宇奈為神社。
那賀町木頭字内ノ瀬に鎮座。
式内社 宇奈爲神社に比定される神社。
境内
鳥居
扁額
手水舎
狛犬
境内
国道沿いの少し高いところにあります。以前はもう少し低い位置にあったのが、河川(国道?)改修工事に伴い僅かに移転したようです。
社殿
拝殿
本殿
一段高いところにあります(拝殿すぐ後ろにあるのは熊野本宮の本殿)。
式内社調査報告は「一段高い所に「ハハゴサン」と呼ぶ奥殿が鎮座していて、これを宇奈為神社の本殿と考えることもできる」とありますが、『徳島県神社誌』には主要建物として(各境内社とは別に)本殿とあるので、普通に本殿なのでしょう。「ハハゴサン」の名がどういう意味なのかは不明(母御?)。
参拝した2019/4時点では遷座が済んでおらず、御神体はまだ納められていませんでした(宮司さんに電話で聞きました)。
境内社等
熊野本宮
熊野那智宮
熊野新宮
八社宮
鎮守社
水天宮
轟祠
牛王祠
王子祠
社日塔
他に阿須賀社があるようなのですが見当たらず。那智宮の左後ろに台座だけがあったので、まだ遷座前だったのかも。
由緒
国道一九三号線の改良工事に伴ない、鳥居、舞台の移転の止むなきに至り、昭和五十五年七月より徳島県との永年に亘る補償交渉も氏子三十戸に諮り昭和六十年十一月妥結し、ときを同じくして舞台を木頭下集会施設と併用する気運が高まり木沢村より集会施設整備補助金の交付を受け、補償金と併せて舞台の移設改修、鳥居を木造から石造に変更して移転、境内の嵩上等宇奈為神社の全様変革の大事業となり神社の尊厳と景観を極力保持しつゝ未曽有の大改修事業を施行した
これを永く後世に伝えるため記念碑を建立する
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「阿波国那賀郡 宇奈爲神社」は当社に比定されています。
承暦(1077~80)頃に紀伊国から湯浅権守俊明が当地を領し、熊野十二権現を勧請、その後乾元2年(1303)に山伏不動院惟金が熊野十二社を主として奉祀したことから熊野神社が優勢になったとする説があります(『八桙神社と長国造』)。
天正10年(1582)長宗我部元親の兵火に遭い焼失。
その後嘉永年間(1848~54)に火災で再焼失。
安政3年(1856)に現社殿建造、と各種資料にありますが、これが拝殿・本殿や熊野三社の全てを指すのか否か不明。
明治までは十二社権現と称されており、明治3年に稲飯神社に改称。
これは「うない」が「いない」に通じるとして、稲飯命(稲氷命)を祀る神社とされたため。
明治5年郷社列格。
その後明治35年に宇奈為神社に改称。
昭和61年、国道改修に伴い鳥居や舞台の移転及び境内の改修実施。
令和元年5月、河川改修(国道改修?)に伴い若干の移転。
現祭神は豊玉彦命、豊玉姫命、玉依姫命。
『阿波志』は宇奈為=海居であり、綿積命を祀るとします。
『明治神社誌料』は稲氷命(前述の「うない」「いない」の通音から)。
『特選神名牒』は建宇奈比命(建宇那比命)を挙げるも、宇奈比と宇奈為のかなの違いからよりがたし、とします。
また『徳島県史』では「うない」を「ない=地震」と解する説が提示されています。
御朱印
御朱印の有無は不明。
宮司さんに電話で伺ってみたのですが、いまいち上手く伝わらず有無を確かめられませんでした。
ただ前述の通り、遷座が済んでいないことは伺えました。
2019/5には正遷座されたようなので、再訪しあらためて聞いてみたいと思います。
アクセス
阿南市の中心部から国道195号を西へ約50kmほど走ります。特に難所はなく走りやすい道。
出合ゆず大橋を渡らず、直進して国道193号を3kmほど行くと神社。
神社は一段高いところにあるのですが、境内まで乗り入れられたかは記憶がなく不明。
神社下の路肩が広く、そこに停められるはず。
神社概要
社名 | 宇奈為神社(うないじんじゃ) | |
---|---|---|
旧称 | 十二社権現 稲飯神社 | |
住所 | 徳島県那賀郡那賀町木頭字内ノ瀬1 | |
祭神 | 豊玉彦命 豊玉姫命 玉依姫命 | 現祭神 |
綿積命 | 『阿波志』 | |
稲氷命(他十二柱) | 『明治神社誌料』 | |
建宇奈比命 | 『特選神名牒』 | |
社格等 | 式内社 阿波国那賀郡 宇奈爲神社 旧郷社 | |
御朱印 | 不明 | |
駐車場 | 不明 |
参考文献
『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』 皇学館大学出版部
『日本歴史地名大系 37 徳島県の地名』 平凡社
『徳島県神社誌』 徳島県神社庁