伊射奈美神社(美馬市美馬町中鳥)

伊射奈美神社。

美馬市美馬町中鳥、四国三郎の郷というオートキャンプ場の東1km程の吉野川沿いに鎮座。

式内社 伊射奈美神社の論社。

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境内

鳥居

 

鳥居手前のミニ狛犬

 

扁額

 

狛犬1

 

狛犬2

 

手水舎

社殿

拝殿

 

扁額

 

亀の甲羅

 

本殿

境内社等

初代中鳥城主 浅野但馬守の墓

 

掃部・加門神社

 

社日塔

 

駐車場横に御旅所

 

駐車場横にある石碑(xx記念碑…読めず)

 

移転記念碑

 

中鳥島について

中鳥島は、1726年(享保11年)の大洪水で南岸から切り離された吉野川河口から約58km上流に位置した面積約45ヘクタールの川中島である。昭和9年6月1日に旧半田町から旧重清村に編入された、編入当時の戸数は43戸、人口225人であった。

西村・中鳥地区築堤について

吉野川の築堤工事が実施されるにあたり昭和57年に全島買収による住民移転の同意がなされ、昭和63年から64年かけて島内に残っていた28戸が県内外へと移住し、平成2年12月に高瀬谷川の護岸工事が開始され、平成18年3月に中鳥川樋門が完成している事業延長は3370m(高瀬谷川合流点~中野谷川合流点)、総事業費は約100億円、事業期間は昭和61年から平成18年3月までの20年間である。

伊射奈美神社・中鳥城跡・中鳥中学校跡について

伊射奈美神社は築堤による全島買収により平成4年10月7日に現在の場所に拝殿、神殿を新築落成している、この際に中鳥城主の墓も現在の伊射奈美神社に移築されている。神社の東側にはかつて吉野川の氾濫になやまされてきた中鳥住民の避難場所となっていた中鳥城本丸跡、島民が生活用水として利用した池が現在も残っている。また、旧中鳥神社境内地南側には、半田尋常高等小学校中鳥分教所があり、重清村への編入に際し児童は重清村立重清西尋常高等小学校に編入していることを示す資料も残されている。

天文年間から明暦年間まで中鳥村

明暦年間より半田村に合併

一.明治十四年 寺小屋式教授 十七年閉鎖

一.明治十五年 半田校中鳥尋常小学校建築

一.昭和六年四月一日 廃止し、分教場として三年以下生徒

一.昭和十年 重清西尋常小学校に編入

吉野川の水量が多くなければ、神社の南東にある吉野川の川中島、中鳥島に渡ることができます。

平成初期まで当社は中鳥島に鎮座していました。

旧社地には石碑も建っているのですが、そこまでの道が完全な藪と化しています。

島の一番高い場所あたりが旧社地石碑の場所(Google mapでも元社が登録されていますが、微妙に位置が違う)。

 

由緒

記念碑

日本一社 延喜式内社 伊射奈美神社

鎮座地 徳島県美馬市美馬町中鳥五八九番地

御祭神 伊邪那美尊 速玉之男神 事解男神

合 祀 天照大神 素戔嗚尊 大山祇神 猿田彦大神

神 紋 十六菊紋

由 緒。 神社の創祀は不詳、神話時代の創建とされる淡路、伊佐奈伎神社と同時期と考えられ、伊邪那美尊は国土産みを終え、神陵の地、阿波国美馬郡中鳥、伊射奈美神社を建てられ。阿波の神々の中で、最も格式の高いのは、貞観十一年〔八六九〕阿波国伊射奈美神社正五位の神階を賜う。伊邪那美尊を単独神として祀る全国唯一の神社として、延喜式神名帳に登載される最も格式の高い古社。阿波の美馬郡は古くから田畑の豊饒を祈願、古代の水の神として穀霊、穀神信仰、母神崇拝の稲作にゆかりの霊格の中心地。渡来人の法道仙人が伊宇摩山仏母寺を中鳥に建立開基、奈良時代、神社に付属の寺を聖武天皇勅命により忌部神宮寺と寺号を改め、文治三年〔一一八七〕神社再建した社殿戸扉に、神代自古御鎮座、伊射奈美尊神社と記す、本殿箱棟に神文十六菊御紋あり、古昔最も盛大なる神詞にして美馬、三好の総鎮守として伝える。戦国動乱の時代、天文年間〔一五三二〕三好長慶の祈願所として綾地の御先織を献納。元和三年〔一六一七〕蜂須賀候祈願の為黒昔織、甲冑二領奉納、家老稲田稙元祈願の為長刀を奉納。室町時代の後期、中鳥城主に、元亀元年〔一五七〇〕浅野但馬守。安土桃山時代天正年間〔一五七三〕久米刑馬亮拠る。後に前田京本入道が城主。神社再興の、正徳三年〔一七一三〕享保十六年〔一七三一〕棟札保存。戦国から江戸時代、天文〔一五三二〕から明暦〔一六五五〕年間に、中鳥村三百有余の人家があったとされ、享保十一年〔一七二六〕大洪水で吉野川南岸から切り離され川中島となる。明治五年九月官制による神社分類で伊射奈美神社は村社に任ぜられ、明治八年神社建替え戸扉に神代自古御鎮座、式内村社伊射奈美神社とあり、社殿に保存。昭和九年六月一日中鳥は半田町から分離、重清村へ合併。昭和六十一年〔一九八六〕建設省が吉野川洪水時の浸水被害を防ぐため、西村中鳥堤防工事で用地買収、六十三年に二十八戸移転、神社は平成四年十月七日現在地に拝殿、神殿を新築落成し御鎮座。

創建時期は不詳。

 

延喜式神名帳にみえる「阿波国美馬郡 伊射奈美神社」の論社とされています。

イザナミの名を冠する式内社は阿波国美馬郡の一社のみ(この式内社の論社は現在数社ありますが)。

イザナギの名を冠する式内社は複数あるのに、イザナミは一社だけという。

また日本三代実録 貞観11年(869)3月12日庚午条に「阿波国正六位上伊佐奈美神従五位下」とみえる伊佐奈美神の論社でもあります。

 

詳しい由緒は不詳ですが、三好氏の祈願所となったこと、蜂須賀氏から奉納があったことが記録に残り、また二度の造営の棟札が残ります。

 

前述の通り、元は吉野川にある川中島、中鳥島に鎮座していました。

中鳥島は元は半田町(今のつるぎ町の一部)と陸続きだったのが享和年間(1801~04)、あるいは享保11年(1726)の洪水で島になったのだそうです。中鳥城なる城もあったそう(上に写真載せた通り当社の境内に中鳥城主の墓があります)。

 

平成4年に吉野川の改修工事に伴う全島買収のため、現地に移転。

昭和の資料だと住所が中鳥338になっていますが、これは移転前の住所で現鎮座地の住所は中鳥589の模様。

全島買収に伴い住民も移住してしまったために周囲に民家はありません。ぽつんと神社だけが残ってしまい、少し寂しい雰囲気です。

 

祭神は伊弉冉神、速玉男神、事解男神の三柱。

天照大神、素戔嗚尊、大山祇神、猿田彦大神の四柱が合祀神とされていますが、合祀の経緯は不明。

 

古文書解説

此の大神は古 天地初発し時 神代七代に到り伊射奈美尊 天神より天瓊戈を授かり天降りましまし 天の浮橋の上に立ち淡路島を生み賜う 其気直に生じ阿波国を生み賜うと天の御柱国の御柱を立て 天地の道に随ひ君臣父子夫婦兄弟朋友並に万物の道を正して教を末の代まで置き給ひ 天地開闢本立を開き給う 是阿波国伊射奈美尊 御鎮座を申し伝え 祭所伊射奈美神社祭り奉ると神名記にも相見え候

中鳥 初め島中に稲を負う鳥止り給う 島中故 中は尊き故上にそなへ置き 中を内へゝへとしめよせ 神社となり給う 中の字は君徳にそなへ鳥の字は下臣の行にそなへ置き給う上下和合の徳にて中鳥と定む

興玉伝記

第十一代垂仁天皇二十五年 皇紀六五六年 紀元前BC四年 皇大神宮が造られ 太田姫命は八十の末社を造った 伊射奈美神社は末社となっている

御朱印

御朱印はあります。

大滝山春日神社にて頂くことができます。

当社拝殿前に連絡先が書いた看板が置いてありますのでわかりやすいかと思います。

 

アクセス

道の駅貞光ゆうゆう館から国道192号を西に3kmほど走ったところ(位置)で右手に折れ、青石橋を渡ります。

500mほど先、橋の北詰(位置)で左折します(四国三郎の郷の案内が出ている)。1km強先(位置)で右手の道へ降ります(右手にお墓が見えるあたりです)。

境内西側に数台の駐車場があります。

神社概要

社名伊射奈美神社(いざなみじんじゃ)
通称
旧称
住所

徳島県美馬市美馬町中鳥589

祭神

伊弉冉神

速玉男神

事解男神

合祀

天照大神

素戔嗚尊

大山祇神

猿田彦大神

社格等

式内社 阿波国美馬郡 伊射奈美神社

日本三代実録 貞観十一年三月十二日庚午 伊佐奈美神 従五位下

旧村社

札所等
御朱印あり(徳島市の大滝山春日神社で拝受可)
御朱印帳
駐車場あり(境内西)
公式Webサイト
備考旧地は中鳥338、中鳥島に鎮座

参考文献

  • 「伊射奈美神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019