田寸神社。
東みよし町加茂の県道44号線沿いにある消防団の倉庫(?)の裏に鎮座。
式内社 田寸神社の論社。
境内・社殿
道路側からは、建物の陰になりちらっとしか見えません
社殿
建物の裏にひっそりと。この祠と周りに木があるだけです。
由緒
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「阿波国美馬郡 田寸神社」の論社とされています。
鎮座地の加茂の地はかつては「福田の庄」と呼ばれ京都の賀茂別雷神社の神領。
明治44年に東みよし町加茂の鴨神社に合祀されましたが、氏子の間に異変災厄が続いたため大正12年再び現社地に小祠を建立し、現在に至ります。
式内社 田寸神社は資料によって「タワノ」「タネノ」「タキノ」と複数の読みがあり、正式にどう読むのかは不明ですが、当社は「たき」と読むようです。
地元の人には「サイノキさん」と呼ばれるそうです。
また、『加茂村神社取調帳』に、「往古10町程川上の瀧(今の奥成)に鎮座していたが加茂川の洪水により流されて現社地に遷祀した」との伝えがあり、その故事にちなみ「流れ宮さん」とも言うそう。
祭神については諸説ありはっきりしません。飛地境内社なので『平成祭データ』にも『徳島県神社誌』にも独立項目がなく確認ができません(『徳島県神社誌』の鴨神社項には同じく飛地境内社の横田神社については祭神の記載があるものの当社にはなし…)。
『阿波国式社略考』は、寸が村の略であること、田村神社の祭神が一宮記等では猿田彦大神であると述べており、田寸神社=田村神社で祭神猿田彦大神だと示唆しています。
『神名帳考証』は湍津姫命を挙げています。
『神名帳考証土代』は田寸津比売命を挙げつつ、「精古云今本田寸訓多和因按(旧事紀)六建午和爾命身人部連祖云々是饒速毘命六世孫也」ともします。
六建午和爾命とは建手和邇命のことだと思われます(誤植なのか、旧事記の異本でそういう表記があるのか)。
精古云とあるものの『阿波国式社略考』にこの記述はないので、永井精古の別の書にあるのかもしれませんが不明。
また玄松子の記憶さんは田寸津彦神、田寸津姫神の二柱としていますが、その典拠は不明。あるいは三好市三野町加茂野宮に鎮座する田寸神社の祭神がこの二柱なので、取り違えられている可能性も。
御朱印
御朱印の有無は不明。
さすがにないような気がしますが…
アクセス
東みよし町加茂交差点(位置)で国道から南に折れて、600mほど先(位置)で右手(西)へ折れます。
そこから200mくらい。
駐車場はありません。
一応消防団の倉庫脇にスペースはありますが、消防水利っぽいので…
神社概要
社名 | 田寸神社(たきじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | サイノキさん | |
旧称 | – | |
住所 | 徳島県三好郡東みよし町加茂字山根(3740番地付近) | |
祭神 | 猿田彦命 | 『阿波国式社略考』 |
湍津姫命 | 『神名帳考証』 | |
建手和邇命 | 『神名帳考証土代』 | |
田寸津彦神 田寸津姫神 | 玄松子の記憶 | |
社格等 | 式内社 阿波国美馬郡 田寸神社 旧無格社 鴨神社飛地境内社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 明治44年鴨神社に合祀後、大正12年に旧社地である当地に再興 |
参考文献
- 「加茂村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019