倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)

倭大國魂神社。

美馬町八幡の八幡神社脇の階段を登った場所に鎮座。

式内社 倭大国玉神大国敷神社二座の論社。

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参道

八幡神社の脇から倭大国魂神社への石段

地元の方が掃除をされていました。

109段あるそうで、そこそこ疲れます。段数は七五三の15段、女の厄払いの33段、男の厄払いの61段にちなむとのこと。

境内

社号標

 

鳥居

 

扁額

社殿

拝殿

 

扁額

 

この紋をメノラーだと言う人がいるんだとか、何とか…

 

本殿

 

社殿横から

由緒

境内由緒板

由緒は不詳だが、平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある[倭大国玉神大国敷神社二座]に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像で、厨子の背後には、[大島郷倭大国魂神社]の墨書があると言う。小笠原氏が崇敬した神社でもあった。『日本書紀』の第10代崇神天皇紀6年に「天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りしたとある。」が、『延喜式』で[倭大国魂]を冠する神社は他になく、[倭大国魂]との強い関係性が窺える。境内には、古墳時代後期(6世紀)の3基からなる大国魂古墳群が築かれ、開口する横穴式石室(全長4.6m、高さ2.2m)をもつ1基が「大国魂古墳」で、段の塚穴型石室の中でも最も古い特徴をもつと考えられている。神社北側の吉水には[吉水遺跡]があり、弥生後期の住居7軒と東西9間・南北3間の掘立柱建物跡等が発掘されている。今後の周辺域の発掘によって、「倭大国魂神社」を成立させた集団の様子が明らかになってくるであろう。

阿波誌

延喜式亦小祀と爲す重清村谷口里に在り即ち廢城の東麓なり神代紀の註に一書に云ふ大國主神又の名は大物主神、又は國作大己貴命と號す又は葦原醜男と曰ふ又は八千戈神と曰ふ又は大國玉神と曰ふ又は顯國玉神と曰ふ、其祠舊大祭料十ビン、城主小笠原氏割く所、兵燹に罹り小祀と爲る

創建時期は不詳。

詳しい由緒も不詳。

 

延喜式神名帳にみえる「阿波国美馬郡 倭大国玉神大国敷神社二座」を当社とする説があります。

『美馬町史』によれば、社伝に式内社と伝えており、寛保3年(1743)の『阿波国神社改帳』にも登載されているそう。

ですが、式内論社として当社を挙げている資料をあまり見かけません。Web上でも徳島をメインに据えたサイトでないとあまり取り上げられていませんし…何か理由でもあるのでしょうか。

 

明治期に村社列格。

大国魂古墳

大国魂古墳

上記由緒書の通り、大国魂古墳群は3基あって、開口している1基が大国魂古墳と呼ばれます。段の塚穴型石室の古墳としては最初期の物と見られているようです。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

当社は八幡神社の奥、階段上に鎮座しています。

アクセスは八幡神社の記事をご参照ください。

 

神社概要

社名倭大國魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)
住所徳島県美馬市美馬町字東宮ノ上3
祭神

大国魂命

大己貴命

社格等

式内社 阿波国美馬郡 倭大国玉神大国敷神社二座

旧村社

御朱印不明
駐車場八幡神社(石段下に鎮座)の境内に駐車可

参考文献

『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』 皇学館大学出版部

 

『日本歴史地名大系 37 徳島県の地名』 平凡社

 

『徳島県神社誌』 徳島県神社庁

 

『美馬町史』 美馬町


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