橋有慶」作の文化価値の高いものであるとのこと。

 

裏参道鳥居

社殿

拝殿

 

本殿

境内社

祓戸神社

石段下にあります。

 

社殿周囲に石祠が多数

 

葛城王祠碑

 

葛城王祠碑

この台座は「亀趺」と云い、古代中国の想像の霊亀で貴人の碑台用に用いられました(最古のものは、平安時代末の例があります)江戸時代になると大名家の墓に亀趺碑を建てた例や尊い人を顕彰する碑等に見られ非常に珍しいものであります

尚、安積地方では、現存する最古のものです

 

本殿後方、玉垣内の祠

後述の葛城王の奥都城でしょうか。

由緒

奥州草別大社 王宮伊豆神社御由緒

社伝によれば往古より奥州草別大社と官民の尊崇を受け、奈良時代我が片平は、塩の入の郷と偁し、民家八百戸を数えられた。葛城親王が、阿尺国に按察使兼班田使としてお降りし時、春姫が、有名な安積山の歌を捧げられて、親王のお怒りを解き、後三年間の租税を免ぜられ、朝廷に復命、親王は天平宝字宇元年正月七十四才にて薨じ、後御尊体を御本殿裏に奉葬され、此の境内は一般者の立入を禁じ、是に神恩報謝の為に御二方の祠が創宮され、降って鎌倉時代源頼朝公平泉征伐に従軍の功戦に依り、伊東氏が安積地頭守護職を拝し、領内と氏鎮護の神と自国の神々を併祀。江戸時代神祇官より正一位の神階を賜り、二本松藩主丹羽公より、片平組十一箇村総鎮守と崇敬され、社宝も奉献される。明治の初期村社に列格。

今は総産土御祖神としての尊崇を受けております。

社伝によれば、今を去る1200有余年前には奥州草別大社として官民の尊崇を受け、奈良中期安積の片平は塩の入の郷と称し、民家八百戸を数えたと伝えられています(この奥州草別大社の創建時期は不明)。

 

人皇30代敏達天皇4世の孫美奴王の御子、従四位下葛城親王が和銅4年(711)阿尺国按察使兼班田使に任ぜられ、当安積地方を開拓し今の片平の基礎を築き、天平宝字元年(757)正月74歳にて崩御。

その後、王の御徳を慕い、逢瀬川の清流を眼下に安積全域を一望できる景勝地(現境内)に御尊体を御本殿裏(現)に奉葬。この聖域は一般の立入を禁じ、里人等が創宮・奉祀したとのこと。

この葛城親王の奥都城と伝えられる墳墓は御本殿裏に現存すると当社由緒書にあります。

 

鎌倉時代、源頼朝が奥州征伐の折、家臣工藤祐経は戦功により安積45ヵ村を拝領、安積郡地頭職に任ぜられ、その子祐長を下向させます。

佑長は故郷の氏神「伊豆大権現」「三嶋大明神」「箱根大権現」を勧請し当社に合祀。

王宮伊豆大権現と称して崇敬されました。

 

寛永20年(1643)丹羽光重が二本松藩主に移封、安積を3組に分け11ヵ村を片平組とし、当社を組の「総鎮守」としました。また丹羽氏より社宝も奉納されたとのこと。

また、元文5年(1740)2月26日には神祇管領従二位卜部兼雄より正一位の神階と幣帛を併せ奉り告文を奏されました。

 

明治11年(1878)村社列格。

 

(葛城親王御歌)

降る雪の白髪までも大君に使えまつれば尊くもあるか

(安積采女御詠)

浅からぬ心ひとつに汲みて知る我が山の井の深き色香を

(万葉集第16巻)

安積山影さえ見ゆる山の井の浅き心を我れ思わなくに

 

【葛城親王】

人皇30代敏達天皇4世の孫、美奴王の御子として生まれ、和銅3年正月、従五位下馬寮監に補され、天平元年9月(班田使、左大弁)同3年8月(参議)同4年従四位下陸奥按察使として下向、同年11月橘宿禰の姓を賜ふ。同9年9月大納言、同10年正月正三位従二位右大臣伊勢神宮勅使、同15年5月従一位左大臣兼大帥、天平勝宝元年4月一位、同2年橘朝臣の姓を賜ふ。同8年正一位左大臣、天平宝字元年正月74歳にて崩御、後ち当社御本殿裏に葬祀奉給ふ。(『あさかの神社誌』より引用)

橘諸兄と言った方が通りがいいでしょうか。

橘諸兄の墓とされる場所は、他に京都府綴喜郡井手町にある北王塚、大阪府岸和田市にある貝吹山古墳があります。

 

【采女伝説】

8世紀前半、陸奥按察使として葛城王が奈良から訪れる。

当時の安積は冷害が続き朝廷への貢物ができないほどであった。里人は年貢の免除を願ったが王は聞き入れず。宴が催されるも王の機嫌はよくなりません。

そこで、王に見初められた里長の娘、春姫が王をもてなし、次の歌を献上しました。

「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」

これに喜んだ王は、春姫を采女とすることを条件に3年間の年貢の免除を約束。春姫には許嫁がいたものの、里のためと都に上ります。

采女として暮らしていた春姫は許嫁のことが忘れられず、中秋の名月の夜、宴席を離れ、猿沢の池畔の柳に衣をかけ入水したように見せ安積へと走ります。

しかし、故郷に戻った春姫を待っていたのは山の井の清水に身を投げた許嫁の死。そして雪の降る夜、春姫も後を追って山の井の清水に身を投げます。

やがて春が訪れると、山の井の清水のまわり一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲き乱れました。

だれ言うともなく、二人の永遠の愛が地下で結ばれ、この花になったのだと噂され、里人はこの花を「安積の花かつみ」と呼びました。

(※伝承にはいくつかバリエーションがあり、これはその一つです。)

 

しかし、この伝承を見ると、葛城王と采女さんが一緒に祀られているのは何とも皮肉な感じがしますね…

なお近隣の采女神社にも安積采女(春姫)が祀られています。

 

御朱印

御朱印はあります。

石段下右手に社務所(兼ご自宅?)があり、そちらでいただけます。

アクセス

郡山駅から車で20分ほど。

安積国造神社の辺りから県道142号を西へ9kmほど行くと神社前。

参道右手に駐車場あり(位置)。

神社概要

社名王宮伊豆神社(おうのみやいずじんじゃ)
通称
旧称
住所福島県郡山市片平町字王宮17
祭神

奥州草別大神

葛城親王尊

安積采女尊

伊豆大神

箱根大神

三嶋大神

社格等旧村社
札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「片平村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「王宮伊豆神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995