津峯神社。
阿波三峰の一つ、津乃峰山の山頂に鎮座。
式内社 賀志波比賣神社に比定される神社。
登山道
阿波橘駅近くに建つ鳥居
歩いて山を登る場合には、この先に駐車場があります。
ここから歩き
しばらくは舗装された道をうねうねと登ります
五合目あたりで分岐があります
左手が参道。右手は展望台があるようですが行っていません。
鳥居
扁額
鳥居から頂上までは400Mほど
鳥居の先すぐに分岐があります
右が表参道、左が裏参道で、裏参道の方が道が険しいようです。
表参道
山道ですが、石段や木の段があり道はわかりやすいです。
この建物が見えてきたらまもなく山頂です
境内
山の東から津峯スカイラインを使えば、山頂付近まで車で登れます。ただし有料道路で、往復600円かかります。
駐車場から石段を登ります
石段下に車お祓い所
車お祓い所の狛犬
石段上の鳥居
扁額
参道
駐車場から神社手前までリフトがあります
そんなに長い参道ではないのですが、足腰の弱い方は助かるかと思います。上の乗り場から見た感じでは眺めも良さそう。ただちょっと怖いですね…
料金は往復500円・上り350円・下り200円。営業時間は9:00~17:00。
私の参拝時は営業時間内でしたが動いていませんでした。平日夕方で参拝者もほぼいなかったからかも。申し出れば一人でも動かしてもらえるのでしょうか…
注連柱
参道には年季の入ったお店らしき建物もあるのですが、シャッターが閉まっていました
その後改装(リペイント?)されたようでお洒落な外装に
津峯茶屋なる休憩所もありました
手水舎
常夜灯?
境内からは橘湾が一望できます
「阿波の松島」とも呼ばれています。
根元に鶴と亀が配置された御神木
社殿前の注連柱
狛犬
社殿
拝殿
扁額
神紋は八角御紋
神社公式に拠ると由来は以下の通り。
津峯神社公式サイト【御神紋について】
当社の御神紋は「八角御紋」で、三方の形をしています。
三方とは神事において神様に御供えする神饌を載せる台のことであるが、所謂食器を意味します。往古、食物を柏の葉に盛る風習があり、それから転じてカシワは食器の総称とされ、現在でも携帯する食器をカシワと言います。
柏の葉は落葉樹ですが、秋に葉が枯れても翌年の春に新芽が芽吹くまで古い葉が落ちない特性から、「家系が途絶えない」子孫繁栄の縁起物であり、カシハヒメの語源とされたのではないかと伝えられており、「柏の葉」=「三方」=「八角御紋」と推測されています。
本殿
拝殿側からは回り込むことができません。境内から裏参道を少し下ったあたりに、長生町の石門(巨岩が門のように並び立っている名所)方面へ降りていく道があり、その道を少し行くと本殿裏手に出ます。
この道は倒木とかで荒れていて、道筋がよくわかりませんでした(戻る時に迷いました)。当初は石門の方へ下山しようと思っていて、社務所で伺ったところ、整備が追いつかず獣道状態なのでやめた方がいいと教えていただいたのですが、その通りでした。
ただYAMAPやヤマレコに上がっているいくつかの山行記録だと、それなりにはっきりした道があるように見えます。私が道を間違えたのかもしれないし、時期によっては踏み跡がしっかりしているのかもしれません。
境内社等
恵比須大黒社
阿波七福神の恵比寿大神。ちなみに阿波七福神は当社以外全て寺院です。
社殿前の木
御神木のように思えますが、由緒などは不明。
土俵
参道途中にある境内社らしき建物
その建物の奥に岩と小さな鳥居・祠
駐車場の東側から、上に登る道があります
この近くにもう一つ登り口があるのですが、案内標に「修験道レベル」とあったのでやめておきました。
ちょっと登ると、左手にタイヤの階段があるので、そこを登ります
ここは「弘中先生(坊っちゃん)散策の地」だそうです。
陣ヶ丸展望台
展望台から津峯神社のある方を望む
津峯山の三角点はこの陣ヶ丸にあります
東経一三四度四〇分北緯三三度三十一分標高二四八米二等三角点に設定をされた、此の地は、戦国の天正の頃今から約500年前、土佐の豪族長曽我部元親の本陣であり、元親が四国平定の野望を抱いて阿波の国に攻め入った南方各地の塁城を攻め降し(現在阿南市役所の西隣にある城山)に居城をかまえた富岡の城主新開遠江守忠之に戦をいどんだ此の富岡城は一名浮亀城としょうし難攻不落の名城であり智勇兼備の猛将新開遠江守忠之は土佐勢をなやまし苦しめること半年あまりさすがの元親も正当なる攻略ではせめ落とすことは出来ないとさとり、ちがう攻略を考え忠之と嘘の和議をはかる決心し、丈六寺今の徳島市勝浦町において和議を開きたいと新開側へ申し入れた忠之はこれに賛同し会談の日を約束した、此の会談の内容は元親が四国平定する事が出来れば新開忠之に今の勝浦郡を与え、富岡の浮亀城は保証する条件で和議は成立した。その後の祝宴で毒酒が盛られて居る事とは知らず忠之は祝宴に心から酔いしびれた。夕やみが迫らんとする頃、襖の陰から床下から裏山から、一時に起るときの声と共に元親の手の者がおそいかかった(謀られたか)と怒り狂い奮戦したが(多勢に無勢)ついに新開遠江守忠之はうらみを残して落命した、時代は天正九年十月十六日と伝えられ丈六寺に血天井の由来として書き残された、右の戦に長曽我部元親が浮亀城攻略の本陣として居城をかまえたのが此の地、陣ヶ丸である、浮亀城は阿南市の発展と共に見るかげもなく崩壊されて居る、城跡の一角に新開神社としてまつられて居る 又 本陣陣ヶ丸も津ノ峰スカイライン建設と共に、昔の姿をとどめる事は出来ないが陣ヶ丸公園として開発され風光明媚な月の名所として「つわものどもの夢の跡」を遠くしのびながら此の遺跡を後世に伝えるものである。
これより奥300メートルの処に古くから有名な貸椀伝記をもつ家具の岩屋がある 中にも不思議なのは枝穴が深く奥に達して、夏みかん大のつぶて石が散在しているのでシーケープ海蝕洞であり、海底隆起とも研究家は言っており全国的にもめずらしくこの外、神明の岩屋外数洞がある、そのまま進とリフト乗り場に出ます。
右の木柱弘中先生(坊っちゃん)散策の地の由来
明治二十九年四月弘中又一と夏目金之助(漱石)はそろって松山の土地、愛媛県尋常中学校を去った、その年からかぞえて120年迎える、その後漱石は、熊本の第五高等学校、英国留学、東京帝国大学文科大学兼第一高等学校講師と教師生活を経ている、そのかたわら明治三十九年四月、俳誌「ホトトギス」に小説「坊っちゃん」を発表した
その主人公坊っちゃんのモデルとされるのが、右の木柱の弘中又一、である 弘中は山口県徳山市湯野の出身で、同志社に学び、卒業後の明治二十八年、新任で松山中学校へ赴任し漱石と二か年を共に松山で過ごした、のち今の、富岡西高等学校で、数年間教師として、此の阿南で過ごし趣味の散策で時度々、この陣ヶ丸に訪れたと記載されている、おきにいり場所である。
岩窟
駐車場の北側に、5つの岩窟(+揺るぎ岩)があります。
海水によって土や岩が削られて出来た海蝕洞で、標高180mという高所に残っているのは非常に珍しいものだそう。大昔は海水面が非常に高かったのでしょうか。あるいは隆起したのか。
案内図
- 岩窟は50万年、100万年もの昔に、海の水に何千万回も何億万回も押し寄せられて土や岩がけずり取られて生まれたんだ。
- 岩窟の入口は小さいけど、中は広くて、お椀のようになっていたり、水溜まりのあるトンネルみたいになっているんだ。岩窟のからだは「硅石」といって、とっても強い石でできているんだよ。だから、ずっとこうして山の中で生き続けていられるんだ。
- 岩窟の近くに「揺るぎ岩」っていう大きな岩があるよ。これはね、ゆするとゴトゴト音がしたんだって。ドイツの国にもこれによく似た岩があって、「ワッケルスタイン」って呼ばれる天然記念物になっているんだ。
神明の岩窟
位置・標高一八〇m
地質・硅石(石英岩)
出来た時代・五〇万年以前
出来た原因・海蝕シーケーブ(海洞)
入口・巾六m 縦一m
内部・奥行一〇m 深さ二.五m
昔この岩窟には木地職の人が住んでいたこともあり、又日本一社延命長壽津峯神社と信仰する人々が斎戒場(行場)として長期間断食の上参籠し一心に祈願をこめ大願成就したところである。
至誠神明に通ずるところから、いうとはなしに神明の岩窟と呼称せられる。
標高一八〇mという高所に海洞が原状のまま残っているということは全国的にも類例が少ない。
神明の窟
入口幅5.4m、入口高さ1.0m、奥行14m。中に小さな祠があります。
神明の窟近くの祠
神明の窟は駐車場から降りてすぐの所にあり、道もしっかりしています。が…
他の岩窟に続く道は山道…というか通れるのか不安になる道
写真正面奥へ入っていくのですが…時期によっては整備されているのでしょうか。足場が不安定な箇所もあったのでそれなりの靴で行くことをおすすめします。
揺るぎ岩
直径1.8m。その名の通り、両手で押すとゴトゴト動揺するらしいのですが、怖いので試しませんでした。
巾着の窟
入口幅2.8m、入口高さ1.3m、奥行18m
家具の窟
入口幅3.6m、入口高さ2.4m、奥行10.8m。椀貸伝説が残るといいます。
結びの窟
入口幅1.3m、入口高さ0.6m、奥行9m。縁結びが叶えられるというそうです。
鏡の窟
入口幅1m、入口高さ1.8m、奥行14m
由緒
一、鎮座地 徳島県阿南市津乃峰町東分三四三番地
一、御祭神 賀志波比賣大神
一、創立年代 第四十五代聖武天皇神亀元年(千二百余年前)
一、御神徳
大神は主として人の寿命を司り給うを以って、危篤の病人と雖も其の親戚、知人鶏鳴を期し、清水に浴し、至誠をこめて祈願をすれば寿を延べ給うといゝ、また日に一人の命は助け給うと伝えらる。されば古来上下の尊心益々厚く遠近その威霊仰がざるものなし、当国の大守蜂須賀阿波守累代武運の神として崇敬し、富岡城主加島政慶代々家例として、正月三日諸臣を具して参拝せられ、大正九年三月二日蜂須賀正韶侯爵閣下近くは昭和二年六月十二日伏見宮博義王殿下御参拝の節は御記念のため、それぞれ月桂樹の御手植の栄を賜りたり。(昭和二十五年別表神社に加列)
交通安全 病気平癒 海上安全 息災延命 守護
一、主な祭日
秋季例大祭 十一月十七、十八日
春季例大祭 四月十七、十八日
一月元日 神迎開運星祭
月並祭 毎月十七日
創建は神亀元年(724)、神託があり国家の鎮護、長寿延命の神として奉斎。
延喜式神名帳にみえる「阿波国那賀郡 賀志波比賣神社」に比定されています。
伝承によれば、元は山麓にあり、住民の希望で山頂に遷されたといいます。
旧地については、見能林町柏野とする説があり、同地には小祠として賀志波比売神社が現在も残ります。
遷座時期は不明ですが、それほど古い時期までは遡らないとの見方も。
天正年間(1573~92)、阿土合戦の戦火に罹災。
藩政期は蜂須賀氏の崇敬が厚く、「津峯大権現」と称されていました。
昭和11年郷社列格。
昭和21年、南海大地震により社殿12棟倒壊、神職2名死傷といった大被害を受け、その混乱の中で天正以降の文書宝物一切を消失。
この時消失を免れた中に備前長船を含む名剣二口があったものの、その後の昭和28年頃、新聞の名剣鑑定記事に載った結果盗難に遭い失われたとのこと。
昭和25年、神社本庁の別表神社に加列。
祭神は賀志波比売命。
この神は、夏之売神(夏高津日神。羽山戸神と大気都比売神の八柱の御子神の一柱)とする説や、天照大御神の幼名とする説があります。
相殿神に大山祇命。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
オリジナル御朱印帳もあります。
材質上日光に弱いそうで、日の光を避けて保管してくださいとのことでした。
アクセス
津峯スカイライン利用(山上まで車)
県道130号を小松島から南下し、見能林駅の南の交差点(位置)を目指します(国道55号経由で来るのもいいです)。
上記交差点に津峯スカイライン及び津峯神社の案内が出ているので、西方向に入り線路を渡ります。
400mほど先(位置)に「津峯神社←」の案内板があるのでそれに従い左手に。
100m行くと津峯スカイラインの入口があり、その先料金所。料金は軽・普通自動車は往復600円。二輪は400円。
後は道なりに行けば神社駐車場(かなり広い)に着きます。
徒歩の場合①津乃峰町から
阿波橘駅の北東100m程の所に赤い鳥居(位置、冒頭の写真)があります。
鳥居を潜ったら、正面の倉庫の様な建物の所を左折し、後は道なりにまっすぐ進みます(道狭い)。
400mほど行った所に「津乃峰山参道」の案内板が出ています。
この案内板右手に割と大きめの駐車スペースあり(位置)。
駐車場
後は登るだけ。途中表参道・裏参道に分岐しますが、神社公式サイトによれば裏参道は急傾斜とのこと。
5合目に鳥居あり。大分上の方(裏参道側?)にも鳥居あり(見逃しました…)。
登山道の中では一番道が整っており、かつ最短ルート。所要時間は30~50分程度。
徒歩の場合②長生町から
こちらは神社北西の石門付近から登るコースです。
石門(巨岩、というか岩山?)の南にあるひょうたん池の辺りから山の中へ入っていきます。
実際登っていないので正確にはわからないのですが、おそらく地理院地図に見える道が登山道だと思われます。ひょうたん池南東の民家脇(位置)が登山口?
ただし登山口に駐車場なし。石門付近に若干の駐車スペースあり、という情報もありますが、阿南市観光協会のサイトでは「駐車場 検討中」となっているので怪しいところ。
徒歩の場合③三谷から
津乃峰山と鍛冶ヶ峰の間にある三谷集落から登るコース。
三谷集落の最奥に鳥居があり、そこから登ります(この辺りが登山口ぽい)。地図上に表記なし。
登っていくと神明の窟近くに出るようです。
YAMAP、ヤマレコにこのルートを利用した山行記録があったので、それらを参考にするのがよいと思います。
駐車場はおそらくなし。
神社概要
社名 | 津峯神社(つのみねじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 津峯大権現 |
住所 | 徳島県阿南市津乃峰町東分343 |
祭神 | 賀志波比売命 |
相殿 | 大山祇命 |
社格等 | 式内社 阿波国那賀郡 賀志波比賣神社 旧郷社 別表神社 |
札所等 | 阿波七福神 恵比須大神 |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://tsunomine-jinjya.com/ |
備考 | 旧地(元宮)は見能林町柏野の賀志波比売神社といわれる |
参考文献
- 「津峯神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「津峯神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019