蛭子神社。
西日本最長を誇る太龍寺ロープウェイの近く、那賀町和食に鎮座。
式内社 和奈佐意富曾神社の論社。
境内
鳥居
扁額
狛犬
手水舎
神門手前に巨木
夫婦杉というようです。
参道を挟んで左右に2本ずつ聳えています
左側は3本ありますが、一番手前のは注連縄が回されていないので別の木なのでしょうか。また手前(3本の真ん中)は枯れてしまっているようです。
この夫婦杉は奈良時代に植えたもの
天保十年六月海部郡那賀郡の代官に就任した高木真蔵が徳島から日和佐の御陣屋往復の旅日記「南羇漫詠」の一部に
この邨に蛭子の宮あり その前に相生杉とていと太く梢遙かなる杉の根に一本にして二木立ちたるが左右さし向ひて四本生えたり
とし月を幾代かすぎのひとつ根の何にし二木と生きわかれけむ
(いく年も経た杉の一つの根元から何故二つに生き別れたのだろうか)
と書かれている
高木真蔵は本居宣長大人の孫本居内遠の弟子であった
その他にも境内には巨木が多数で圧巻です
神門
社殿
拝殿
扁額
本殿
由緒によれば慶長6年(1601)改築。現存する最古の棟札が慶長5年(1600)のものともあり、1年のズレがありますがこの改築の際の棟札でしょうか。
本殿横狛犬
参道の狛犬と同じデザインです。昔はこちらが参道にいたのかも。
境内社等
本殿左右の境内社
神社で頂いた由緒書(恐らく旧版の徳島県神社誌)には主要建物として水神社・月讀神社とあり、その二社かと思っていたのですが、『改訂徳島県神社誌』には「(摂社)水神社 月讀神社 (摂社)若宮神社」とあります。
どちらかに若宮神社が合祀されたのでしょうか。
地神社(社日塔)
恵比寿大神の祠
「わじき七福神」の祠のようです(当社は恵比寿大神)。
由緒
創建時期は不詳。
『舎心山太龍寺縁起』に「天長二年(八二五)空海遷宮す」とあり、この時期には存在したとみられます。
延喜式神名帳にみえる「阿波国那賀郡 和奈佐意富曾神社」に当社をあてる説があります。
鎮座地が那賀川に近いため、徳治2年(1307)をはじめ度々洪水に見舞われ流失したようです。
『鷲敷町史』によれば、永正2年(1505)に細川澄元が流鏑馬神事を奉仕したとのこと(現在は歩射の奉納となっている)。
『寛保改神社帳』には蛭子大明神、別当太龍寺とみえています。和食。中山二村の産土神とされていたようです。
明治3年、蛭子神社に改称し、同5年郷社列格。
境内の大クスやイヌマキに寄生するボウランは国内ではここが北限自生地だそうで、県指定天然記念物とされています(知らなかったので写真なし…)。また原生林の社叢全体も同じく県指定天然記念物。
御朱印
御朱印はあります。
境内左手に宮司さんのご自宅があるので、そちらで拝受可。
アクセス
徳島市から国道を辿って那賀町へ。
小松島・阿南の境あたりから那賀川沿いに行ってもいいですが、狭いところが多いです。
国道で来た場合、ここの交差点を北に曲がるとすぐに神社。手前に何度か「道の駅鷲の里」と「太龍寺ロープウェイ」の案内があるので、迷わないと思います。
駐車場は、境内入口の向かい、県道挟んだところのスペースだと思われます(たぶん)。
神社概要
社名 | 蛭子神社(ひるこじんじゃ) |
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旧称 | 和食大明神 蛭子大明神 |
住所 | 徳島県那賀郡那賀町和食字町156 |
祭神 | 蛭子大神 天照皇大神 素盞嗚神 |
社格等 | 式内社 阿波国那賀郡 和奈佐意富曾神社 旧郷社 |
札所等 | わじき七福神 恵比寿大神 |
御朱印 | あり |
駐車場 | あり(?) |
参考文献
『日本歴史地名大系 37 徳島県の地名』 平凡社
『徳島県神社誌』 徳島県神社庁